主張の正当性がなぜ報道されないのか?


久しぶりに論理的な観点から見て面白そうなニュースを目にした。「修正協議、自・民の溝埋まらず=農林中金の扱い焦点−金融強化法案」というものだ。このニュースは、それ自体は何でもない平凡なもののように見える。自民党民主党が国会の議論において対立しているということを知らせるものだ。政権を巡って争っているこの2党が対立しているということはごく当然のことで、その対立の一つとして「金融強化法案」というものがあるというのがニュースに値するということなのだろう。

このニュースを見ていると、事実の報道はされているのだけれど、そこに論理性がかかわってくる問題については一切報道されていないのを感じる。事実としては「農林中央金庫新銀行東京の取り扱いで、民主党はいずれの金融機関も資本注入の対象としていることに反対し、修正を要求。自民党は「特定の金融機関を対象外にはできない」と拒否し、合意のめどは立っていない」ということだ。事実はこの通りなのだろうが、それではどちらの主張が論理的に見て正当性があるのかという判断をしようとしたとき、このニュースでは全くその判断が出来ない。

双方がそれぞれ主張していることは、立場の違いなどから来る前提が違ってきているはずだ。そして、その前提を設ければ、論理的にはそのような結論が出てくるというものになっているだろう。もし、前提にかかわらず、「そうしたいからするのだ」という主張だったら、それは単なるエゴであり、そのようなものの公共性を誰も感じないだろう。だから、もし主張がそのようなエゴであるならば誰もその主張を支持しないだろうと思われる。

我々がニュースとして欲しいものは、単に対立しているという「事実」ではない。そのような事実なら、このニュースを見るまでもなく予想できるし、国会中継を見れば分かる。国会中継を見ていても分からない、難しいことは、双方の主張が何を根拠にして提出されているかということだ。その前提とする「事実」の方はどうなっているのか。

大島理森国対委員長は記者団に「(農林中金を)狙い撃ちしたやり方は絶対反対だ」」と語っていることが報道されているが、なぜ狙い撃ちが間違いなのか、そのことはこの報道だけでは分からない。大島理森国対委員長が反対しているという「事実」はここから読み取れるが、その反対が正しいのだということはここからは読み取れない。単なるエゴではないということは、どのように証明されるのか。

農林中金というものに問題があるのなら(おそらく問題があるからこそ民主党が反対しているのだろう)、その問題が、農林中金を排除する根拠となりうるのかどうかが知りたいことなのだ。また、農林中金に問題があるとしても、特定の金融機関を排除することで金融強化法案の効果が薄れるということが理論的に証明できるなら、自民党の主張していることが正しいと判断できるだろう。そのような判断材料を提供することが報道機関の義務ではないかと思う。しかし、この問題に関しては、単に対立しているという「事実」が重要なものとして語られているに過ぎない。国民には、どちらが正しいかを判断する能力がないと、大新聞は思っているのだろうか。

アメリカの金融危機では、不良債権を買い取る際に、その責任を問わず報告されたものをすべて買い取るということが言われていたそうだ。責任を問わないということが多くの人々の反発を呼んでいた。誰がこのような事態を招いたのか、という人々の憤激や怒りは正当なものだ。だから責任者に責任をとらせたいという要求は正当なものであり、むしろ責任を問わないということの方がおかしく見える。

しかし、そのような感情に反する提案(主張)をするということは、その主張をする立場においては正当な論理的根拠があるはずだ。マル激で聞いたものは、そのように責任を問わないということにしないと、責任を問われるような形で不良債権を提出させれば、多くが隠されてしまうだろうということだった。責任を問わないという形にすることで、それがすべて明るみに出るのだということが、責任を問わないという立場の人たちの主張の根拠だった。これは合理性があることだと思う。

不良債権の多くが隠されてしまい、そのまま放置されることになれば、これは取り返しのつかない破滅に突き進んでいくことになるのではないかと思われる。それを避けるためなら、責任を問わないということもやむを得ないと判断されるのではないかと思う。このように根拠を説明されれば、誰かの責任を問うてそいつを非難したいという感情的な思いを乗り越えて、合理的な判断の方を受け入れる冷静さも出てくるのではないかと思う。

新銀行東京については、元行員の融資詐欺事件が報道されるなど、そのずさんな経営が問題視されている。そのような銀行までも救済の対象にするということに感情的に反発したくなるのは当然ではないかと思う。マル激でも語られていたが、新銀行東京は、融資の判断が甘く、他の銀行では融資できないような判断をされたものばかりが集まってきていたという。ひどいときには、他の銀行で不良債権になりそうなものを新東京銀行に回して借り換えさせるということも行われていたという。最初から危機に陥ることが分かっていて銀行経営をしていたようなところがある。

このことに対して民主党では菅直人代表代行が「400億円の追加出資に都議会民主党は強く反対したが、自民、公明によって強行された。今回も自公両党が強行するなら、次の総選挙と同時に、来年の都議選の大きな争点にしなければならない」と語っているようだ。この報道も、論理的な根拠としては釈然としないものだ。自民・公明が強行したから悪いと言っているように聞こえる。しかし、その判断が正しいと思えば、たとえ反対があろうとも正しいと思ったことをすることは当然だろう。問題はその判断が本当に正しかったかどうかということだ。反対を押し切るのが「強行」だとしたら、「強行」そのものを非難するのは論理的に見て正当性があるとは思えない。なぜそのような感情に訴えるニュースになってしまうのだろうか。民主党は、なぜ論理的に、新銀行東京の問題点を指摘しないのだろうか。理数系の菅直人氏が、論理ではなく感情に訴えるということに違和感を覚える。この報道は正しい報道なのか。

アメリカの金融危機に対する法案では、すべての不良債権を出させるために、あえて責任を問わないという方向をとることの合理性が議論されていた。日本での金融強化法案の議論でも、あえて農林中金と新東京銀行にも予防的な資本注入をすべきだという主張の合理性が議論されるべきではないだろうか。マスコミの報道では、双方のエゴがぶつかり合っているだけで、感情のレベルで反対しあっているに過ぎないように見える。

反自民の立場にいる人間には、それは金融機関の失敗の尻ぬぐいを税金を使ってやっているようにしか見えない。銀行などの金融機関と結びついている人間たちの利権を守るために法律が出来ているんじゃないかという疑心暗鬼がわいてくる。また、反民主の立場から見れば、感情的な反発を利用して、単に反対のための反対をしているに過ぎないんじゃないかというふうにも見えてくる。民主党という政党の私的利益というエゴのための反対であって、金融危機から派生する日本の国全体の危機を受け止めたものではないんじゃないかという思いを抱かせる。

このようなエゴから来る判断をしていたのでは、損をする人間と得をする人間を分断するだけだ。客観的にどの方向を行くのが正しいのかという、合理的な判断が出来るような材料を提供することこそがジャーナリズムだろう。農林中金と新東京銀行の問題の本質はどこにあるのか。何が金融の危機に直結する原因だったのか。それを取り除くための本当に効果的な対処法というのがあるのかどうか。

自民党は、「国会への事後報告なら可能」というふうに言っているが、事前の国会承認ではなぜだめなのかという報道はなされていない。なぜ報道されないのだろうか。それは難しすぎて、合理性が理解できないから、短いニュースでは語れないのだろうか。それとも、合理性を説明できないから報道されないのか。それは単なるエゴに過ぎないから説明できないのか。

「金融機能強化法が復活、農水官僚が支配する農林中金の巨額損失救済の疑惑」というニュースの見出しを見ると、農水官僚との癒着が農林中金の最大の問題になっているのかという疑念を持たせる。もし、このようなことが問題なら、官僚と癒着している自民党に、なぜ農林中金への資本注入が、事後承認なら出来るが事前の国会承認は出来ないのか、ということについては、それはエゴから来る不正が暴露されないためだ、という理由がついてしまう。

このニュースを書いているのが民主党参議院議員・藤末健三氏だということを差し引いても、次の指摘には合理的な正当性を感じる。

「【1】天下り

 農林中央金庫のトップは歴代全て農水省事務次官OB。また、役員にも農水省のOBが入っている。そしてこの役員の報酬は政府系機関(※→関連記事:金融機能強化法で改めて問う、農林中央金庫の意義)であるにもかかわらず公表されていない。

 他の政府系機関はすべてなんらかの形で役員報酬を公開しているが、この農林中央金庫だけが役員報酬を公開していない(平成20年度で役員13人で4億3000万円とだけ公開本日口頭で公開され。単純計算でも一人3400万円。理事長は一億円近く貰っている可能性もある)。(※→関連記事:金融機能強化法で改めて問う、農林中央金庫の意義)

【2】貸し出しが異常に少ない

 61兆円の資産(2008年3月時点)のうち、貸出しは9兆円、全体の16%しかない。つまり、農業や企業への資金提供にはあまり役に立っていない。(※→関連記事:金融機能強化法で改めて問う、農林中央金庫の意義)

 ちなみに農林中央金庫の役割は法律上「農林水産業への資金の提供」である。本当にこの役割を果たしているのかはなはだ疑問である。 

【3】有価証券に投資し過ぎ

 一方で有価証券は36兆円の59%となっている。投資銀行のようになっている。すでに多額の損失が発生している。

 この投資の失敗を税金で支えることが本当に必要なのか? 疑問である。」


このように、経営責任に非常に大きな疑問を感じるところなのに、法案では「資本参加(注入)を行う金融機関の経営者責任をほとんど問わなくなる(前法から経営責任の4条5項及び6項を削除)」と言われている。このことが、なぜマスコミではちゃんと語られないのだろうか。このことに自民党はちゃんと答えているという報道を目にしたことがない。

このようにエゴを守るための法律のように見える金融強化法案で、本当に金融危機が解決できるのだろうか。官僚と癒着する自民党の限界がここにも見えるのではないか。マスコミが論理的に正当な報道をするということに、もはやほとんど期待はしていないものの、どこに問題があるかという視点は失わずにマスコミ報道を点検していきたいものだと思う。