2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

凶悪犯に対し、感情抜きの論理的考察が出来るか

すでに故人となったが、大分県中津市の作家・松下竜一さんに『汝を子に迎えん』(河出書房新社)という本がある。松下さんは、ノンフィクションの作品をたくさん残している人で、これは、ある殺人犯を養子として迎えた牧師夫妻を追いかけたノンフィクション…

兵法の奥義

内田樹さんの『他者と死者』(海鳥社)の「4沓を落とす人」には、「兵法の奥義」が語られている。これは、抽象的に述べれば 「欲望するものは欲望されたものに絶対的に遅れる」 と語られる。この「絶対的に遅れる」状態に相手を落とすとき、常に勝つという…

適材適所という働き方と組織

教員の世界というのは、僕から見ると変だと思われる平等主義がある。仕事の量を平均化しようという平等主義だ。これを僕が奇妙だと思うのは、質が違う仕事にも、何とかそれを平等になるように工夫して、かえって効率を落として苦労しているように見えること…

正しい現状認識とその肯定判断について

内田樹さんが「2006年04月26日 ナショナリズムと集団性」というエントリーで、「遠からず、日本はナショナリストだらけになるであろう」という予想を語っている。この予想は、日本の現在を、「「若年弱者」を大量発生させている」という現状分析をした結果か…

死刑廃止論を考える 4

「死刑廃止 info! アムネスティ・インターナショナル・日本死刑廃止ネットワークセンター」というページに載せられている、「死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ」の中の中山千夏さんの死刑廃止論を考えてみようと思う。中山さんは、 「死刑制度で、自…

論理の持つ非人情

内田樹さんが「2006年04月25日 非人情三人男」というエントリーを書いている。ここで語られている「非人情」とは夏目漱石の造語であるらしい。ヤフーの辞書によればその意味は、 「1 他人に対する思いやりに欠けること。冷淡で人情がないこと。また、そのさ…

死刑廃止論を考える 3

「死刑廃止 info! アムネスティ・インターナショナル・日本死刑廃止ネットワークセンター」というページに載せられている、「死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ」の中の亀井静香さん(衆議院議員、死刑廃止議員連盟会長)の言葉で、冤罪を語ったものも…

死刑廃止論を考える 2

「死刑廃止 info! アムネスティ・インターナショナル・日本死刑廃止ネットワークセンター」というページに載せられている、「死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ」の中の亀井静香さん(衆議院議員、死刑廃止議員連盟会長)の文章に、僕は非常に強い説得…

死刑廃止論を考える 1

たとえ死刑であっても、人が殺されるのを見るのは嫌だというような感情論ではなく、一般論としての死刑廃止論を考えてみたいと思う。もし感情論を基礎にして考えるなら、被害者の報復感情が何よりも優先されると言うことは、感情としては反対出来ない問題に…

感情に流れる議論

山口県光市で起こった痛ましい犯罪事件の裁判について語ったブログを見て感じたことがある。この事件は、犯罪の衝撃的な現象もさることながら、あくまでも極刑の死刑を求める被害者遺族と、その意を汲んだ検察に対しての、死刑廃止論者でもある弁護士の発言…

原理原則的な考え方と、現実を素直に受け入れる考え方

板倉聖宣さんが『科学はどのようにつくられてきたか』(仮説社)という本でアリストテレスと原子論者たちを語った章はとても興味深かった。そこではアリストテレスの偉大さを強調しているのだが、アリストテレスの世界観というのは、現状をあるがままに肯定…

ラカンの言説の一流性 4

内田樹さんは『他者と死者』の中で、「師」の必要性を説く。学ぶという行為が本当に実りあるものになるためには、学習者は、その師を見つけなければならないということだ。内田さんは、『先生はえらい』という本も書いているが、これの本当の趣旨は、「先生…

ラカンの言説の一流性 3

『他者と死者』の中で内田さんが引用している次のラカンの文章の理解を考えてみようと思う。 「我々はこれまでの研究によって、反復強迫(Wiederholungswang)はわれわれが以前に記号表現(シニフィアン)の連鎖の自己主張(l'insistance)と名付けたものの…

ラカンの言説の一流性 2

内田樹さんは『他者と死者』(海鳥社)の中で、「わかりにくく書く人には二種類がある」と語っている。一つは「難しいことを言うことが知的威信の一部だと思っている人々」だ。これは、自分がいかにものを知っている賢い人間であるかを示すために難しく書こ…

解釈の正しさについて

ラカンについて調べていたら、「生き延びるためのラカン 第1回「なぜ「ラカン」なのか?」」という斉藤環さんの文章を見つけた。ここでは、携帯電話がなぜ不快に感じるかを、ラカンを応用して分析していた。その結論は、 「電車内で携帯電話をかける人は、…

ラカンの言説の一流性 1

はてなの日記「■[雑文]難解な文章について」に、わどさんからコメントをもらった。それに対する返事として僕は次のようなことを書いた。 「大江源三郎氏の文章がわかりにくいのは、4つほどの仮説が考えられます。1つは、大江氏が、情緒の人で、論理よりも…

「事実」は実体的(物質的)存在ではなく観念的存在である

本多勝一さんは、『事実とは何か』という著書の中で、「客観的事実」の「客観的」という言葉について論じたことがあった。その趣旨は、100%客観的と呼べるような「事実」はないということだった。つまり客観的と言うことを、文字通り<人間の意識とは独…

難解な文章について

わかりにくい文章の代表として、本多勝一さんは『日本語の作文技術』の中で、大江健三郎氏の次の文章を引用していた。 「いま僕自身が野間宏の仕事に、喚起力のこもった契機を与えられつつ考えることは、作家みなが全体小説の企画によって彼の仕事の現場にも…

江川達也さんの論理的一貫性について

江川さんの一流性について書いたエントリーにトラックバックがあったので、それをたどって、江川さんがドラクエについて語ったというインタビューを読んでみた。それは一部を抜き出したようなものだったので、どのような文脈で語られているかが分からなかっ…

ZEEDさんへの返事

ZEEDさんからライブドアのブログの「仮説が科学になるとき」というエントリーにコメントをもらった。ライブドアのコメント欄は字数制限があって、短い返事ではなかなか真意が伝わらないので、ZEEDさんへの返事をまとめておこうと思う。ZEEDさんには弁証法に…

江川達也さんの歴史の見方

江川さんは、『現実はマイナーの中に』(ウェイツ)の中で、「戦前のことをある目的を持って研究していくと、必ずしも戦前は否定すべきではないことが明らかになってしまう」と書いている。江川さんは、戦前を高く評価していることが他の言葉からもうかがえ…

カントの一流性

僕が初めてカントの名前に出会ったのは、三浦つとむさんの「物自体」に関する批判の文章の中でだった。それがどこに書かれていたのか探したのだが見つからなかった。記憶を頼りに考えてみると、それは、科学的認識に関わる文脈だったように思う。「物自体」…

「反証可能性」という言葉について

「反証可能性」という言葉を使って科学を語る言説をよく見かけるのだが、たいていはそれが的はずれのように感じている。科学に対するこのような的はずれの言説が蔓延しているのは、「反証可能性」という言葉自体に原因があるのか、それともこの言葉の理解に…

江川達也氏の言説は一流だ

「江川達也氏の言説は一流か」と言うことで、昨日は考えてみたが、考えれば考えるほど、僕には一流だと思えるようになった。そこで、昨日は断定出来なかったが、今日は断定的に「だ」と言い切ることにした。手塚治虫さんについて考察したことを考えようと思…

歴史観について

『新しい歴史教科書』が登場したとき、そこには、歴史は物語であるというようなことが語られていた。日本人にとって誇りが持てるような歴史こそが価値あるものだという思いがそこにはあったようだ。歴史が、根本的にどのようなものであるかと考えるものを「…

江川達也氏の言説は一流か

僕は、漫画家の江川達也氏を神保哲生・宮台真司両氏のマル激トーク・オン・デマンドで知った。宮台氏は江川氏を高く評価しており、その見識の深さを認めていた。しかし、江川氏は、他の所では変人として有名になっているようで、必ずしも高く評価している人…

科学的真理はどのようにして証明されるか 3

板倉さんの『科学はどのようにしてつくられてきたか』は、次の話題として植物を取り上げる。「大地・球形説」や「地動説」のような天文学に関するものは、いかにも科学というイメージが出来るのだが、植物に関するもので科学的真理というとどのようなものが…

科学的真理はどのようにして証明されるか 2

「反証可能性」という言葉で、何か科学の成立について語った気分になっている人間がいるが、科学が成立するのは、「仮説実験の論理」を経てそれが証明されたときのみである。いくら「反証可能性」があろうとも、それだけで考察している事柄が「科学」になる…

科学的真理はどのようにして証明されるか 1

科学がすべて仮説だと思っている人間は、仮説が実験という検証を経て真理を獲得する過程を理解することが出来ない。仮説と科学の区別がつかない人は、真理と真理でないもの(真理でないものは必ずしも誤謬だとは限らない。真理だと確定していないものは、「…

ベストセラー本の二流性

『週刊金曜日』という雑誌の連載から生まれたベストセラー本に『買ってはいけない』という本があった。これは、世間に流通している商品の中に、いかに危険な物質が混入しているかを指摘した本だった。この本を読むと、我々の周りには危険な物質があふれてい…