ジョン・テイラー・ガットさんはどんな教師だったのか


ジョン・テイラー・ガットさんは、義務教育学校の欠陥を鋭く指摘し、それ以上ないくらいの悪口でそれを批判している。しかし、ガットさんは最優秀教師として表彰されてもいるのである。日本的な感覚では、たとえ欠陥がある制度であっても、その制度の下で最優秀だと評価されるなら、ある意味ではその精度の維持に貢献しているのではないかとも考えられる。口を極めて学校の悪口を言っているガットさんは、その欠陥に協力したという悔恨からこのような批判を展開しているのだろうか。

しかしそれは考えにくい。もしガットさんが、その制度に貢献したということで高く評価されたのであれば、それを批判している姿勢から言って、その評価をそのまま受け取るのは誠実さに欠けることになるだろう。表彰されたとしてもむしろ返上することが正しい態度になる。また、そのような人間に対して、もし制度への貢献を宣伝したいのなら、始めから表彰などの対象にしないだろう。

『バカを作る学校』には「私はこうして教師になった」とガットさんが語る章がある。これを読むと、ガットさんは教師としては、ガットさんが批判する制度をそのまま維持するために貢献したのではないことがよく分かる。むしろその制度がおかしいことを告発するような仕事を数多くこなしている。このような面が評価されて最優秀教師として表彰されたということは、アメリカという国の懐の大きさと社会に通用する論理性の健全さを物語るものだろう。

僕も教員になってすぐに、ここは灰谷健次郎や林竹二の理想が実現する場所ではないということを悟った。それは僕の非力というものも原因していたのだが、制度的にこれをひっくり返すのは無理だという絶望感もあった。

このまま学校にとどまって仕事を続ければ、もし有能な教員として生き残っていけば、制度の欠陥の維持拡大に貢献するような教員になるだろうと思った。制度の欠陥に貢献したくなければ有能な教員であってはならないとも思った。無能な教員ですごす覚悟をしなければならないと思った。

しかし、1年目にはあれだけ苦労した仕事が、2年目はかなり楽になっていた。3年もするころには、このまま何年でも仕事が続けられるのではないかという感覚さえあった。同期に教員になった人間で、僕よりも志に忠実な人間は一番早いやつでは半年で学校現場を去っていった。僕は、意に反して有能になりつつあると感じていた。少なくとも仕事にならないほど無能な教員であることには耐えられなくなっていると感じていた。

そこで、無能ではなくても自分の評価と生徒の評価が重なってくれる学校はないかと思って探したのが養護学校だった。ここでは、僕はことさら制度の欠陥を意識することなく、人間としてほぼ常識的なふるまいをしていれば生徒に受け入れられるという経験をした。僕は特別に優秀な養護学校教員ではなかったけれど、ひどい教員でもなかったので子どもたちに嫌われずにすんだ。そして、養護学校で嫌われないですむというのは、それは子どもたちに好いてもらえるということでもある。僕はここで幸福な教員生活を送れた。自分の仕事を喜んでくれる人間(生徒)がいるということはとても幸せなことだ。

夜間中学でも僕はごく普通の教員だ。無能ではないが特別優れているわけではない。ごく普通に仕事をし、常識さえわきまえていれば生徒は教師として尊敬してくれる。こんなありがたい学校はない。制度の維持、あるいは抵抗に多大なエネルギーを使わなければならない普通の学校と比べればうんと楽な仕事が出来る職場だ。しかし、学校は本来そのような場であるべきではないかと思う。特別有能な教員でなければ勤まらないところであっては、それは大衆教育の場ではないのだ。そこにも制度の欠陥が現れていると思う。

僕は青年期には人間嫌いのところがあったので、コミュニケーション能力という点で劣っていると感じていた。だから、教員としては必ずしも有能ではないと感じていた。学問的な思考力については自信があったものの、臨機応変な人間的付き合いには失敗することが多かった。

今教員になる若い人たちは、僕よりもはるかにコミュニケーション能力があり、教員の資質としては高い人がいるだろうと思う。しかし、その人たちが、ガットさんのように、本来の教育の世界で優秀さを認められて評価されるということが今の学校制度では難しいのではないかと思う。そのコミュニケーション能力の大部分は制度の欠陥の維持に使われているのではないだろうか。

どうすればガットさんのような能力が高く評価されるようになるだろうか。アメリカと日本の社会の違いが大きく反映しているのだと思うが、教育本来の意味からいえば、ガットさんがしてきたことのほうが価値が高いというのは、論理的には明らかなような気がするのだが。教育というのは、資本主義の拡大発展に貢献することが目的ではなく、教育される生徒自身が成長したと感じられることが本来の目的だと考えれば、ガットさんがした次のような仕事は一つの感動的なエピソードとして理解できるだろう。

ガットさんは代用教員としての仕事からスタートしたようなのだが、「教職員のほぼ100%が非ヒスパニック系であるのに対し、生徒の99%はヒスパニック系だった」という小学校である女生徒に出会った。「そのクラスは特にレベルが低く、数語以上の文をすんなり読める生徒はひとりもいなかった」らしい。「しかし、ミラグロスという女子生徒だけは、選集を最後まで間違えずに読んだ」という。

アメリカでは生徒のレベルに応じてクラス分けがされているらしく、ガットさんは、この生徒がそのクラスにいるのはふさわしくないと思ったようだ。そこで校長にそのことを告げたのだが、校長は、代用教員が学校の方針に口を出すなというようなことを言って、専門家でもないガットさんの判断を信用しなかった。

そこでガットさんは、公平を来たすためにミラグロスをテストしてくれと頼んだ。ガットさんの判断を信用しないのはかまわないが、実際に自分の目で見て能力を判断して、確かに駄目だとなったら仕方がないが、それもせずに判断を下すのは公平ではないと言ったのだった。

これはごく普通の常識的な対応だろうと思う。ガットさんが特に優れた教師だったからこのような対応をしたというのではなく、普通に民主主義的な平等ということを考えれば、このような対応をすることが常識ではないかと思う。その意味では、ガットさんは特別優れた資質をもった教師ということではなかったのだと思う。むしろ経験の中で資質を膨らませていったと考えたほうがいいのではないかと思う。

ガットさんのもっと古いエピソードでは、混乱した教室をうまく静めることが出来ない若いころの姿も語られている。つまり、その時点ではかなり無能な教師であったことも語られている。だが、ガットさんの教師としてのセンスはかなり優れていたと感じる部分もかかれている。それは、校長からこのように言われたときに、ガットさんが「自分でも意外だったが、、私は自分にミラグロスを守る義務があるように感じた」と書いてあるところだ。このようなセンスを持っている教師は、経験から学ぶことが出来、経験をつむことによって教育本来の意味で有能だと評価されるような教師に育っていくだろう。

ミラグロスは見事にテストをクリアして上級のクラスに移っていったようだ。ガットさんがミラグロスにしてやったのはこれだけのことだった。上級のクラスに移ったので、それ以後はガットさんの手を離れて他の教師の教育にゆだねられることになった。校長からは、少々意地の悪い目で見られてうらまれたようだ。しかしガットさんは、ミラグロスからある一枚のカードをもらったことで、気分の悪いことのすべては帳消しになった。

そのカードには「先生のような教師は他にいません。あなたの生徒、ミラグロスより」と書かれていたそうだ。「この飾らない言葉のおかげで、教師は私の一生の仕事になった」とガットさんは語っている。おそらくそのような経験をした教師は、教師という仕事がいかに幸せなものかを味わうことが出来るだろう。感動的なエピソードだと思う。

リチャード・ドレイファス主演の「陽の当たる教室」という映画でも、本当は作曲家として生活したかった主人公が、生活費を得るために就いた音楽教師という仕事で、生徒からこのような心からの感謝と尊敬をささげられる場面で、「片手間に始めた教師という仕事が私の一生の仕事になった」と語る感動的な場面がある。アメリカという国のすごさは、このような感動を高く評価できる国民性にあると僕は思う。

このミラグロスは、後にニューヨーク州教育課から特別教師賞を授与されてガットさんの記憶を呼び起こすことになる。ガットさんは、このときの喜びを「ああ、ミラグロス、私は君にとってのモノンガヒーラになれたのだろうか。いずれにせよ、君のような教師は他にいない」と語っている。これもすばらしく感動的な表現だ。

モノンガヒーラというのは、ガットさんの故郷で、ガットさんが今日ある基礎を築いてくれたところ・ものとして感謝をささげている象徴のことだ。モノンガヒーラという象徴を持っている教師がそれを伝えることで、教育の持っている本来大切なものが受け継がれていくのではないかと思う。ガットさんからミラグロスへとそれは着実に伝わったのではないかと思う。

かつてのマル激で、ケン・ジョセフさんが、ボランティア活動で最も大事なものは「常識を届ける」ということだと語っていた。何か物質的なものを届けるということは、第二義的な問題で、混乱した現場において、エゴが剥き出しになるような状況が生まれかねないとき、常識的な判断で一つずつものをこなしていくような冷静さを届けるのが本来のボランティア活動だと語っていた。

これは眼から鱗が落ちるようなすばらしい指摘だった。何かいいことをしなければボランティア活動ではないということではないのだ。平凡なごく当たり前のことが、冷静に行われることこそがすばらしいのだという指摘は大事なことだと思った。

ガットさんの教師としての活動も同じだと思う。欠陥を多く含んだ学校という現場で、常識を取り戻し、冷静にごくあたりまえの事をすることこそが最も有能な教師なのだと思う。そして、それがまったく困難な状況に陥っているのが現在の学校なのだろう。我々は有能さというのをちょっと間違えてしまったのではないかと思う。自分にとってのモノンガヒーラを取り戻さねばならないのではないかと思う。