不確定性原理と重ね合わせのたとえ話 2


量子力学の基本原理』(デヴィッド・Z・アルバート著、日本評論社)という本では、不確定性原理の説明のために、電子の属性として色と硬さというものを使っている。色と硬さという属性を観察の結果として確定しようというのだが、この二つが「同時に」確定することができないというたとえ話で、どちらか一方が確定できないということに不確定性原理の本質を見る説明をしている。

これは、実際に色と硬さを観測して、それが観察の結果として確定できなかったことからそう判断するという説明をしているのではない。色と硬さというのは、仮に設定した属性であって、だからこそこの説明はたとえ話として受け止めなければならない。たとえ話としてはどんな属性を設定してもいいのだが、単純化するためにこの二つが選ばれたというように僕は感じた。

このたとえ話を、色と硬さという現実の具体的な属性からイメージすると、それが「同時」には確定しないということの理解が難しくなる。現実にはそのようには思えないからだ。電子の世界のことを語っているのでそうなのかも知れないと感じたりするかもしれないが、これはあくまでもたとえであって、いわば「ネタ」の話であって、これを「ベタ」にそうだというように受け取るとやはり理解を間違えるだろう。

このたとえが、話を単純化するためのものだというのは、色に関しては「黒」か「白」かという二つだけ、硬さに関しても「硬い」か「軟らかい」かの二つだけを属性として認め、他の中間的な判断を認めないという前提から感じる。二つのうちのどちらかを観察の結果として提出するのは、どちらも同じだけの可能性・つまり確率としては50%であると仮定されている。これは、不確定性の観察の結果を予想するには楽に計算できる単純化になっている。

さて、この色と硬さという属性は、実際の電子の不確定性を語るものではないので、現実の電子の考察によって不確定性原理を考えようというものではない。逆に、現実の電子とは関係なく、つまり現実の具体性を捨象して、不確定性原理というものだけを抽象して、これが形式論理に従う合理的なものであるなら、どのような論理構造を持っていなければならないかを考察するためのたとえとしてこれらが提出されている。色と硬さという属性が、不確定性原理の下にあるなら、この属性の観察はどのようになるかというのを考えて、そこから不確定性原理というものの本質を理解する学習をしようというわけだ。

不確定性原理というのは、色と硬さという二つの属性が、それが「同時」に確定しないという原理だ。これは「同時」に確定しないということが本質であって、単独で観察するときにはどちらかに決定できなければならない。どちらかに決定できるというのは、例えば色を判定したときに「白」と判定された電子は、その状態に何の変化も与えずに、もう一度色を測定すれば必ず「白」と判定されるということだ。

色を測定する機械を色計とでも名付けると、一つの色計で「白」と判定された電子を、そのまま同じ構造をもった色計でもう一度判定すれば、必ず「白」と判定されるという、「白」と確定された色は、突然変わったりしないということだ。何ら影響を与えていないのに、ある時は「白」で、違うときに「黒」になったりすれば、色は単独でも不確定になり、そもそも色という属性があるのかどうかが疑わしくなる。

色という属性も、硬さという属性も、単独では決定可能であるにもかかわらず、それを「同時」に決定しようとすると、どちらか一方が不確定になるということが不確定性原理の本質的な意味になる。それがなぜかという疑問を抱いたとしても、今はそれを考えない。あくまでも、このような原理が従う形式論理的法則性のほうを求めたいと思う。形式論理的法則性とは、矛盾律排中律が従うような合理的解釈を求めるということだ。

さて、ここで確定するとか、確定しないとかいうイメージを形式論理的に正確に表現しておきたいと思う。それは確率的な言い方で定義される。確定するというのは、色で言えば「白」であることの確率が100%になるとき、その色は「白」であると確定したと考えることにする。確率が100%にならない時は、「白」であるとは確定しない。色を「黒」と「白」の二つに限定したのは、確定する時は確率が100%、確定しない時は確率が50%になると考えることが出来るので、計算が単純化されて都合がいいのだと思われる。

さて、硬さを確定したときに色が不確定になるというのは、色計に入れる前の色が分からないということでもある。これは、一般的にまだ観測していない色は、観測前には分からないはずなのだが、一度色計で判定しておけば、その色はとりあえず確定したものと考えることが出来る。その確定したはずの色が、硬さを測る硬さ計を通すと、確定しなくなってしまうということが不確定性原理で見られる現象となるだろう。論理構造としてはそうなる。

色計と硬さ計の流れとしては次のような感じになるだろうか。


   電子を色計に入れて色を判定する
     ↓
   色計で色が「白」と確定する
     ↓
   硬さ計にそれを入れて硬さを判定する
     ↓
   「硬い」あるいは「軟らかい」と確定する
   このとき、電子の色は不確定性原理によって不確定になる
   色計にその<硬さが確定した電子>を入れて色を判定する
     ↓
   色計から電子が出るまで、それが「白」か「黒」かは分からない
   一度色は「白」と確定したはずなのに、50%の確率で「黒」が出てくる


不確定原理が働く属性においては、一度確定した属性が、不確定になるようなペアの相手の観察によって変えられてしまうということが起こる。硬さの観察は、色という属性を撹乱してしまう。そして、不確定性原理によれば、この撹乱には法則性はない。それがどのようなメカニズムで「白」を「黒」に変えるかは分からないのだ。確率という偶然の表現を使って、50%が「黒」に変わるということしかいえない。それは、もしそのようなメカニズムが発見されたら、電子の色は観察前に決定できることになり不確定ではなくなるからだ。

不確定性原理の本質は、互いの観察が影響を与えて、一度確定した判定を分からなくさせてしまうというところにある。確定が確定でなくなるところに不確定性原理の本質がある。これは、なぜそうなるのかという理由がわからなくても、このような論理構造が形式論理的には整合性があるように解釈できるということは分かる。それは、互いの観察が影響を及ぼしあうという解釈で、矛盾を生じることなく解釈できる。

このときに、「黒」であると同時に「白」だというようなことが起これば、「黒である」という肯定判断と「黒でない」という否定判断が同時に成立することになって矛盾律に反することになる。そうなれば、形式論理は破綻して合理的な理解が出来なくなる。しかし、そのようなことが起こらなければ、形式論理に従った解釈が出来る。

また、「黒である」か「黒でない(すなわち白)」という肯定と否定は、どちらか一方が必ず確定できるなら、排中律に従うことになり、形式論理を破綻させずにすむ。色計で、緑などという結果を出すことはない。色を「黒」と「白」の二つに設定したのは、単純化するという意味で分かりやすいものになる。

さて、不確定性原理そのものは、その論理構造は形式論理に従うものであり、そこに何ら不思議なものはない。そういう性質を持った属性が存在すると考えることは出来る。不確定性原理が、それ単独で考察の対象になっている限りでは何ら問題ではない。しかし、光子の干渉現象のようなものを考えると、これが形式論理に反するような印象を与える。

光子は、二つの穴があいたスリットを通って壁の向こうに達するときにどこに達したかという位置情報について、縞模様のような跡を残す干渉現象を起こす。電子が二つの穴のどちらを通ったかという運動は、縞模様の干渉現象という位置情報が確定した時は、運動の状態は確定しない。どちらを通ったかは分からない。

これを、どちらが通ったかが分かるように穴の一方をふさいでしまうと、位置情報の偏りを見せるような干渉現象はなくなる。位置情報は、多い部分と少ない部分が確率に従った分布をするだけで、どこに達するかは偶然性に支配されて確定しない。どちらを通ったかわからないというときに、波のような干渉現象を起こすということが、色と硬さの比喩においても次のように語られる。

電子を硬さ計によって硬さを確定すると、色に関しては不確定になるので、硬さ計で「硬い」と判定された電子は、色計では「白」と「黒」が50%ずつ判定される。「軟らかい」と判定された電子も、次に色計に入れると50%ずつ「白」と「黒」が判定される。これが不確定性原理だった。

それでは、一度硬さが確定した電子を、またまぜこぜにした後で色計にかけたらどうなるだろうか。硬さが確定した時は色は確定しなくなった。ところが、まぜこぜにした後では、色計の判定は100%「白」になったりする。つまり色が確定してしまうという現象が起こる。流れを矢印で考えると次のようになる。


  色計によって電子の色を判定する
    ↓
  「白」と確定した電子だけを取り出す
  その「白い」電子の硬さを硬さ計によって判定する
    ↓
  「硬い」あるいは「軟らかい」と確定された電子を、別々に色計にかけるのではなく、それが一緒になるような工夫をする(上記の著書では、鏡を使って、電子の流れる方向を変えて一緒にすることを考えている)
    ↓
  一緒になった電子の色を色計で判定する
    ↓
  100%「白」という判定がされて出てくる


「白」の電子が、硬さ計を通ったにもかかわらず、また100%「白」と判定されて確定している。これは、硬さ計が色を乱すという事実に反しているのではないだろうか。硬さ計を通った電子の色は、たとえ最初白くても、観察の結果は「白」と「黒」が50%ずつになるのではないだろうか。

これは、干渉現象を考える上での比喩になっている。干渉現象では、スリットのどちらを通ったかということが確定しない時は、その運動の不確定さが影響して、位置の偏りという干渉現象で、位置の確定に近い現象を見ることが出来る。上の実験は、色と硬さの不確定性原理は、干渉現象のような波動性を見ることが出来るということのたとえになっている。

上記の工夫で、一度硬さが確定した電子をまた一緒くたにするというのは、硬さに関する情報がまた確定しなくなることを意味する。それは本当は確定したはずなのに、わざわざ確定しない状態に戻すようなことになる。そうすると、確定しないはずの色の属性が、一緒くたにしたことによる干渉現象で、「白」である可能性の50%ずつが増幅されて100%になり、「黒」であることの可能性の50%ずつが互いに打ち消しあって0(ゼロ)%になるということではないかと考えられる。

結果的には、「白」がそのまま「白」として出てきたように見えるので、不確定性原理を否定したようにも見えてしまうが、実は、いったん不確定になった色が、干渉現象のようなもので確定したように見えただけなのだと考えられる。これは確率が50%という計算しやすい数字なので、このような現象になってしまうのだと思われる。

この干渉現象そのものは形式論理を否定しないように思われるが、光子がどちらのスリットを通ったかと考えると形式論理が破綻するように見えたように、100%「白」と判定される電子が、果たして「硬い」と判定されてから色計に入ったのか、「軟らかい」と判定されて色計に入ったのかを考えると形式論理を破綻させるように見える。これは、確定できないということが不確定性原理なのだが、どちらかに決まってくれないと排中律が否定されたように感じるのだ。これを形式論理がどう整合的に扱うかという問題は面白いものだと思うが、すでにかなり長い文章になったので、改めてまた論じてみたいと思う。