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僕は、本格的にインターネットを始めてからはかれこれ7,8年は過ぎただろうか。最初はメーリングリストという、メール中心のネットワークで交流をしていた。そのころから、文章だけでのやりとりは、一度感情的にもつれてしまうと収拾がつかなくなるところがあった。
それでもメーリングリストは、まだ閉じられたネットワークだったのでその影響は他に及ぶことはなかった。やがて、ホームページというものがもっと手軽に持てる時代になってから、掲示板での交流というものを経験するようになった。
はじめは既存の掲示板に書き込みをするだけだったのが、楽天が手軽な日記形式のホームページを提供していたので、それによって自分の掲示板を持つということも出来るようになった。このときに、掲示板に書き込まれたコメントを削除するということで、つまらないやりとりがたくさんあったのを記憶している。
僕は、基本的には、そのコメントを管理者が気に入らないと思ったら、その理由だけでいくらでも削除してかまわないと思っていたのだが、インターネットという世界には、世間とは違う独自のネチケットいうものがあって、「公共性」を唱えて、そのコメントの削除に抗議する者がいた。
その管理者を不愉快にするようなコメントを勝手に書き殴っていく人間の方が、よっぽど「公共性」に欠けていると僕は思っていたのだが、自分が書き込むのは自由で、それを削除するのは自由で無いという勝手な論理で抗議をしているのがたくさんいたのを覚えている。
こういう低レベルな議論が当時の掲示板にはあふれていたので、僕は掲示板で議論をするなどと言うことに嫌気がさして、掲示板などというものは必要でないときは閉鎖することにしていた。
最近では削除を巡る低レベルの議論は見かけなくなったので、その分だけインターネットの常識も進歩したのかと思いたいが、単にそう言う遊びに飽きただけであるのなら、まだレベルは上がっていないのかも知れない。
また、ブログになってからコメントの管理などもかなり細かくできるようになったので、削除する前にコントロール出来るようになった。だから議論そのものが表に現れなくなったのかも知れない。
インターネットの常識そのものが進歩して、低レベルの議論が淘汰されたのなら大歓迎なのだが、技術の進歩によって表面化しなくなっただけのことならば、まだ進歩は十分とは言えないかも知れない。楽天でも、どちらかというと初心者のブログがねらわれて荒らされるような所もまだあるという。低レベルの議論が、初心者の所に集中しているとしたら、技術の進歩によってかえって大きなマイナスをもたらしているとも言えるだろう。