論理トレーニング 9 (接続の構造)


さて、前回積み残した問題の解答を考えてみよう。問題は次のものだ。

問2 次の文章を読んで問に答えよ。
「優秀な技術は、もちろん販売を成功させるための一つの要素ではあるが、その寄与する程度を過大に評価してはならない。技術の独占は意外と長続きしないのである。むしろ、

  • 1 販売力の伴わない技術は、かえって経営を危うくする。
  • 2 どんなに素晴らしい製品も、それが一度発表されたということは、技術的な可能性が証明されたということであり、やがては必ず真似されるということである。だから、
  • 3 もし販売力が弱体なら着想を他人に教えただけのことになって、その製品のウマ味はすべて競争相手がモノにするだろう。

そして、この例は実に多いのである。
ここに我が国でも有数の製薬会社がある。その会社では新製品を他社に先駆けて出すということは滅多にしない。その代わり他社が発売すると、販売方法、その製品の売れ行き、購買層などを徹底的に調べる。このデータはおそらく発売した当の会社よりも遙かに詳しいであろう。そしてよいとなったら、直ちに全力を挙げてスタートし、会社の販売力にものをいわせて数ヶ月のうちに猛然と追い抜き、やがて皆が気がついてみると、トップ・メーカーとなっていたというやり方をしている。

  • 4 このような方法は、ある意味できわめて合理的である。というのは、
  • 5 全く新規な製品を出すときは、市場がそれをどう受け取るか、信頼度の高い予測をすることは難しい。だから、
  • 6 このように計画的に他社の後手に回れば、相手が一つの市場実験をしてくれて、データが有り難くいただけるわけである。しかも、
  • 7 そのデータは再現性がはなはだよい。したがって、
  • 8 当たるかどうか分からない新製品を他に先んじて出すことに比べれば、失敗の危険性を最も小さくできるわけである。

この方法は販売力に十分の自信があるときには、利口な方法ということができよう。」
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(1)1〜3の接続構造を記号と番号を用いて図示せよ。
(2)4〜8の接続構造を記号と番号を用いて図示せよ。
(3)下線部の「この方法」の内容を述べよ。


この(2)の解答が、野矢さんの本では

    ((5→6)+(7+8))→4

となっていた。これは、7と8のつながり方がちょっと違うのではないかという感じを僕は抱いている。単なる付加ではなく、「したがって」でつながれている、論理的な帰結を感じるような内容の関連があるように感じる。失敗の危険性を小さくできるのは、「再現性がよい」ことから導かれるように思う。

「再現性がよい」から、それが当たる商品であれば、同じようなもので当たりをとれるだろうし、当たらない商品だったら、出してもどうせ当たらないと予想できるので、それを出すことを控えて損害を回避できると思われる。つまり、「失敗の危険性を最も小さくできる」のではないだろうか。

これは「新製品を他に先んじて出すことに比べれば」と断っていることからも、ある条件の下での「最も小さい」という主張になっている。この「最も小さい」という判断の根拠を与えるのは、「他に先んじて出す」時は、その成功と失敗がやってみなければ分からないというリスクを持っていることから導かれるのではないだろうか。「再現性がよい」行為は、やる前から成功と失敗がある程度予測できるという意味でリスクを小さくできると判断できるのではないかと思う。

このように考えると、問題の解答は、野矢さんが単純な付加として「+」の記号で表した部分が、論理的な帰結を表す「→」に変わって、次のようになるのではないだろうか。

    ((5→6)+(7→8))→4

なお、内容的なつながりを考えると、「信頼度の高い予測をすることは難しい」という5の主張が、8の「新製品を他に先んじて出すことに比べれば」という条件につながってきて、このつながりから「失敗の危険性を最も小さくできる」という主張につながっていると解釈することもできそうだ。しかし、これは表現されていない事柄を組み合わせて内容的なつながりを予測できることなので、あくまでも表現されていることから論理の構造を判断するという基本を守るなら、(5,6)の主張と(7,8)の主張は、それぞれが独立した事柄を述べていて、4の結論の根拠として付け加えられているという関係にあると解釈した方がいいだろう。

しかし、こう考えると7から8を導いた論理関係も、直接は表現されていない事柄を根拠にしているようにも見える。そうすると、野矢さんが解答したようにここも単純な付加の「+」でいいんじゃないかという気もしてくる。これは難しい問題だと思う。表現されていない内容であっても、それが表現するまでもなく明らかに分かる場合であれば、文脈上の共通理解として、表現されているものと同等に扱っていいかもしれない。だが、それほど明白に誰もが知っているとは言い難いことはやはり表現しておかなければ論理の理解としては間違うだろう。

「信頼度の高い予測をすることは難しい」という事柄は、どのくらい「新製品を他に先んじて出すこと」と関連を持つだろうか。予測が難しければ、ほとんどどの会社も新製品を先に出すことを躊躇するだろうか。それが会社の常識であれば、それは表現されていなくても、「予測をすることは難しい」と書いただけで、それを読む人に「新製品を他に先んじて出すこと」がないのだと読まれることになるだろう。これは、会社の常識とするには難しいのではないかと思う。予測をすることは難しくても、後発の会社は、新製品を開発して既存の秩序に切り込まなければ、会社の規模はいつまでも大きくならないのではないかと思う。それがたとえ既存の大企業に奪われる可能性があっても、開発をしないことには、会社の存続そのものさえ危うくなるのではないだろうか。だから、この「難しい」と「先んじて出す」は、ある条件の下では結びつくけれども、表現せずともそうだと解釈されるほど常識的なことではないと思う。

それに比べると、「再現性がよい」という主張の内容と、「失敗の危険性を小さくできる」という判断の帰結とは、非常に論理的な関連性が深いのではないかと感じる。それは、もし「失敗の危険性を小さくできない」と結論してしまうと、それは何か間違えているように聞こえるからだ。「再現性がよい」ということは、今目の前に見ている事象が、同じような過程を踏めば、未来にも実現するという期待ができるということを語っている。この表現には、そのような内容が込められている。これは表現されている内容として解釈できる。

このような内容を受け取れば、同じように製品を売り出して、失敗の危険性が大きくなるというのは、よほど予想外の事態が出てきたしまった場合だけなのではないだろうか。そのような例外的な事態は、危険性を小さくできなかったのではなく、運が悪かったとあきらめるしかないのではないかと思う。その判断を否定するケースを想像しにくいというとき、それは論理的な帰結として導かれていると言っていいのではないかと思う。問題文での「したがって」は適切な使われ方をしているのではないかと思う。もし単純な付加の意味で使うなら、「そして」がここではふさわしいのではないかと思う。

また、野矢さんの解答では(7+8)と、ここでの付加「+」にわざわざ括弧を使っている。付加の意味での「+」は、それぞれが同等に並列されていると考えられるので、ここでわざわざ括弧を使うのは余計な記号の使い方ではないかとも思える。論理的な付加の意味は、

  (1+2)+3  と  1+(2+3)

では意味が違ってくるだろうか。ある対象を眺めて、その3つの性質を「赤い」「固い」「四角い」などとしたとき、これはそれぞれ別のことを語っていることになる。これを付加の形で主張すれば、どれを先にしようとあまり変わらない。どれを強調したいかという心理状態で順番が変わることはあるかもしれないが、論理的には、どれが先に来ても同じだろう。これは、「または」あるいは「かつ」という論理用語が結合律を満たすということからもそう判断できる。これに対し、

  (1+2)→3  と  1+(2→3)

という論理構造を考えると、これは全く違う主張になる。左の表現は、3の根拠として、1と2の両方が必要であることを表現し、右のものは、3の根拠が2であることと別に1の主張も付加されていることを示している。右の表現では、3の根拠は2だけなのである。これは、括弧を使わなければ二つの区別がつかないので、表現するためには括弧が必要になる。野矢さんが解答に括弧をつけて表現したのは、そこに括弧が必要だったからではないかとも感じるのだが。

最後の(3)の問題の「この方法」の具体的内容は、「販売力に十分の自信がある」会社がとる方法と考えられる。だから、敢えて新製品の開発・販売を他に先んじて行うのではなく、計画的に後手に回るという方法が頭のいいやり方だと主張されているものがそうだろう。これこそが「この方法」だと考えられる。

野矢さんは、解答例として次のように書いている。

「新製品を他社に先駆けて出すことはせず、計画的に後手に回って、他社が発売すると、販売方法、製品の売れ行き、購買層などを徹底的に調べ、よいとなったら類似製品を出して全力で販売するという方法。」


これは妥当な解答として納得できる。この問題の文章の結論は非常に説得力のあるもので、このように説得力がある主張だからこそ、論理的な分析においても明確にそれが分析できるものになっているのではないかと思う。「この方法」は、ある意味ではずるいという道徳面を感じるところもあるが、非常に頭のいい方法だということは確かだ。だが、このようなずるい方法が一般化すると、誰も新製品を開発しなくなってしまうだろうから、先駆者としての第一発見者の特権を守るべく、そこにこそ著作権のようなものが確定しなければならないのだろうと思う。著作権は、既得権者の利権を守るのではなく、第一発見者の先駆性に対して権利を保障するものであることが正しいあり方だろう。