知られていない重要な情報の集め方


僕は、神保哲生宮台真司両氏の「マル激トーク・オン・デマンド」で新しい情報に接することが多い。ここで接する情報を新しいと感じるのは、それが他の媒体では得られないからだ。特にマスコミのニュースでは決して流れてこないような種類の情報がここにはあふれているのを感じる。

今週のマル激は無料放送をしているので、関心のある人は聞いてみるといいと思うが、山口二郎さんをゲストに招いたその放送で、遊就館の展示が、アメリカの要請で変えられると言うことを語っていた。これは知っている人は知っているのだろうが、僕はマル激を聞いて初めて知った。

この情報が正しいというのは、神保・宮台両氏それから山口二郎さんに対する信頼感から、まず間違いはないと思ったが、インターネットで検索をして一応確かめてみた。そこでヒットした情報は次のようなものだ。

1の記事によれば

「また最近では、外交評論家の岡崎久彦遊就館の展示説明文に疑問を呈した(「【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 遊就館から未熟な反米史観を廃せ」)ところ、何ら反論することなく直ちに修正(「社会 靖国・戦史博物館、展示内容変更へ 歴史観が一面的と」)した。」


と書かれている。遊就館の「反米史観」というのは、2の記事によれば次のようなものだ。

遊就館の展示によれば、『大東亜戦争』は、ニューディール政策が大不況を駆除できなかったので、資源の乏しい日本を禁輸で戦争に追い込むという、ルーズベルト大統領の唯一の選択肢として起こされたものであり、その結果、アメリカ経済は完全に回復した、と言う。これは唾棄(だき)すべき安っぽい(あるいは、虚飾に満ちた、不誠実な=dis−gracefully meretricious)議論であり、アメリカ人の中で、アンチ・ルーズベルトの少数ながら声ばかりは大きい連中が同じようなことを言っていた」


このような反米史観に対して、この記事を執筆した岡崎久彦氏は、

「戦時経済により、アメリカが不況の影響から最終的に脱却したことは客観的な事実であろうが、それを意図的にやったなどという史観に対しては、私はまさにウイル氏が使ったと同じような表現−歴史判断として未熟、一方的な、安っぽく、知性のモラルを欠いた、等々の表現−しか使いようがない。

 私は遊就館が、問題の個所を撤去するよう求める。それ以外の展示は、それが戦意を鼓吹する戦争中のフィルムであっても、それは歴史の証言の一部であり、展示は正当である。ただこの安っぽい歴史観靖国の尊厳を傷つけるものである。私は真剣である。この展示を続けるならば、私は靖国をかばえなくなるとまであえて言う。」


と書いて、この展示内容を変更するよう主張していた。そして、靖国側はこの主張に応えて「何ら反論することなく直ちに修正(「社会 靖国・戦史博物館、展示内容変更へ 歴史観が一面的と」)した」とウィキペディアには書かれている。

間違えていたから修正したと言われると、それは正しいように思われるかも知れないが、何か釈然としないものを感じる。それは、アメリカから言われるとすぐに変えるというふうに見えるような所だ。今までずっと主張していたことに関して、靖国神社側は、それが正しいという確信を持っていなかったのだろうか。岡崎氏に指摘されたくらいで、簡単に変えることが出来るほど、その間違いは明らかだったのだろうか。

間違いだったと靖国側が判断したのなら、それを今まで正しいと思って展示していたことについても説明する必要があるのではないだろうか。なぜ間違っていたことを正しいと思ってしまったのか、その説明がないのに、簡単に修正してしまったら、ご都合主義的に何か都合が悪かったから変えたのだと疑われても仕方がない。

宮台氏は、これが本当に愛国的な態度なのかと批判していた。強いアメリカに批判されたら、それにしっぽを振るようにしたがってしまうというのは、ヘタレ保守であり、真の愛国とは似ても似つかない国粋に過ぎないと言うのが宮台氏の見方だったように思う。国粋というのは、国という権威に寄りかかって吹き上がるだけの弱者の思想だと言うことだ。自分たちが寄りかかっている日本が、さらに寄りかかっているアメリカに言われたことだから、何も反論出来ないと言うわけだ。

アメリカの指摘が正しいとしたら、論理的に整合性を取らなければならないことが他にも出てくるだろう。日本がやむを得ず戦争に突入したのは、アメリカからそうし向けられたからだと言っていたことを、アメリカはそういう意図はなかったとするのなら、なぜ日本は戦争を開始する国になったのかと言うことを論理的に整合性があるように解釈しなければならなくなる。

アメリカが日本を追いつめたのでなければ、日本が拡大の道を取ったのだとしなければ、論理的なつじつまが合わなくなるのではないだろうか。拡大の道を取る思想的な背景は二つ考えられる。一つは、利権拡大の侵略という道だ。しかし、これは靖国神社として主張することは出来ないだろう。だからもう一つの道である亜細亜主義こそが戦争拡大の思想だったと考えなければならないのではないかと思う。

アジア全体を欧米の侵略から守るための、大アジアで統合するという目的を持った亜細亜主義があったからこそ、日本はアジア各地で欧米の侵略者を追い出すために戦争を開始したと言わなければならないだろう。これが現実の事実と整合性を持つかという、別の意味での論理的整合性の問題はあるものの、アメリカの陰謀説を否定するなら、こちらの方向へと解釈を変えなければならないのではないだろうか。

現実との整合性が取れないとき、つまり亜細亜主義が日本の思想の本流ではなくなったりしていたとしたら、その思想がどこで変節したかという問題も考えなければならなくなるだろう。いずれにしても、戦争の原因がアメリカの陰謀説にあるという記述を取り外したら、それで歴史問題が解決するのではないと言うことは覚えておいた方がいいだろう。今後靖国がどのように、他の出来事に論理的な整合性を取っていくかに注目していきたいと思う。

この情報は、マル激で聞かなければなかなか気づかなかった情報だと思う。貴重な情報を伝えてくれる媒体として、マル激が優れたものだというのを感じる。

それから高市早苗氏に関する情報も面白いものだった。安倍内閣で入閣した高市氏は、夫婦別姓への反対者として有名だった人物だ。その高市氏が、自民党の山本拓衆院議員と結婚したというニュースが流れたのは2004年のことだったらしい。「高市早苗&山本拓、結婚」というブログ・エントリーに書かれていた。

このエントリーでも最後に

「なお、記事中にあるように、高市は議員時代に有数の「夫婦同姓」論者として知られていたが、政治活動上の名前については「今後、検討する」とのこと。おいおい、とツッコミを入れたくなる。そこは即答しろよ。いまさらになって、選挙活動に不利になるってな理由だけはしないでいただきたい。」


と書いている。ここで指摘しているように、高市氏は、「夫婦同姓論者」が、同性を名乗らないことに対してつじつまが合わないと言うことを説明しなければならないと思う。「安倍内閣 閣僚名簿」にも「高市早苗」と記述されているのだから。

夫婦同姓論者であれば「山本早苗」と名乗るか、夫の方を「高市拓」と名乗らせるかどちらかでなければならないのではないかと思う。推測では、「高市早苗」という名前の方が知名度が高いので、議員活動をするにはその方が有利であるという判断が働いているのだと思う。しかし、これは自身が反対した「夫婦別姓」の理由になるのではないだろうか。

高市氏は、言っていることとやっていることとの違いがあることを説明する責任があると思う。公人として当然果たすべき説明責任があると思う。高市氏が、自らの名前を夫婦同姓にしなければ、論理的には「夫婦別姓」に反対する正当性はなくなると思う。神保氏が言っていたが、このことを誰も高市氏に質問しなかったそうだ。だから、このことを知らないで、安倍内閣の閣僚名簿に載った「高市早苗」という名前を、何気なく眺めていた人が多かったのではないだろうか。

これは、政治家の倫理の問題として非常に重要なものだと思う。それを知らせなかったマスコミはやはりジャーナリズムとしては信用出来ない。マル激のように、真のジャーナリズム精神を持ったメディアを一つ知っておいた方がいいだろう。そこからこそ貴重な情報が得られる。