2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

問題意識のずれを考える

シカゴ・ブルースさんの「ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」」というエントリーを読むと、そこにかなりの問題意識の違いを感じる。これは、違いを感じるからと言って、シカゴ・ブルースさんが書いていることに批判的であると言うことではない。シカ…

言語における使用価値と交換価値のアナロジー

シカゴ・ブルースさんの「貨幣の使用価値」というエントリーを読んで、自分の論理というか、言葉の使い方である語彙に混乱があるのに気がついた。交換価値と言うべきところで使用価値という言葉を使ったりしているような気がした。これは、頭の中では思考が…

「語義」と「価値」−−語の意味

内田樹さんが『子どもは判ってくれない』の中で「語の「意味」には「語義」と「価値」の二つの種類がある」と書いている。これは、ソシュールが『一般言語学講義』で説いたもので、ソシュール的な視点からの「意味」の考察になっているそうだ。三浦つとむさ…

言語の意味について

三浦つとむさんは、『日本語はどういう言語か』のなかで、言語の意味を関係として捉えて説明していた。言語にかかわらず表現というものは、形式と内容のずれ(矛盾)が存在する。同じ形式(外見=音声・文字の形など)であるにもかかわらず、それによって伝…

杉浦法相が死刑を執行しなかったことの評価

ヤフーの「<杉浦法相>死刑執行せず 在任11カ月、命令書の署名拒む」というニュースによれば、杉浦法相が死刑執行命令書に署名しなかったことについて、正反対の評価がされているようだ。報道では、 「◇慎重な姿勢、評価 ▽石塚伸一・龍谷大教授(刑事法)…

「イズム(主義)」の論理−−イデオロギーに支配された思考

何とか主義による思考の展開は、マルクス主義の崩壊とともにかなり薄れてきたように感じるのだが、それが論理的な誤りがあったという認識はなかなか難しいのではないかと思う。本人は意識していなくても、「愛国主義」「道徳主義」のようなものが基礎にあっ…

植草一秀さんの小泉内閣経済政策批判

マル激の中で語られていた植草さんの、小泉内閣経済政策批判を論理的に理解する努力をしてみようかと思う。僕は経済学を専門的に勉強したことはないので、これが正しいかどうかという評価は出来ない。あくまでも論理的な整合性という面でのみこれを理解して…

林道義さんの善意 2

林さんのホームページ「フェミニズム批判」の中から、林さんの善意を感じる部分を探してみようと思う。ここにはかなりの量の文章がおいてある。まずは「1 なぜフェミニズムを批判するのか」という文章から探してみよう。そこには 「私憤・公憤という言葉を…

国会議員と大臣の違い

竹中大臣が、小泉政権の終わりとともに、参議院議員も辞職をしたいということを表明したのは15日のことだった。「<竹中総務相>議員辞職表明…「安倍政権」居場所なく」という報道によれば 「「小泉路線」の象徴的存在だった竹中平蔵総務相が15日、政権…

国旗・国歌に対する「強要の論理」と「拒否の論理」

東京都教育委員会が都立高校の教員に対して、卒業式・入学式等での「国旗への起立や国歌斉唱」を強制していたことが、思想・信条の自由を保障した憲法に反するという違憲判決が出た。これは画期的な判決だが、よく考えてみればごく当たり前のことを述べてい…

林道義さんの善意 1

内田さんが『私家版・ユダヤ文化論』で反ユダヤ主義者たちに対して次のような感想を語っていた。 「しかし、私が反ユダヤ主義者の著作を繙読して知ったのは、この著者たちは必ずしも邪悪な人間や利己的な人間ばかりではないということであった。むしろ、信仰…

瓜田に沓を納れず、李下に冠を正さず

『期間限定の思想(おじさん的思考2)』(晶文社)の中で内田樹さんがタイトルのような古諺を使って面白い公人論を語っている。政治家を始めとする「公人」は、どのような存在でなければならないのか、それを実に分かりやすく直感的に理解出来るように語っ…

竹中大臣の議員辞職の直感的理解と論理的理解 その3

河野太郎衆議院議員の「ふざけるんじゃねえ」という文章の論理的理解というものを考えている。論理的理解というのは、前提と結論の間に論理の飛躍が感じられず、その結びつきに納得出来るような理解をしようというものだ。竹中大臣の議員辞職には何かおかし…

竹中大臣の議員辞職の直感的理解と論理的理解 その2

河野太郎衆議院議員の「ふざけるんじゃねえ」という文章では、竹中大臣の議員辞職について 国会議員として選挙で選ばれたことと小泉総理に大臣として任命されたことには違いがある。 6年の任期があることは最初から分かっていたのだから、任期を全うすべき…

竹中大臣の議員辞職の直感的理解と論理的理解

河野太郎衆議院議員の「ふざけるんじゃねえ」という文章が賛否両論を呼んでいるらしい。この文章は、竹中大臣の議員辞職を批判したものだが、これを材料にして、そのことの正否に対する直感的理解と論理的理解について考えてみたいと思う。竹中大臣の辞職が…

直感的理解と証明(論理的理解)

数学における初等幾何において、最初の証明といわれているのが二等辺三角形の二つの底角が等しいというものだ。これは三角形の合同を用いて証明する。二等辺三角形は、裏返しても同じものになるのでもとの三角形に重なる。これを合同というのだが、重なるの…

科学における定義について

三浦つとむさんは、ソシュールの「言語」の定義が、実際に表現された具体的な言葉としてのものではなく、頭の中の認識である規範になっているという批判を行っていた。これは、「言語」の定義としてはふさわしくないと言う批判だ。これは、具体的なコミュニ…

内田樹的言説と宮台真司的言説

内田樹さんは『ためらいの倫理学』の中で「私は宮台真司という人の書いたものを読んで共感したことが一度もない。どうしてなのか知らないけれど、どこかで必ず違和感のあるフレーズに出くわすのである」と書いている。僕は、内田さんにも宮台氏にも共感し、…

正義と真理

正義と真理とは重なるようなイメージがあるものの、それはまったく違うものだと僕は感じる。正義であることが必ずしも真理ではないし、真理を認識したからといって、そこから正義の行動が出てくるわけではない。むしろ正義と真理はしばしばその結論が対立す…

植草一秀さんの事件について

植草一秀さんが痴漢行為で逮捕されたというニュースがあった。僕は、このニュースにかなり大きな違和感を感じている。ある意味では、つじつまのあわなさを、この「物語」に感じているのだ。逮捕されたというのは「事実」ではあるが、痴漢行為をしたというの…

反ユダヤ主義者の善意 その2

内田樹さんが『私家版・ユダヤ文化論』で紹介するもう一人の反ユダヤ主義者はモレス侯爵と呼ばれる人物だ。モレス侯爵は「世界最初のファシスト」とも言われているそうだ。モレス侯爵の人格的特徴は、「冒険的・暴力的な男性イコンへの偏愛」と内田さんは表…

反ユダヤ主義者の善意

内田樹さんが『私家版・ユダヤ文化論』で語っていた、反ユダヤ主義者の善意というのは考えさせられることの多い大切な事柄のように見える。その善意は、内田さんが指摘するように、私利私欲を離れたある種の敬意を感じるようなものになっている。この問題の…

ゲーム感覚とゲームの理論

若い頃に少しかじったことのある「ゲームの理論」というものを今勉強し直している。宮台真司氏が、この「ゲームの理論」を使って社会の様々な事実に対して言及していることもあって、基本的な考え方をもう一度学びたいと思ったからだ。「ゲームの理論」とい…

陰謀論の誘惑

ユダヤ人に対する偏見の中で、世界的な規模で陰謀を進めているという「ユダヤ人陰謀論」というものがある。これはその内容を詳細に検討すれば、荒唐無稽なデタラメであることがわかることが多い。だから、陰謀論というのは多くの場合、根拠のない妄想だと言…

外交における国益の計算

「北朝鮮」がミサイル「発射実験」をしたときに、宮台真司氏が次のような論理の展開をしていた。テレビなどのマスコミでは、「北朝鮮」の行為は、「北朝鮮」自身に何の利益ももたらさないバカげた行為だと主張する人間が多かった。しかし、よく考えてみれば…

能力の高さと志の高さの関係

最新のマル激トーク・オン・デマンドには自民党の広報改革の中心にいた世耕弘成氏(参議院議員)をゲストに招いて議論を展開していた。広報という分野における世耕氏の能力の高さというものを強く感じる議論になっていた。いわゆる頭の切れる人間というのは、…

発想法としての弁証法と真理の判断としての形式論理学

「小泉純一郎氏は日本国総理大臣である」という命題は正しい(真)だろうか。何をそんな当たり前のことを聞くのか、といぶかしく思う人がいるかもしれないが、この命題が明らかに正しい(真)と思う人は、その正しさはいつまでも続くだろうか、という問いに…

批判の妥当性

「話」が通じない原因として、相手の言っていることを理解せずに、自分の的はずれな解釈で相手の言説を判断すると言うことがある。このとき、相手の的はずれを指摘する言説の方は、それが妥当性を持っていることをどうやって証明したらいいだろうか。場合に…

「話」が通じるための条件

仲正昌樹さんは、『なぜ「話」は通じないか』という著書で、「話」が通じない例をいくつか書いている。それはたいていは論点がずれているということで理解されるのだが、なぜ論点がずれるかといえば、双方が相手の「話」をよく理解していないことに原因があ…

イラク人質事件の際のバッシング再考

仲正昌樹さんが『なぜ「話」は通じないのか』(晶文社)という本で、イラクの人質事件の際の議論の噛みあわなさを考察している。基本的には、論点のずれがあるにもかかわらず、どちらもそれに気づかず、自分の論点の主張をしているので、議論が噛み合ってい…