2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

事実と解釈の混同

「百条委、論点整理の全議事録」に、論理的になかなか興味深い記述がいくつか見つかったので考察してみようと思う。まずは、15番目の平成15年2月17日、下水道課の問題というもので、「不可解な政策決定がなされたという事実」を巡る議論だ。これは、「公共下…

百条委の議論を分析してみた

百条委の記録を、とても全部読む気にはなれなかったので、「百条委、論点整理の全議事録」のみでちょっと考えてみようと思う。これは、2006年2月8日、長野県百条委員会の全議事録らしい。百条委の記録そのものは、膨大な量に上り、この中から本質的な…

『国家の品格』の二流性 6

ロックに関連させて、資本主義的な価値である「自由」「平等」「民主主義」などを批判した第三章の検討をしてみようと思う。この章では、ロックについて次のような記述がある。 「著書中に「人間は生まれながらにして完全な自由を持つ。人間はすべて平等であ…

発端となった事実はどういうものなのか

長野県の田中知事が告発された発端となった、下水道事業の入札制度変更の問題というのは、具体的にどういうものなんだろうか。偽証という部分の報道はたくさんあるのに、肝心のこの問題に関して詳しく報道したものが見つからない。偽証かどうかの判断には、…

イデオロギーとしての経済学

マル激の中で宮台氏が語った、「経済学はイデオロギーである」と言うことが気にかかっていた。それは、「科学(サイエンス)ではない」という意味での指摘だった。サイエンスとイデオロギーの違いはどこにあるだろうか。サイエンスというのは、その法則性が…

偽証はどのような論理によって証明されるか

長野県の田中知事が、偽証の疑いで告発されたという。偽証の中身は、「田中知事を偽証告発へ 長野県議会」というニュースによると、 「偽証があったとされたのは、情報公開請求があった公文書を県職員が破棄した問題をめぐる証言など。公開を求められた公文…

『国家の品格』の二流性 5

藤原さんは、第三章「自由、平等、民主主義を疑う」の冒頭で、「論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない」という主張をしている。これはある意味では正しい。しかし、正確な言い方ではない。正確には次のように言わなければ正しくないだろう。<人間社…

理論(論理)の目的とそのための抽象(捨象)の関係

内田樹さんの主張を、<「労働」は「贈与」である>と誤読している人に対しては、もっとよく理解してからもう一度考えてね、と言う感想しか持たないが、uprimeさんの「「定義の問題」へのコメント」の中にあった、抽象(捨象)と理論(論理)との関係に対す…

『国家の品格』の二流性 4

「論理は長くなり得ない」(55ページ)と言う記述の内容を批判することにしよう。ここでの二流性は、この議論が俗受けしやすい、論理(理屈)の攻撃になっているところだ。長い論理は屁理屈の代表のように語られ、短い論理は、短絡的な強弁のように非難さ…

論理的に考えられた論理の「出発点」

内山節さんの『貨幣の思想史』を読んでいたら、ウィリアム・ペティが国家の富を論じた部分で、その論理の出発点となるものを、実に見事に論理的に考えている部分を発見した。この出発点は、情緒をまったく排して、徹底して論理的な考察をした結果として導か…

『国家の品格』の二流性 3

『国家の品格』では「重要なことは押しつけよ」(49ページ)という議論が展開されている。これは理由なしに正しいことがあるという前提から、それは押しつけることこそが正しいという主張をしているのだと思う。これは一種の「パターナリズム」というもの…

「贈与」の考察 2

ジョン・ロックについて調べようと思って図書館で借りた本の中に『貨幣の思想史』(内山節・著、新潮選書)という本があった。これがなかなか面白かった。人間にとって貨幣がどういう意味を持っているのか、なぜ貨幣を求めるのか、というのを考察している。…

『国家の品格』の二流性 2

内田樹さんは、「藤原さんの言っていることのコンテンツについては、ほぼ95%私は賛成である」と語っていた。そういう意味では、この本はごく常識的なことを語っていると思う。それは、見方を変えれば、常識を越えるような「目から鱗が落ちる」というよう…

「贈与」の考察 1

内田さんが<「労働」は「贈与」である>と主張している、と誤読する人たちがたくさんいるのだが、これは、「2005年05月19日 資本主義の黄昏」の中の「自分が「他者への贈与」の主体になること(それが「労働」ということの本質である)」という言葉を誤読し…

『国家の品格』の二流性 1

二流性を考察するなどと言うと、何か悪口を言っているように感じる人もいるかも知れない。これが、まともな論説になるのは、感情的なすっきり感を持つための考察ではなく、あくまでも冷静な論理的考察にならなければならないと思う。そもそも二流と言うこと…

定義の問題

Kawakitaさんの「内田樹氏のエントリー「不快という貨幣」関連の言説は「俗流若者論」か?」というエントリーに書かれている「労働」の定義について、それは論点先取の間違いではないかという批判があるようだ。Kawakitaさんは、「労働」を「生み出した価値…

学者の一流性の考察

今週配信されているマル激のゲストは、青山学院大学教授で、分子生物学が専門の福岡伸一さんだった。僕は、福岡さんという人を、このマル激で初めて見たのだが、この人に一流の匂いを感じた。この匂いはどこから感じたものだろうかというのを反省してみたい…

弁証法の有効性

三浦つとむさんは、弁証法(唯物弁証法)について多くの文章を残しているが、三浦さんの専門は論理学ではない。三浦さんが専門的に研究してきたのは言語の方で、特にその基礎になる認識との関係を構造的に明らかにする理論の構築に努力してきた。未だに言語…

一流の学者の条件

一流の学者について、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、「哲学的な科学者」と言うことを語ったことがあった。ここで言う「哲学的」とは、板倉さんが語る意味での「哲学的」と言うことであって、普通一般に辞書的な意味で語られている「哲学的」ではな…

二流問題の考察−−簑田胸喜の場合(その3)

「蓑田胸喜の時代」に記述された資料の考察を続けようと思う。まずは、北一輝に対する批判があるので、ここから簑田の具体的思想が読みとれる。僕は北一輝についてはよく知らないのだが、一流の匂いのする人間だと感じる。その一流かも知れない人間に噛みつ…

間違った論理の分析の論理トレーニング

sivad氏が、またも噴飯ものの間違った論理を展開している。人の悪口を言うときは具体的な指摘をせずに、どこかから拾ってきたような理解もしていない「反証可能性」という言葉を振りかざせば批判したつもりになれるようだが、自分の主張を展開するときは、論…

二流問題の考察−−簑田胸喜の場合(続き)

「蓑田胸喜の時代」から、考察の目的のいくつかが理解出来るようになった。その思想の二流性は、理想が高潔なものでありながら、実現する手段が安易な方向のものであり、「観念論的妄想」と呼んでもいいような愛国・天皇賛美から発しているところにあると僕…

二流問題の考察−−簑田胸喜の場合

「『狂気乱舞』」と題されたページに、簑田胸喜に関する膨大な資料がある。ここに書かれている簑田胸喜の姿を考察することによって、二流問題というものを考察してみようかと思う。考察のポイントは次のような所だ。 思想の二流性(本質からはずれた末梢的な…

「反証可能性」について

sivad氏の「証明問題とニセ科学 」というエントリーに語られている「反証可能性」という言葉の理解の間違いを批判しよう。この間違いによって、彼がいかに科学と論理について本質的な理解をしていないかが分かる。彼は、このエントリーで次のように語ってい…

二流問題

二週間前に、マル激トークオンデマンドでは、神保哲生氏の小学校時代の同級生という『拒否出来ない日本』(文春新書)の著者の関岡英之さんをゲストに招いて議論をしていた。その議論の中で「二流問題」というものが提出された。例えば竹中大臣は、学者が政…

やっぱり感想程度の意見だった

sivad氏からトラックバックをもらったので、それを読んでみたのだが、表題のように「やっぱり感想程度の意見だったのね」という感想を持った。感想というのは、論証したのではなく、「そう思った」と言うことだ。「思う」だけならそれは何を思おうと自由だ。…

一流の学者と二流の学者をどこで区別するか

この区別は、僕の場合はかなり直感的に、いわば匂いをかぐようにして判断している。それだけに、それを言葉にして説明するのはかなり難しさを感じる。例えば、僕は、宮台真司氏を「超」がついてもいいくらいの一流の学者だと思っている。それは、初めて宮台…

マル激の議論を論理的に理解してみる

2週間前にマル激で配信された『拒否出来ない日本』の著者・関岡英之氏を迎えての議論が気になって、もう10数回繰り返して聞いている。論理トレーニングの応用問題として、ここで展開されている議論の分析というものをしてみようかと思う。まずは、議論さ…

誤読の原因

内田さんの次の言葉 「自分は「他者からの贈与」に依拠して生きているが、自分が「他者への贈与」の主体になること(それが「労働」ということの本質である)を拒否する。」 (「2005年05月19日 資本主義の黄昏」) を誤読する人がかなり多いらしい。ここに…

論理トレーニング 10  議論の構造

「順接の論理」「逆接の論理」では、個々の短い主張の関係を「順接」と「逆接」というもので分析していた。これは、議論の部分に注目するもので、数学で言えば「微分」に当たるようなものと言えるだろうか。変化を解析するときに、「部分」に注目して、短い…