2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧
図書館で小林良彰さんの『複眼の時代』(ソーテック社)という本を借りた。これは昭和51年(西暦1976年)に出版されたものだが、今読んでも新鮮さを感じるすごい本だと思った。この時代にこれだけの本を書いていたのに、板倉さんが小林さんを知ったのは1…
機能主義については、僕は長い間ある種の偏見を抱いていた。「悪い先入観」を持っていたといってもいいだろう。それは、三浦つとむさんが機能主義に対して常に批判的な見方をしていたからだ。三浦さんは唯物論の立場だから、機能よりも実体の方が基礎的なもの…
仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんに『近現代史の考え方』(仮説社)という本がある。この中に「明治維新とフランス革命」という文章がある。ここで主張されているのは、「明治維新とフランス革命とは基本的に同一の革命であって、フランス革命は完全だったが明…
まだブログが主流になる前に楽天では日記形式のホームページサービスをしていた。僕がそれをはじめたのが2002年の1月だった。かれこれ5年程がたっただろうか。その楽天がまだ日記だったころ、自分のページに貼り付けていた画像などについて著作権法違…
宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送でナショナリズムについても語っていた。暮れの最後の放送で語っていたのだが、これも「目から鱗が落ちる」という体験をさせてくれるもので、それまで持っていた先入観に揺さぶりを…
戦争の記憶を語るときに、日本政府の見解が中国や韓国から批判されることがある。これは、被害を受けた人々の見方は、加害の立場での見方とは違うということを物語っているのだが、その際に「歴史認識」とか「歴史観」という言葉で語られている内容はよく考える…
宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは?」ということを語っている。これを聞いて、僕は、ホワイトカラー・エグゼンプションというものの本当の意味をようやく理解す…
宮台氏の権力の定義は非常に抽象的なものである。それは、現実の権力のイメージに引きずられると、その正しい概念を持つのに失敗する。数学における定義に近いものを感じる。数学では自然数といえば、物を数えるときに使われる数のことを指す。自然数という…
宮台氏の最新刊『宮代真司ダイアローグズ』(イプシロン出版企画)に、田原総一郎氏との対談が収められている。田原氏は、ジャーナリストとしては時に疑問符を感じることがあるのだが、ここで語られている宮台氏への観察眼は鋭いものがあるのを感じる。田原氏…
宮台真司氏が『権力の予期理論』(勁草書房)の序章「社会理論が権力概念を要求する理由」の終わり近くに次のようなことを語っている。ちょっと引用しよう。 「第1に、権力と自由とは対立するどころか、権力は自由を要請している。自由を賞揚するためには権力を…
権力というものを抽象的に考察していくと、それが合理的に機能しているときは、われわれはほとんどその存在に気が付かないのではないかと思う。権力がうまく機能していると、われわれはそれを気にする必要がないほど安定した社会が営まれているといえるだろ…
学問と呼ばれる種類の理論や科学的思考において対象として設定されるものは、ほとんどが何らかの抽象過程を経て得られるものだ。現実に存在しているものがそのまま対象になることはない。現実の対象は、抽象的対象を理解する助けとはなるが、それをそのまま…
宮台真司氏が「学生諸君が考えるべきこと〜宮台真司インタビュー[中編]」の中で語るところによれば「優等生病」とか「一番病」とか呼ばれるものは次のようなものになる。 「対米自立を長期的目標とした途端に、少なからぬ官僚は、「一流国における三等官僚にな…
現在の日本の社会状況は、規律の乱れや道徳の荒廃が指摘されることが多いのではないだろうか。学校においても、学力の低下や、自由が放縦の様子を見せるなど、いわば勝手なふるまいをする子供たちを育てているように見える。かつての日本では、人々はもっと…
『自由とは何か』(佐伯啓思・著、講談社現代新書)という本に大変興味深い記述があった。そこでは3年前のイラク人質事件に関連して、自らの自由意志でイラクに行った彼らの責任が、意志の「自由」というもので論理的に導出できるかと問いかけていた。佐伯さ…
宮台真司氏が「連載第7回 選択前提とは何か」の中で「自由」について記述している。この「自由」は「意志の自由」であり、いくつかの選択肢がある中で、その中のどれを選んでもいい・「自由」にどれかを選べるという意味での「自由」だ。面白いのは、この「…
宮台真司氏が「連載第二〇回:法システムとは何か?(上)」の中で「法」というものを語っている。この定義も、日常感覚からするイメージから言うと少しかけ離れているように見えるが、社会というシステムを理解するには有効性を感じる定義になっている。宮…
宮台真司氏が「連載第一八回:宗教システムとは何か?(上)」の中で宗教を「前提を欠いた偶発性(=根源的偶発性)を無害なものとして受け入れ可能にする機能(を持つ装置の総体)です」と定義している。これは、一般的に考えられている辞書的な定義とはかな…
内田樹さんの「「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む」というエントリーを見て、「3年」と言うことが印象に残った。個人的な経験から感じるものでは、僕が職に就いた26年前は、3年勤めればあとはいくらでも勤められたという感じがしたからだ。3年と…
わどさんから「「成熟社会」論の震源地/批評」というトラックバックをもらった。トラックバックをもらった僕のエントリーは「成熟社会にふさわしい教育とは」だ。ここで書かれているわどさんの感情的な思いというのは理解できる。「近代成熟期にはいると、…
『ファシズム』(アンリ・ミシェル著・文庫クセジュ)という本をヒントに、「ファシズム」の概念が出来ていく過程を考えてみたいと思う。概念というのは、思考を進める出発点になるものだ。たとえば数学などで、「偶数とは2で割り切れる整数のことである」…
「ファシズム」の概念やイメージについては専門家でさえも一致したものがないそうだ。これは現実を対象にした考察ではしばしばそういうことが起こるのではないだろうか。現実からある概念を抽象するとき、その対象をどういう視点から見るかで抽象の過程が違…
丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)には「思想のあり方について」という文章がある。これも講演記録を起こしたような文章で、平易な語り口で書かれたものだ。そこでは最後に、当エントリーの表題に書かれたような「二つの問題に焦点を置いてお話をした」…
僕は丸山真男という人の文章を詳しく読んだことがなかった。何となく時代の違いを感じていたことと、古典と呼ぶほどの存在にも感じなかったので、より問題意識が重なる現代的な宮台真司氏などの文章に親しんでいた。丸山真男に関しては、宮台氏が高く評価し…
三浦つとむさんに『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)という本がある。三浦さんは弁証法を「科学」と捉えていたのだが、これを板倉さんは批判していた。板倉さんの定義では弁証法は「科学」ではないからだ。板倉さんは、最初はこの表題を比喩的な…
民主党の「日本国教育基本法」の考察を続けたいと思う。「日本国教育基本法案 解説書」に書かれている第四条(学校教育)から見ていきたいと思う。ここで目に付くのは、「日本に居住する外国人」という記述があることだ。教育の現場にあまり詳しくない人は、…
「不可知論」というものを、認識には限界があることを主張するものだと定義している人がいるかもしれない。「〝学習通信〟040710 ◎「ほんとうのことは分からない」……。」には次のように書かれている。 「不可知論の考え方 「私たちの知識に原理的に限界があ…
なみふくくんから「亜インテリ論にまつわる様々な抜粋・覚え書き」というトラックバックをもらった。僕は、亜インテリが悪いというような道徳的な主張をしているのではなく、亜インテリが権力に近づき、権力を握って真のインテリを追い出すという構造に問題…
不可知論とは、辞書的には次のように説明される。 「哲学で、経験や現象とその背後にある超経験的なものや本体的なものとを区別し、後者の存在は認めるが認識は不可能とする説。また、後者の存在そのものも不確実とする説。」 これは僕は間違った考えだと思…
pantheran-onca さんが「2006年12月24日 バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男」というエントリーのコメント欄に書いた「丸山が戦時中の日本を「ファシズム国家」と規定したこと」が間違いだったと言うことは、「南京大虐殺があったか無かったか」という…