クラインの四元群と親族の構造


クラインの四元群というのは、元を4つしか持たない集合が満足する群構造を指す。群構造というのは、代数的な計算の構造を言い、任意の2つの要素を1つの要素に結びつける計算の構造を持つ集合を群と呼んでいる。具体的には、かけ算や足し算が持つような構造を抽象したものとしてイメージされる。

整数の足し算でイメージをすると、まずはその演算(足し算)が、整数の集合の中では閉じている、つまり答えがまた整数の中で見つかるということが必要になる。これは、どんな整数を具体的にとってきても、その足し算の答えがまた整数になっていることから確かめられるだろう。この閉じた演算に対して、次のようなことが言えるなら、整数の集合は足し算について群をなしていると言える。

  • 1 任意の3つの整数a,b,cが結合律を満たす。

   (a+b)+c=a+(b+c)

  • 2 単位元(足し算をしても値が変わらない)が存在する。整数の場合は0が単位元になる。

    a+0=0+a=a

  • 3 逆元(足し算の結果が単位元0になるようなもの)が存在する。整数の場合は、正負を逆にした数が逆元になる。

    a+(−a)=(−a)+a=0


整数の足し算に限らず、このような演算規則が成立するものを群として抽象的に捉えて、群であれば成立するような数学的な法則性を求めることが群構造の考察ということになる。

クラインの四元群は、たった4つの要素しか持たない集合でありながら上記の群構造を持っているものを指す。単位元を0で表し、他の3つの要素をa,b,cで表せば、この四元群の演算は次のように表される。

        0      a      b      c
   0  0+0=0  0+a=a  0+b=b  0+c=c
   a  a+0=a  a+a=0  a+b=c  a+c=b
   b  b+0=b  b+a=c  b+b=0  b+c=a
   c  c+0=c  c+a=b  c+b=a  c+c=0

この表を見ると、0の演算はすべてその値を変えていないことが確かめられるので0は単位元であることが確認出来る。また、計算結果が0になるのは同じ要素同士の足し算に限られる。つまり、自分自身が自分の逆元になっていることが分かる。

結合律については確かめるのがちょっとたいへんだが、0については、0がどこにあろうと計算結果は変わらないので結合律の成立が分かる。0でない要素については、異なる2つの要素の計算はもう一つの要素になることが上の表から分かる。そうすると、x、y、zを変数として考えると、

   (x+y)+z  と  x+(y+z)

の計算結果は、x、y、zがすべて異なる要素であれば

   (x+y)+z=z+z=0(x、yが異なるものであればx+y=z)
   x+(y+z)=x+x=0(y、zが異なるものであればy+z=x)

となって計算結果は同じになる。また、すべてが同じ要素になるような計算は、結合律を示す2つの式が全く同じものになるので、これは計算をせずとも同じことが分かる。そこで、最後の可能性として、2つは同じ要素で1つがそれと違うものになっているときの結合律の両辺の計算が同じになるかを考えてみる。

このとき、結合律のどちらかの計算では、同じものの足し算を先に計算することになるので、この計算は0になる。従って、残りの1つの要素が計算結果として出てくることになる。結合律のカッコの違うもう一つの計算では、違うものの足し算で残りの1つの要素が計算され、さらにそれと最初のもう一つの要素との計算で、結局またもう一つの要素が計算の結果求められる。具体的な例を記述すると次のようになる。

  x=y=aとし、z=bとする。
  (a+a)+b=0+b=b
  a+(a+b)=a+c=b

具体的にどの計算をしても、結合律で表される計算の両辺は同じものが求められる。つまり結合律が成立していることが分かる。この4つの要素は、上のような計算において群をなしていることが分かる。

テキストベースのブログでこの4元群の図形的なイメージを説明するのは難しいのだが、これは正方形を

  • 1 縦方向に裏返す
  • 2 横方向に裏返す
  • 3 180度回転させる

という3つの操作を要素とする変換を考えたときに、上で考えたような演算が成立することを見ることが出来、これがクラインの4元群の具体的なイメージとなる。

裏返したものをもう一回裏返せばまた元に戻る。何もしないことを単位元0だと考えれば、裏返して裏返すのは何もしていないのと同じになる。また、180度回転させたものをまた180度回転させれば、これも元に戻る。つまり3つの操作はすべて、同じことを繰り返せば元に戻る(同じものを足せば単位元0が計算できる)ということになる。

縦方向に裏返した後に横方向に裏返せば、それは結果的に180度回転させたことになる。他の操作も、それぞれ別の操作を続けて行うと、それはもう一つの操作をやったことと同じになる。操作を連続して行うことを演算だと考えれば、これは上の演算規則に従ったものになる。

この変換を記号で書くと、正方形の4つの頂点をそれぞれ左上から時計と反対回りにA,B,C,Dとして、次のように変換を表すことが出来るだろう。

  単位元0の変換  (A,B,C,D) → (A,B,C,D)
  縦方向の裏返しa (A,B,C,D) → (B,A,D,C)
  横方向の裏返しb (A,B,C,D) → (D,C,B,A)
  180度の回転c (A,B,C,D) → (C,D,A,B)

ここで登場しているA,B,C,Dというような記号が、カリエラ族の婚姻規則を表すセクションを想像させるところが面白いところだ。縦方向の裏返しによる対応(重なり合う頂点は、AとB,CとD)が婚姻を許されるセクションになっている。また横方向の裏返しで重なるのは、それぞれの婚姻の結果生まれる子供のセクションになっているのも面白い符合だ。そしてこの符合は、婚姻のセクションが群構造を作るのではなく、婚姻のタイプが群構造を作るということと、変換の操作の方こそが群構造を作るということと符合しているのにつながっているような感じがする。

何も動かさないという単位元0の変換と、a,b,cの3つの操作を示す変換がクラインの4元群を作る。カリエラ族の婚姻規則では、親の婚姻のタイプとそれから導かれる子供(息子あるいは娘)の婚姻のタイプの対応が群をなす。子供の婚姻のタイプは親のタイプによって決定されてしまうので、それは親の婚姻から変換操作として導かれると考えてもいい。この変換操作こそが群をなすというのは、上の正方形の変換操作が群をなすことと重なってくる。

さて、カリエラ族の婚姻のタイプを次のように表すことにしよう。隣に、子供のセクションも一緒に記しておく。

        夫   妻   息子   娘
   M1   A   B    D   D
   M2   B   A    C   C
   M3   C   D    B   B
   M4   D   C    A   A

さて、子供の方は息子は夫になり娘は妻となるのだから、その婚姻のタイプは親がM1からM4までのどのタイプかで決まってしまう。親のタイプから決まってくる息子の婚姻のタイプを対応させる関数をfとし、娘について同様の関数をgとすると次のような対応になるだろう。

   親の婚姻のタイプ       M1  M2  M3  M4
   息子の婚姻のタイプf(M)  M4  M3  M2  M1
   娘の婚姻のタイプg(M)   M3  M4  M1  M2

この変換fは、息子がまた親になりその息子の婚姻のタイプがどうなるかを見ると、次のように変換していくことが分かる。

   M1 → M4 → M1
   M2 → M3 → M2
   M3 → M2 → M3
   M4 → M1 → M4

孫の世代になると、また元のタイプに戻る。つまり何も変換していないことと同じになる。2回の変換で元に戻ってしまうのである。これはgについても同様だ。また息子の娘の婚姻のタイプと、娘の息子の婚姻のタイプを比べてみよう。つまりfとgをそれぞれ先にしたものと後にしたものとの変換を比べてみる。

  • fg:M1→M4→M2、M2→M3→M1、M3→M2→M4,M4→M1→M3
  • gf:M1→M3→M2,M2→M4→M1,M3→M1→M4,M4→M2→M3

すべて孫の世代は同じ婚姻のタイプになっている。つまりこの変換はfとgのどちらを先にしても同じ変換になる。この変換をhとして、何も変えない恒等変換をiとすると、<i、f、g、h>という4つの変換はクラインの4元群を作る。

クラインの4元群をなすのは、婚姻のタイプという目に見える現象の方ではなく、その変換という関数の方だ。これは構造を発見するというのがかなり難しくなるだろう。

さて、この群構造が分かると、レヴィ・ストロースの主張のどのようなことがこの群構造から読み取れるだろうか。まず1つはfとgの変換が同じではない、つまり関数として違うものであるという事実から、息子と娘の婚姻タイプは同じものにならないということが帰結される。すなわち、兄弟姉妹の間での婚姻は許されないという近親婚のタブーが群構造から帰結される。

また親から見て孫の世代というのは、息子と娘から見れば兄弟姉妹の子供という甥や姪の関係になっている。この関係の間にあるものこそが婚姻の相手に選ばれるということは、婚姻のタイプがそこでは同じでなければならない。つまりf、gという変換は、どちらを最初にしようとも同じ値へと変換されるのでなければならない。これは交叉イトコを婚姻の相手に選ぶという規則に対応している。

交叉イトコは、息子の息子というffという変換と、娘の娘というggという変換にも対応している。そして、この変換は恒等変換という同じものになる。従ってこの交叉イトコも婚姻の相手に選ぶことが出来る。

息子の息子と息子の娘という、男同士の兄弟の間に生まれた孫同士については、これはffという変換とgfという変換が対応することになる。この変換の結果はクラインの4元群では違う計算結果になる。つまり、婚姻のタイプが同じにならない。女同士の姉妹の子供(息子と娘)についても同じことが言え、同性の兄弟あるいは姉妹の子供たちという「平行イトコ」に関しては、このクラインの4元群からの考察では、その婚姻は許されずにタブーになることが示される。

構造というのは、目に見える・観察できる婚姻のタイプを要素として発見できるものではなく、目に見えない「婚姻タイプの変換」という関数について考察しなければ見えてこなかった。関数こそが「構造」の本質を見せてくれるものではないかと思う。そのように高度に抽象化したものが、どのようにして具体的な社会科学的対象の分析に有効性を発揮するのか、親族の基本構造を今少し考えてみたいと思う。