論理トレーニング 21 (議論の組み立て)


次の課題問題は以下のものである。

問5 次の文章において、その主題、問題、主張を、それぞれまとめよ。(必ずしも問題文からの抜き書きではなく、自分で的確にまとめよ。)
不妊は病気だろうか。いま、妻の側に原因がありそうな場合を考えてみよう。最近では、医学の発達によってそうした不妊の理由が明らかにされてきている。たとえば、卵巣から子宮に卵子を送り出す卵管に問題のあることも多い。しかし、ある女性の不妊の原因がそのように突き止められたとき、それでその女性が病気だと言えるだろうか。確かに妻は一度は子どもを生むのが「普通」であるかもしれない。しかし、子供を産まないからといって、それだけで彼女たちを病気だと考える人はいないし、彼女たちも自分が病気だなどと思わない。その女性の卵管に「異常」があるというにしても、だからといってその女性が病気ということにはならない。自分には子どもがなくてもよいと思い、いままで通り充実した生活を送っていくとすれば、その女性はしごく健康というべきである。しかし、その女性がどうしても自分の子どもが欲しいと思い、手術を受けようとしたとき、その女性は「不妊症」という病気を引き受けたと言えるだろう。」


この問題は、「問題」の指摘は比較的易しいのではないだろうか。冒頭に「不妊は病気だろうか」と,疑問を提出する形で語られているからだ。これが「問題」の提出だと分かれば、「主張」はこれに答える形で語られており、もし肯定か否定かどちらかで答えるとしたら。「病気だ」あるいは「病気ではない」という答になる。

このような観点で文章を読み進めると、この「問題」のすぐあとには、「病気ではない」という否定的な答が書かれている。だが、もっと先を読み進めると、「病気だ」という肯定的な答えも見られる。いったいどちらだろうと迷うかもしれないが、これは、ある条件の下では「病気ではない」と言え、他の条件の下では「病気だ」と言えるという、条件を分けた考察になっている。つまり、病気であるかないかという「問題」に対して、弁証法的に考察して、弁証法的な解答をしていると考えられる。

このような論理の展開にはたいへん説得力を感じる。「問題」として疑問を提出できる事柄は、単純に割り切って判断することができないからこそ疑問が生じるのだと言える。だから、それは単純に白か黒かを言い切るのではなく、その疑問を生じさせる現実の構造を捉えて、それが違う観点から見ると逆の答えが出ることもあるのだということを理解して初めて疑問が解消する。そのような論理展開を、この問題の文章からは感じる。最初はどちらかの答しか見えていなかった人間も、どちらの答えも論理的に整合性があるのだと分かれば、どちらも受け入れることができるし、どちらも受け入れることが正しいのだと確信できる。現実に即した柔軟な思考ができるようになるだろう。そして弁証法の正しさを経験して、弁証法が使えるようになるかもしれない。

「問題」と「主張」が以上のようにまとめられると、それから「主題」も浮かび上がってくる。おおざっぱに言えば、「不妊について」ということになるだろうが、より問題文の内容を反映させれば、「妻の側に原因があると思われる不妊の病性について」という感じになるだろうか。まとめると次のようになる。

  • 主題……妻の側に原因があると思われる不妊の病性について
  • 問題……不妊は病気と言えるだろうか。
  • 主張……自分で不妊を解消しようと思ったときは、それを病気として引き受けたと言えるだろうが、そうでなければ不妊は病気とは言えない。

問6 次の文章を読み、解説の関係にあるものと、根拠の関係にあるものをすべて取り出し、その関係を、「1=(2〜5)」や「(1,3)←3」のように文番号と記号を用いて答えよ。

  • 1 日本語には未来時制がない。
  • 2 英語の "will" のような未来時制を作ることのできる語は、日本語には存在しないのである。たとえば、
  • 3 「太郎は明日来る」の「る」は未来時制のようにも思える。しかし、
  • 4 「寝室から話し声が聞こえる」のような場合、この「る」は現在を表している。だから、
  • 5 「る」は未来時制を作る語ではない。
  • 6 それは、単に過去ではないことを表すものであり、このような時制は「非過去時制」と呼ばれる。また、
  • 7 「だろう」も未来時制を作る語ではない。たしかに、
  • 8 英語の "It will rain tomorrow." を訳すと「明日は雨が降るだろう」になる。しかし、
  • 9 「だろう」は「彼女はもう仕事が終わっただろう」のように過去の事柄にも用いられる。また、
  • 10 未来の事柄でも、「私は明日二十歳になる」のように,確実に起きると分かっていることについては、「私は明日二十歳になるだろう」とは言わないのである。


この文章では、主題として「日本語の未来時制について」語られている。問題は、「日本語には未来時制があるだろうか」というものだ。そしてその答となる主張は、「日本語には未来時制がない」というものだ。書かれていることは、具体的な「る」と「だろう」についてだが、この例示から、一般的な帰結として「日本語には未来時制がない」という主張が語られているのだと解釈できる。

「る」は未来を語っているのではなく「非過去」を語っている。同じように「だろう」も未来を語っているのではなく「推量」を語っているだけだ。だから、確実な未来に対しては,それが推量にならないので「だろう」を使わないということも語られている。日本語においては、他の言葉についても、未来を語っているように見えても実はそれは他のことが本質的に語られていて、たまたま未来を語る表現にも使われているに過ぎないということが主張されているように思う。日本語では、そこで語られていることが未来であるということよりも、「非過去」であるか「推量」であるかということの方が大事だと考えられているのではないかと思う。逆に、英語では未来時制があるということは、英語では未来であることが表現において重要なのではないかとも考えられる。

さてこのように全体の主張を受け取ると、解説及び根拠の関係においては、何が言いたいのかということが浮かび上がってくるだろう。まず1と2はほとんど同じ内容を語っているのでこれは「1=2」となるだろう。難しいのは「たとえば」をどう解釈するかだ。

野矢さんはこの本の中でも、「たとえば」の機能を、曖昧なまま解説しつつ根拠づけることもあると語っている。解説も根拠も、どちらの機能も有しているのが「たとえば」だと言えるだろう。3〜10まではそれぞれ "will" を日本語に翻訳したときに未来時制が存在するかどうかを語っている。だから、内容的には2と関連して、2の解説になっているか、2の根拠となっているかということになる。

内容的な面からこれを考えると次のようなことが書かれていると考えられる。「る」にしても「だろう」にしても、それが英語の未来時制である "will" の翻訳になっているときもあるが、そうでないことも実際にはある。ということは、「る」や「だろう」は常に未来を表現しているのではないということになる。"will" はそれが使われるときは、常に未来が意識されている。だからこそそれは「未来時制」と呼ぶにふさわしい。ところが、常に未来の表現になるとは限らない「る」や「だろう」は,「時制」と呼ぶにはためらいを感じるだろう。

この内容は、日本語に未来時制がないということを言い換えているというよりも、具体的な例示によって、「ない」という判断が正当であることを根拠づけているのだと考えられる。それは、具体例の提示なので、一般的な判断としてはやや物足りない曖昧な感じはするものの、曖昧な根拠付けと考えられるのではないかと思う。

なお、3〜6では「る」について、7〜10では「だろう」について書かれている。これらは、一応種類の違うものについて別に語られているので、付加の関係にあると解釈できる。従ってこれらの関係を記号で表せば、

   2←((3〜6)+(7〜10))

ということになるだろうか。付加の関係をひとまとめにするなら、(3〜10)と表現してもいいのではないかと思う。最後に、3〜6及び7〜10の関係の中で、解説や根拠付けがないかを調べてみよう。

そうすると4と5の間に「だから」が書かれており、これは内容的にも、4で語られている「る」が未来を語っていないということを根拠にして、5の「未来時制を作る語ではない」という判断が導かれていると考えられる。つまり

   4→5

7の「だろう」も「未来時制を作る語ではない」という判断は、9と10から導かれるものだと思われる。9では「だろう」が過去を語るときにも使われ、常に未来を表現しているのではないということが指摘されている。逆に10では、未来のことを語るのに「だろう」が使われないときもあることが指摘されている。もし「だろう」が未来時制を表すなら、未来には必ず「だろう」が使われなければならないが、未来のことであるにもかかわらず「だろう」が使われないとしたら、それは未来時制ではないことになる。

この9と10はそれぞれ単独でも7を導くことができる。二つ一緒でなければ7が結論できないというものではない。だから記号で書けば次のようになるだろう。

   7←9 及び 7←10

また、3と4では、「る」が未来と現在の両方を表現することが語られている。このとき、「る」が過去には使われていないということが、自明の前提として付け加えられると、これらから「る」は過去には使われていないということが本質であるということが導かれる。それゆえ「非過去時制」と呼ばれるということが帰結されると考えれば、

   (3,4)→6

ということも言えるだろう。以上をまとめると、

   1=2
   2←(3〜10)
   4→5
   7←9
   7←10
   (3,4)→6

となるのではないかと思う。