2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

現象をうまく説明する理論の真理性(機能主義との関連を考える)

量子力学について、『量子力学の基本原理』の中では、著者のデヴィッド・Z・アルバート氏は「アルゴリズム」であると書いている。「アルゴリズム」とは、形式論理に従った、ある計算法のことを指す。この「アルゴリズム」を使えば、量子現象が今どのような…

不確定性原理と重ね合わせのたとえ話 3

さて、干渉現象のような事実が排中律を壊すかもしれないということを考察してみようと思う。電子の属性としての色と硬さが、不確定性原理の下に両方の属性を「同時」に決定できないという前提のもとに考察をしている。色を測定すると、それが硬さに影響を与…

不確定性原理と重ね合わせのたとえ話 2

『量子力学の基本原理』(デヴィッド・Z・アルバート著、日本評論社)という本では、不確定性原理の説明のために、電子の属性として色と硬さというものを使っている。色と硬さという属性を観察の結果として確定しようというのだが、この二つが「同時に」確…

不確定性原理と重ね合わせのたとえ話 1

不確定性原理と重ね合わせというのは、量子力学においてはその発想の中心ともなる重要な概念ではないかと思う。この概念が非常に難しいのは、それが常識的な発想に反して、このようなイメージに従うはずという「はず」が成立しないことだ。このように難しい…

必然と偶然の弁証法性

必然性の判断、つまり必ず起こるであろうことを予測する時は、何らかの形式論理の展開による結論が提出されている。形式論理の展開による結論がなければ必然性の判断は下せない。ある物事が必然性の判断が下せないということは、形式論理的な決定が出来ない…

現実存在である人間が無限を捉えることの限界

「2006年03月03日 実無限と可能無限」というエントリーのコメント欄で、武田英夫さんという方が疑問を提出していることに、無限を捉えるときの難しさが現れているような感じがしたので、これを考えてみようと思う。無限という対象は、数学屋の場合は、これを…

みんな仲良し教育の欠陥

楽天ブログでmsk222さんが「みんなで仲よし、って…」というエントリーを書いている。ここに書かれていたことに、以前から問題意識を感じていたので、コメントを書かせてもらった。それは、みんな仲良し教育が、共同体主義を助長して、個人の主体性を育てるこ…

シェーマとしてのたとえ話

シェーマというのは故遠山啓先生が、水道方式という計算体系の教育に際して、数という抽象的対象を教えるために考案したタイルという教具の特徴を指して使った言葉である。タイルという教具は、10進法の構造を教えるための教具であり、加減乗除の計算アル…

道徳と法律の社会法則

板倉聖宣さんは、社会法則を学ぶための授業書として「生類憐れみの令」と「禁酒法と民主主義」というものを作った。これは仮説実験授業の授業書として作られたもので、社会にも法則性があるのだという科学的視点を教えるための授業所だ。過去にこういうこと…

実数の連続性

実数の連続性に関しては、数学的にはデデキントの切断という考えを使うことが多い。これは、その発想が「連続」というイメージによく合うからだろうと思う。これは、直感的に言ってしまえば、実数を大きさの順に一直線に並べたとき、その直線のどの部分を切…

無限と連続の弁証法性

数学において無限と連続が本当に意識されて考えられるのは、おそらく微分を学ぶあたりからだと思う。それまでの無限と連続は、それを厳密に正確に把握していなくても、だいたいこんなものだろうというような想像でも数学は破綻することがないのではないかと…

波が伝わるメカニズム

波の本質というのは、振動という運動が、近くの物質に次々と伝わっていく現象として見ることが出来る。波が移動して行くように見える現象は、何らかの物質が移動していくのではなくて、見た目の形が移動していくように見える。移動していくのは形であり物質…

波とはどういうものか

『量子力学』(山田克哉・著、講談社ブルーバックス)という本の冒頭には、「波の現象は、はた目で感じるほど簡単な現象ではありません」と書かれている。これは、目で見た波のイメージが、波の本質を直感的に把握させてくれるものではなく、むしろ誤解させ…

矛盾は実在するか

「矛盾は実在するか」という問いは、肯定的にも否定的にも答えることが出来る。それは「矛盾」という言葉の概念によってどちらの答も可能だ。実在する対象に「矛盾」という名前をつけて呼べば、これは実在するように名前をつけたのだから、実在するのが当然だ。…

運動の弁証法性

ゼノンのパラドックスについて考えていたとき、板倉聖宣さんの解釈をとても面白いものだと感じたことがあった。板倉さんは『新哲学入門』(仮説社)の中で「運動は矛盾である」ということについて書いているのだが、この「矛盾」というのは、弁証法的な意味での…

直感の及ばない対象を論理的に把握すること

量子力学について調べていると、極微の世界などの直感の及ばない対象に対して、どのようにして概念を作るかという問題を感じるようになった。直接眼に見ることの出来ない存在を、我々はどのようにして把握しているのだろうか。これは、極微の世界だけではなく、抽…

弁証法は科学ではない

三浦つとむさんは『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)という本を書いている。僕も若いころに何度もこの本を読んだ。そのときには「科学」という言葉にさほど注意をすることはなかった。だが、板倉さんを通じて仮説実験授業を知り、板倉さんが語る仮…

形式論理における矛盾と弁証法的発想における矛盾

萱野稔人さんをゲストに招いたマル激で、萱野さんの文章の書き方が非常にジャーナリスティックなものであることが話題になった。まずは事実の指摘があり、そこから判断されることも、誰もがそう認めざるを得ない事柄だけにとどめておき、主観的な意見というもの…

理論展開における形式論理的理解と現実解釈における弁証法的理解

ある種の理論的命題を理解するというのは、その理論が前提としていることから、論理的な整合性を持った展開を理解するということである。つまり、理解において必要不可欠なのは、そこに語られている論理を読み取ることになる。僕が、数学の学習においてまずは論理…

小室直樹氏の日本資本主義の分析

小室直樹氏が『日本資本主義崩壊の論理』(光文社カッパ・ビジネス)で展開している考察は、論理という観点から見てたいへん面白いものである。それは、理論展開の面からは形式論理的な、前提から結論を導くロジックが読み取れ、その出発点になる発想という点…

ロジック(形式論理)的センスの訓練

僕は昔からのパズルファンでそれが数学への道にも通じていたのだが、今でもよく遊ぶパズルはとと呼ばれるものだ。これは知らない人に説明するのは難しいのだが、僕がこの二つのパズルを特に気に入っているのは、それが極めて形式論理的な構造を持っていると思え…

科学と信仰

日曜日に、宗教的なパンフレットを持って訪問してきた人がいた。キリスト教の勧誘のための訪問だったのだが、僕は無神論者であることを理由に断った。そのとき、改めて自分の無神論というのはどういうものだったかというのに気づいた。僕の無神論は、神を必…

他者の報告(言語による表現)の真理性はどこで判断するか

最近気になっている問題は、他者の報告の真理性の問題だ。特に、言葉で語られたことに対して、それが正しいことをどうやって確かめるかという問題を考えている。言葉で語られたことは、意図的な嘘である場合もあるし、勘違いをしているときもある。他者の言…

資本主義的搾取の不当性

萱野稔人さんは『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)の中で、資本に関して「他人を働かせて、その上前をはねる」ということとの関連を語っている。これは、かつてのマルクス主義的な用語で言えば、「資本主義的搾取」と呼ばれるものになるのではないだろ…