誰のための無料化か?

ニュースステイションの報道で、渋滞の高速道路の利用者の声を伝えているものがあった。その声の一つに、「行楽に行く余裕のある人たちのために無料化をしなくてもいいんじゃないか(むしろ、そういう人たちからは金を取った方がいいというニュアンスを感じた)」というものがあった。これなどは、無料化になって、今の1000円の時以上の渋滞になってはたまらない、という気持ちが込められているのを感じた。

これは、無料化というのが、いったい誰のためにやるのかということが間違って伝えられていることの現れではないかと強く感じた。今の休日の1000円を上限とする割引というのは、普通乗用車が対象であるから、確かに行楽客のための割引になっている。だから、この連休に渋滞が起こることは十分予想されたことで、渋滞を前提としてこの割引がなされているといってもいいだろう。

高速道路が無料化されるというときも、対象が行楽客のみになるのであれば、この報道にあったような利用者の懸念が現実のものとなるだろう。しかし、無料化というのはそもそも、高くて全く利用されていない地方の高速道路を、生活の利便性をあげるために無料化するということが本質的な目的なのだ。行楽客の利益のために無料化するのではない。

休日が渋滞するのなら、仕事で高速道路を利用する人は、休日には仕事を入れないようにするだけのことだろう。無料化されてもそれは同じだ。もし渋滞がいやなら、行楽客はそれこそ、行楽に行く予定を休日に入れなければいいだけのことだ。

高速道路の無料化は、大金をつぎ込んで作った地方の高速道路が全く使われていないという、この不合理をまず解消することが目的だ。そして、この不合理を解消することが、道路に関係する利権を壊す第一歩になる。というものが山崎養世さんが展開する論理だ。

全く使われていない高速道路が効率的に使われることによって、物流の輸送にまず影響が出るだろう。その次は、自動車による行動範囲が広がることによって住環境が地方に分散するという効果が期待できる。

行楽に行く余裕がある人からは通行料を取ってもいいという人が多いなら、今と逆に、平日には無料にし、休日に料金を取るようにすればいいのではないかとも思うが、そのときは料金所の設置などで効率が下がることを計算すると、すべてを無料にする方がいいだろうと思う。問題は、休日の渋滞が常態化するようなら、利用者がそれに賢く対処するということも必要ではないかと思うだけだ。誰もが休日に自動車を使って行楽に出かける必要はないのではないかと僕は思う。無料になれば、そのときに行かなければ得をしないなどということもなくなるのだから。

高速道路の無料化は、今のように1000円割引を使っている人のために無料化するのではないのに、どうしてそのような人たちに、この政策の賛否を聞くのだろうか。反対の声を出させたいがために聞いているのではないかとも感じてしまう。これはマスコミの世論操作ではないのだろうか。