2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

マルクス理解の難しさ

僕はマルクスの『資本論』に何度か挑戦してその都度挫折している。それは、マルクスの叙述の抽象度の高さにあると今までは思っていた。抽象のレベルが高すぎるので、その過程を追うことが難しく、現実のどの面が捨てられていっているかを理解することが難し…

社会科学の科学性について

大塚久雄さんの『社会科学の方法』(岩波新書)というとても面白い本を見つけた。大塚久雄という名前は、学問の世界ではビッグネームだったようだが、今では一般にはあまり知られていない人なのではないだろうか。僕も初めて手にしてみたのだが、内容の面白…

多様な視点

今週配信されている「週刊ミヤダイ」では赤ちゃんポストをめぐる議論を展開している。これも、日本の戸籍制度との関連など興味深い議論を宮台氏は展開していたが、この途中で現れた「教育」というものの社会科学的な定義が僕には印象に残った。宮台氏は、「…

社会にも法則はあるか

仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんと、社会科の仮説実験授業の研究をしていた長岡清さんの共著の『社会にも法則はあるか』という面白い本を手に入れた。新書程度の軽い本なのだが、ここに含まれている社会科学というものを捉える視点というのは、数学系と…

西部邁氏と宮台真司氏の柳沢発言解釈

今週配信されたマル激の中で、ゲストの西部邁氏と宮台真司氏が柳沢発言について語っている部分がある。内容的には、僕が以前に考えていたようなものと重なると思った。それが数学系的な文脈であればさほど問題にするようなものではないと言うものだ。むしろ…

歴史には流れがある

革命と言う出来事は、社会にとって大きな変化がおこることであり、それは後から見ると何か突発的な急変が起きているように見える。しかし、時間の流れの中で、以前の出来事と関係なく新しいことが生じてくるのはフィクションの中だけの話で、現実には、どん…

新たな「構造的弱者」

内田樹さんの『下流志向』という本の中から気になる部分を抜き出して考えてみようと思う。その一つは、「構造的弱者が生まれつつある」という一節だ。「構造的」という言い方には、個人の努力にもかかわらず、それを越えた大きな枠組みの力によって影響されてい…

直接確証できない事柄の真理性をどうやって判断するか

虹が七色であるのか六色であるのかは、虹という現象を人工的に作り出して実際に数えてみれば確かめることが出来る。そのときに、錯覚をするという可能性もありうるが、とりあえずは自分の感覚を信用して判断するということが大事なことだ。権威ある言説が、…

虹は七色ではない

板倉聖宣さんの『虹は七色か六色か』(仮説社)と言う小さな本を買った。文庫サイズで60ページもない本なので30分もあれば読めてしまうのだが、この本のそこに書かれている内容は、とても大きな意味を持つ重要なものだと思った。板倉さんも次のように「は…

『下流志向』が指摘する隠された真理

内田樹さんの『下流思考』が指摘する、今までの常識とは違う、かえって反するような事柄を考えてみたいと思う。子どもたちが勉強をしなくなったと言うことや、若者があまり仕事に関心をもっていないように見えることに対して、世間の見方というのはもっぱら…

「社長目線」という視点

内田樹さんの『下流志向』という本が売れているらしい。僕も内田さんのファンなので、この本を早速買って読んでみた。確かに面白い本であり、その面白さが大衆的に受けているのであれば、この本が売れるというのも理解できる。ただ、一つ気になるのは、この…

歴史的事実に対する確たる証拠

『涼宮ハルヒの憂鬱』というライトノベルと呼ばれる小説をふとしたきっかけで読んだことがあった。そこには、世界が5分前に創造されたものだったということが語られている部分があった。それは、論理的には証明することは出来ないが、反証することも出来な…

「社会学入門講座」における数学系的記述

宮台真司氏の「連載・社会学入門」は、その内容の難しさにもかかわらず大きな魅力を与えてくれる文章だ。僕はそこに数学系の匂いを感じる。宮台氏は、あることばを説明するときに、まずはそれを明確に定義して、他の解釈を許さないような形でその意味を明ら…

数学系の思考の進め方

小林良彰さんは『明治維新とフランス革命』(三一書房)という本で、「「領主の権力からブルジョアジーの権力へ」、これが市民革命の定理と考えるべきである」と書いている。定理というのは、数学の場合に、ある公理から論理的に導かれる正しい言明(つまり真理…

繰り返し読むことで理解が深まることについて

宮台真司氏の「連載・社会学入門」という文章を、もう10数回読み返しているだろうか。読むたびに新たな発見が出来るということもあり、読み返そうというモチベーションが生まれてくるのだが、新たな発見が出来るということは前に読んだときに比べて理解が…

ことばは「ものの名前」ではない

「ことばは「ものの名前」ではない」というのは、内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』という本の中の一章だ。そこでは構造主義の先駆者としてのソシュールの業績を紹介している。ソシュールについては僕はよく知らなかった。三浦つとむさんが批判している文…

論理の流れと歴史的事実

中学校の歴史教科書の年表を見ると、1789年にフランス革命が始まる、1868年に明治維新が始まると書かれている。この年号で書かれた時期に、何か大きな変化が社会にあって、それを革命と呼んだことはなんとなく分かる。何か大きな変化があったという…

他者の経験を事実として受け取るときの認識

社会的な存在である人間は、自分だけの体験の世界だけではなく、他者の体験を自分で追体験することで世界を広げることが出来る。外界に対する広く深い認識が出来るのも、われわれが他者の経験を追体験して、自分で体験するだけでは得られないたような世界を…

歴史における進歩という観点

かつて本多勝一さんは、今の状況を見ているとだんだんと悪くなっていくようで退歩しているように感じていても、100年単位くらいで歴史を振り返れば必ず進歩しているというようなことを書いていた。これも、極めて理科系的な冷めた見方ではないかと感じる…

理科系(数学系)的発想と文科系(芸術系)的発想

江川達也氏がゲストとして出たマル激では、江川氏とともに宮台氏が理科系と文科系について言及していた。これを「数学系」「芸術系」と呼んだほうが正確だろうというような発言だったと記憶している。僕もそう感じた。日本の大学では経済学は文科系のほうに入っ…

常識をひっくり返すことの楽しさ

以前に宮台真司氏が、理論活動の醍醐味として、当たり前の前提から驚くべき結論が導けることというものを語っていたことがある。誰もがよく知っている当たり前のことからは、普通は平凡なつまらないことしか導かれないように見える。しかし、本質を捉えた理…