2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「北朝鮮」は合理的思考の結果として核兵器開発をしているのか

核兵器の是非を考えるときに、「北朝鮮」の立場からこの問題を考えることに論理的な違和感を感じる人がいるかもしれない。それは「北朝鮮」を擁護することになり、「北朝鮮」の核兵器開発を承認することにつながるのではないかという疑問を生むのではないか…

脱ダムの現場で考える

msk222さんと一緒に、ワインオフ会の二日目を利用して脱ダムの現場を見てきた。ワインオフ会そのものの報告は、他の参加者がしてくれると思うので、それには触れずに、この脱ダムの現場について語ろうと思う。この現場を見たからと言って、素人が分かること…

行為と体験−−責任を考える視点

宮台真司氏が「連載第一三回:「行為」とは何か?」(社会学入門講座)で説明している「行為」と「体験」という言葉は、「責任」というものを考える上で役に立つ抽象概念になっている。「責任」という概念は、自然科学的に、対象に存在すると言うことを証明…

核兵器の是非の議論

ひよこさんから「「妨害」という判断は正しいか?」のコメント欄で核兵器の是非の議論について呼びかけられた。これは、極めて論理的な対象ではないかということで呼びかけたようだ。確かに、これが議論の形をなすなら、それは論理的なものになるだろう。核…

「妨害」という判断は正しいか?

ヤフーのニュース「<君が代>卒業式で斉唱妨害 教諭の処分取り消し 道人事委」というのは、具体的な現実の出来事に対する判断、つまり命題の真偽に関する判断についてなかなか面白い考察を与えてくれる。この見出しを見る限りでは、卒業式で君が代の斉唱を…

現実的対象からの抽象と、抽象概念の現実的対象への適用

三浦つとむさんがマルクスについて語った部分だっただろうか、抽象的思考の上り下りというようなことを言っていた。上りというのは、具体的な対象からある属性を抽き出し他の属性を捨てる(捨象)ことを意味する。抽象とは同時に捨象であるということを新た…

命題の真偽の判断における二つの要素(定義の問題と事実情報の確認)

命題の真偽を判断すると言うことは、その主張が正しいか正しくないかを判断すると言うことである。普通は、両方の判断が両立すると言うことはない。ある命題が正しいと判断されれば、それは同時に正しくないということは言えない。肯定と否定が同時に成り立…

神の概念の存在と神の実在

沈思黙考さんから、「ウィトゲンシュタインの「世界」」へのコメントで、大変興味深いものをいただいた。とても短い文章のコメント欄では答えられないくらい多くの内容を含んでいるものなので、新たなエントリーで自分の考えをまとめておきたいと思った。沈…

上祐史浩氏の人間的成長

上祐氏がマスコミに華々しく登場していた頃は、「ああ言えば上祐」と揶揄されたように、屁理屈をまくし立てる詭弁家としてのイメージが強かった。上祐氏はディベートの専門家で、相手を言い負かす理屈の立て方には長けている人間だった。しかし「ああ言えば…

学校という社会システムの秩序

宮台真司氏の「連載第五回 社会システムとは何か」によれば「社会システム」というものは「行為」というものを要素とする。システムの要素であるとは、それが互いの同一性の前提となっているようなループを構成していると言うことだ。つまり、ある行為を前提…

抽象概念としての「秩序」と現実の「秩序」

宮台真司氏の「連載第四回:秩序とは何か?」に書かれている「秩序」という概念の理解に努めてみようと思う。ここで説明されているのは抽象概念としての「秩序」である。具体的な、日常生活の中で見られる「秩序」という現象の説明ではない。具体的な「秩序…

抽象理論の現実への応用の論理的構造を考える

数学というのは、それ自体は抽象化された世界を記述する理論になっている。ある意味では現実とは全く関係のない世界を独自に創造しうる。しかしそれは、ある条件の下に現実に適用され応用される。応用を考えられていない、理論のための理論という抽象論はあ…

パターナリズムの問題点

「夫婦別姓」の問題と「日の丸・君が代強制」の問題は、全く別の問題のように見えるが、そこには共通した構造も見ることが出来る。それは、どちらも選択の自由がなく、自己責任による自己決定権を持たないと言うところだ。法的に認められた結婚をしたいと思…

ナショナリストとポピュリズム

安倍新総理の人気の要因の一つにナショナリストであるということが言われている。ナショナリストというのは、いろいろなイメージを持った言葉で、僕などはあまりいい印象を持っていない。だから、人気の源泉がナショナリストであるということにあると言われ…

新聞社説に見る「日の丸・君が代強制」に関する考え方

山陰中央新報の「国旗掲揚・国歌斉唱/自然体で定着させよう」という社説には共感出来る事柄が多い。ここでは、東京地裁が示した判断で、「国旗に向かって起立したくない教職員や国歌を斉唱したくない教職員に懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは…

自由が保障されている権利の根拠を考える

民法改正によって、「選択的夫婦別姓」という行為を法的にも正当な行為にしようという方向は、「姓(=法的な氏)を自由に選択する」という行為が、自由の行使として正当性を持っていると考えられるならば、そこには反対する理由は何もなくなる。自由として…

「選択的夫婦別姓」は家族の絆を壊すか?

家族という面から「選択的夫婦別姓」に反対している考え方を論理的に検討してみたいと思う。エントリーのタイトルは反語的に使ったもので、僕の直感としては「そうではない」という結論を導きたいと思っているものだ。その論理展開のポイントは、「選択的夫…

憲法で保障された「思想・良心の自由」

「思想・良心の自由」というものをひどく勘違いして理解している人がいるような気がする。「思想」と「良心」というものを、辞書的に解釈すると平たく言えば次のようなものになる。 「思想」=「心に思い浮かべること・考えること・考え」 「良心」=「善悪…

靖国神社の遊就館の記述修正続報

PPFVさんが「[毎日新聞]靖国神社遊就館:米が批判の記述修正 アジア関連は変えず」というエントリーで紹介している毎日新聞の「靖国神社遊就館:米が批判の記述修正 アジア関連は変えず」という記事に、非常に興味深い内容が書かれている。この修正に関して…

脱ダム宣言の正しさを論証する

永井俊哉さんが「脱ダム宣言は間違いだったのか」という文章を書いている。このタイトルは反語的な意味を込めて使っているもので、結論としては「間違いではない」と言うことを主張している。永井さんは結びの言葉で、 「洪水対策、給水、発電といったこれま…

高市氏の行為の意味を考える

高市氏の行為の意味というものを考えてみようと思う。それは、現象として見た場合には、誰もが同じ記述をするような客観的な側面を観察することが出来る。宮台氏が定義した「行動」という側面で言えば、次のような記述は誰も反対しない事実と言うことになる…

「夫婦別姓」は「夫婦別姓」ではないのかどうか

高市早苗氏が、結婚して山本性になったはずなのに、未だに高市姓を名乗っているのは「夫婦別姓」ではないかという素朴な疑問を考察している。高市氏は、「夫婦別姓」を法的に認めるという法案に反対していたので、この行為は、反対していたことを自ら行うこ…

ある定義に従っていることの論理性を考える

昨日のエントリーの「「知られていない重要な情報の集め方」のコメント欄」で、mizoreさんから貴重な情報をいただいた。高市氏の言動に関する情報で、高市氏が結婚しているにもかかわらず、夫婦で違う姓を名乗って活動しているのは、「夫婦別姓ではない」と…

知られていない重要な情報の集め方

僕は、神保哲生・宮台真司両氏の「マル激トーク・オン・デマンド」で新しい情報に接することが多い。ここで接する情報を新しいと感じるのは、それが他の媒体では得られないからだ。特にマスコミのニュースでは決して流れてこないような種類の情報がここには…

文脈を理解することの難しさ

三浦つとむさんは『言語学と記号学』(勁草書房)の中で「「差別語」の理論的解明へ」という論文で、文脈を理解することの重要性を語っている。これは、三浦さんの言語学からすれば当然の主張ではないかとも感じる。「差別語」であるかどうかを判断するのは…

安倍さんの所信表明演説の論理性を考える 2

安倍さんは所信表明演説(全文は「読んでみる?安倍首相・所信表明演説の「全文」」)の中で「美しい国、日本」について次のように語っている。 「一つ目は、文化、伝統、自然、歴史を大切にする国であります。 二つ目は、自由な社会を基本とし、規律を知る…

安倍さんの所信表明演説の論理性を考える 1

安倍新総理の所信表明演説の全文が「読んでみる?安倍首相・所信表明演説の「全文」」と言うページで読むことが出来る。この演説の論理性というものを検討してみようと思う。論理性を検討するというのは、そこに書かれている主張が正しいかどうかを検討する…