2006-01-01から1年間の記事一覧

被害感情が判断の基準になる危うさ

今週配信されたマル激の議論の中で、いじめ問題を巡って宮台氏の次のような発言があった。それは、いじめに限らずセクハラ問題などでも、被害者がそう感じたと言うだけでそこに「いじめ」や「セクハラ」があったと判断するような議論があるが、これをどう考…

科学とは何か−−仮説実験の論理

「反証可能性」という言葉は、そもそも科学と疑似科学とを区別するための判断基準として提出されたように感じる。「反証可能性」を持っていれば、それは科学としての可能性(将来科学として相対的真理であることが確認されるかも知れない)を主張できる。し…

科学とは何か−−反証可能性の意味

科学というものを考える際に、多くの人が頼りにする考えにカール・ポパーの「反証可能性」というものがあるのを知ったとき、僕はこれに大きな違和感を感じた。ポパーが主張することが間違っていると言うことではない。自然科学系(=数学系)から言えば、ポ…

言葉の定義とそれを基にした思考

「2006年12月24日 バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男」というエントリーのコメント欄に pantheran-onca さんという方から 「はじめまして。参考までに。谷沢永一氏の著書によると、丸山眞男は50歳前後からほとんど仕事をしなくなったそうです。その原…

誰が真の「愛国者」なのか

「改正」された教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」「態度を養う」という文言が入っており、これが「愛国心」の押しつけになるのではないかという危惧が語られている。この法案反対の気分としては、「愛国…

成熟社会にふさわしい教育とは

宮台真司氏によれば、現在の日本は近代成熟期になった成熟社会だという。近代成熟期に入る前は、近代過渡期と呼ばれ、ここでは「急激な重化学工業化と都市化の時代」が特徴で、「国民はみな仲間だ」という国民意識が支配していたという社会構造を持っていた…

現行制度から利益を得るステイクホルダー(利害関係者)

現行制度に何らかの問題があって、それが原因で不都合が起きているとき、その不都合を解決するには制度そのものを変えなければならないと言うことが起きてくる。これは、不都合と言うことを感じなければ問題解決の動機も生まれてこない。まずは、どんな不都…

バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男

宮台真司氏の「アンチ・リベラル的バックラッシュ現象の背景」について書いたエントリーに浩瀚堂さんという方から「宮台真司氏の所説の疑問」というトラックバックをもらった。浩瀚堂さんの論旨をまとめると、次のようなものではないかと僕は受け取った。 1…

民主党提案の「日本国教育基本法」案 考察2

民主党の「日本国教育基本法」の考察をしたいと思う。基本的に、僕はマル激での鈴木寛氏の見解に感服したので、その鈴木氏が作ったこの法案にも高い評価をしている。さて、参考にするのは「日本国教育基本法案 解説書」で、前回は前文を読んでみた。その時に…

ポストモダン(後期近代)の理解から成熟社会の理解へ

「ポストモダン」という言葉は、思想家によってその意味が微妙に違ってくる言葉なのではないだろうか。それは現代の特徴を指していることは確かなのだが、あまりにも抽象的な表現なので、何を抽象しているのかが分からないと、現実のイメージに引きずられて…

「論争」の勝ち方

「論争」もどきではなく、一応マトモな「論争」の勝ち方のテクニックとして仲正さんは『ネット時代の反論述』の中でいくつか語っている。これはマトモな「論争」であるから、そこで使われる論理もマトモなものでなければならない。ということは、ある程度論…

「労働」は義務か?

内田樹さんが、「創造的労働者の悲哀」というエントリーで、またまた反発を呼びそうな表現をしている。この反発は、おそらくその表現の内容よりも「書き方」に反応して起こるものだろうと思う。それがどのような文脈で語られているかを読みとらなければなら…

「論争」に勝つことの意味

仲正昌樹さんは、『ネット時代の反論述』の中で、マトモな「論争」のためにはディベート的なやり方をしなければならないと語っている。これには僕はちょっと違和感を感じている。たぶん、ディベートというものに対するイメージが食い違っているからだろうと…

「裁判」「国会討論」「学説の対立」は「論争」か?−−現実の「正しさ」は力関係で決まる

仲正昌樹さんは『ネット時代の反論述』という本の中で、裁判について次のように語っている。 「判決文は、“正しい答え”があるかのように書かれますが、実は裁判官も弁護士も、本当の意味で「正しい答え」があるなんて信じてはいません。正義感に燃えて裁判所…

民主党提案の「日本国教育基本法」案 考察1

マル激のゲストの人選というのは、なかなかすごいと思うものがあるのだが、民主党の参議院議員の鈴木寛氏もなかなかすごい人物だと思った。非常に明快な論理を語る人だし、物事のつながりを深く洞察している人に見えた。教育基本法の問題も、教育の問題とし…

「論争」なのか「主張」の違いなのか

楽天ブログの「実りのない論争」のmsk222さんのコメントの中で、「風力発電の是非」というものが語られていた。これが「是」であるか「非」であるかというのは、一見「論争」のように見える。しかし、これは対立した主張が語られているだけなのではないかと…

マトモな「論争」の落とし穴

仲正昌樹さんの『ネット時代の反論述』では、「論争」を次の3つに分けて論じている。1 見せかけの論争 (相手に語りかけるのではなく、ひたすら味方にだけ語りかけ、味方が自分を正しいと思い、相手を間違っていると思えば成功) 2 「相手」をちゃんと見…

教育基本法「改正」法案成立の社会的背景

教育基本法「改正」案が、自公の賛成多数で可決された。「改正」と括弧付きで表現しているのは、この法案が辞書的な意味で本当に「改正」になっていると思えないので僕は括弧付きで表現している。宮台氏を始めとする多くの知識人が、この法案ではいま教育が…

実りのない論争

仲正昌樹さんの『ネット時代の反論述』(文春新書)は、「理不尽な言いがかり」に対して「反論」するテクニックを教えると言うことを謳っている。これは「理不尽」なのであるから無視して放っておくのが一番いいのだが、気持ちはむかつくし、何か溜飲を下げ…

「批判」の本当の意味

障害児教育との関わりから、以前に津田道夫さんの著書の感想を書いたことがあった。津田さんは戦後マルクス主義に詳しい人なら知っている人で、マルクス主義理論家として三浦つとむさんともつきあいのあった人だ。大西赤人さんが障害のゆえに高校の入学を拒…

『ネット時代の反論述』(仲正昌樹・著、文春新書)

仲正さんの新しい本を買った。僕が仲正さんを知ったのは、宮台氏と対談をしていたのを読んだり聞いたりしたことが最初だった。宮台氏に対しては、これはすごい人だと感じてから、その言説をもっと知るにつけその印象が強まっていくのを感じている。宮台氏の…

「バカ左翼」と「バカフェミニスト」と「バカ右翼」の関係について

「バカ左翼」「バカフェミニスト」「バカ右翼」という言葉についている「バカ」という言葉は、非常にインパクトの強い響きを持っているので、それだけで反発を感じてしまう人がいるかもしれない。だが、内藤朝雄さんや宮台真司氏が語る意味での「バカ」とは…

「仮言命題」には限界があるか?

瀬戸智子さんの「仮言命題の限界」というエントリーに関する最後の雑感として論理や仮言命題の「限界」あるいは「不完全性」について考えてみようと思う。結論から先に行ってしまうと、「仮言命題」というものを、命題論理・あるいは述語論理の範囲で考える…

「因果関係」は客観的属性ではなく主観的判断である

瀬戸智子さんの「仮言命題の限界」というエントリーに書かれている「因果関係」というのも気になるものの一つだ。瀬戸さんは因果関係については詳しく語ってはいないが、これは仮言命題と深く関わっていると僕は理解している。あまりはっきりとは覚えていな…

斉藤さんの誤読と内田さんの誤読(「フェミニズム」に対する誤解を誤読と解釈すれば)

『バックラッシュ』(双風舎)という本の中の齋藤環さんの「バックラッシュの精神分析」という文章に書かれた内田樹批判を考えてみようと思う。これは「誤読」というキーワードで解釈することが妥当なように僕には感じる。斉藤さんは、内田さんが「フェミニ…

問題意識と読書

僕はちょっと前に『バックラッシュ』(双風舎)という本を買ったのだが、この中に書かれている多くの言説の中で関心を持っていたのは宮台真司氏のインタビューを綴った「ねじれた社会の現状と目指すべき第三の道−バックラッシュとどう向き合えばいいのか−」…

「仮言命題の限界」というエントリーに関する雑感 2

瀬戸智子さんの「仮言命題の限界」というエントリーに書かれている仮言命題の真理性について気になる記述があったので、それについて考えてみようと思う。瀬戸さんは、 「前件・後件が真なら結論も真。 前件・後件が偽なら結論は偽。 前件が偽でも後件が真な…

「仮言命題の限界」というエントリーに関する雑感 1

瀬戸智子さんからライブドアのブログエントリーに「仮言命題の限界」というトラックバックをもらった。ここで論じられていることは多岐に渡り、その一つ一つに独立のエントリーが立てられるくらい論理的な問題が多く含まれている。それをすぐに論じるよりも…

絶対的真理と相対的真理(あるいは絶対的誤謬と相対的誤謬)

エンゲルスは『反デューリング論』の中で次のような記述をしている。 「真理と誤謬とは、両極的対立において運動するところ、全ての思考規定と同様、ごく限られた領域に対してだけしか、絶対的な妥当性を持たない。これはたった今我々が見た通りである。また…

バックラッシュの必然性

バックラッシュというのは、保守的な層からの過剰な反動としてリベラルの側への不当な攻撃がされるというふうに僕は解釈している。それが不当であるという判断をもっていながら、それが起こってくる必然性を考えるのは、バックラッシュの正しさを考えようと…