田母神論文の論理的考察 5


田母神俊雄氏(防衛省航空幕僚長空将)は論文「日本は侵略国家であったのか」で、前回に続く文章として次のように記述している。

「我が国は満州朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。」


ここで記述されていることがどのような意味を持っているかということは、直接記述されてはいないが、文脈から解釈すれば、日本が中国や朝鮮半島の近代化に貢献したということを主張したいのだろうと感じる。これが本当に「貢献」になったかどうかという点については異論を感じるところではあるが、その真偽については今は問うことなく、それが論理的な流れの中でどのような意味を持っているかを考えてみたい。この事実を語ることで田母神氏は、実は自らが抱いている「侵略」というものの概念について語っていると解釈できるからだ。

「侵略」という言葉の概念は、物理的な属性のように対象をよく観察すれば誰でも合意できるような属性として見出せるものではない。そこには様々な判断と評価が複雑に混在していて、その複雑な判断と評価に合意したときに初めて「侵略」という言葉の概念に対しても同じものを持つという合意が成立する。複雑な対象を表現する言葉はだいたいそのような性質を持っている。「数学」の定義は数学者の数だけ存在すると言われている。複雑な言葉はそれをどの視点から見るかで解釈が違ってくる。日本のかつての行為が「侵略」であるかどうかという判断は、「侵略」という言葉の概念によって判断が違ってくる。

もし「侵略」という言葉の定義をあらかじめ明確にしておいて、その定義に照らして現実がどうであるかという判断をしていけば、それはきわめて数学的・自然科学的なやり方になっていくだろう。だが、社会科学においては、そのような抽象的対象として設定したものが、必ずしも現実をよく反映しているとは限らない。定義を与えるために現実から何らかの抽象をしていけば、そのときに属性として捨てられるものが出てくる。この捨てられたものが実は本質的に重要だったということも、現実を対象にして考える場合は出てきてしまう。だから、社会科学的な考察では、最初に漠然と定義を語ることがあっても、その定義が本当に考察にふさわしいものであるかを常に考慮しながら論理を進めていかなければならない。定義は、現実の中での新発見によって修正される可能性がある。

そこで社会科学的な文章では、現実を語る中でふさわしい抽象というものがどのようなものになるかを語るという文章が多くなるだろう。田母神氏のこの部分もそのような解釈で受け取ることが正しい受け取り方ではないかと思う。日本が朝鮮半島や台湾に大学を作ったということ。そこで教育を受けた人々が、日本人と同等の扱いを受けて優れた軍人となったこと。またそこで尊敬を受けていた王族を尊重したことなど、これらの事実を語ることによって、このようなことがある「行為」は「侵略」に当たらないのだと、「侵略」の概念をこの事実の羅列によって示していると受け取れる。

田母神氏の「侵略」の概念がこのようなものである、つまり近代化とそれによる繁栄に「貢献」したということがあれば、それは「侵略」ではないという意味になると受け取れば、中心の主張である「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」ということへの論理的根拠を語っていると解釈できる。「侵略」という概念をこのように受け取れば、この論理の展開は論理としては正当であると言えるだろう。人間はものを考えるときは、論理に従わざるを得ないから、思考の展開を経て主張されたものには必ず論理的整合性を見つけることが出来るということの現れだろうと思う。その前提に疑問があったとしても、論理としての整合性は確認出来る。

さて論理の難しさは、論理の中での整合性が見つかっても、それだけでは個々の主張の正しさは出てこないということだ。論理の正しさというのは、命題という個々の主張の関係として成立する正しさであって、内容が捨象された形式的なものだ。だから内容の正しさを見るには、形式から内容へと踏み込んでいかなければならない。この場合でいえば「侵略」という概念(これが内容になる)が正当なものになるかという問題を考えなければならない。これを確かめるには、この概念が他の論理展開においても正しい結論を導くと言えるかどうかということを見なければならない。

田母神氏は、当時の欧米列強の植民地支配による「侵略」と日本の行為は違うものだという主張をしている。だから欧米列強の行為は、田母神氏が考える「侵略」の概念に相当するものとして論理的には帰結しなければならないだろう。果たしてそれはどうなのか。

高校の社会科の先生が歴史についてまとめたページがあったので、そこから「イギリスのインド支配」という文章に書かれたことを引用して考えてみたい。そこには次のように書かれている。

「イギリスは、英語教育の実施・イギリス的司法制度の導入・近代的な地租制度の採用・道路網の整備・鉄道の敷設などある意味ではインドの近代化を進めたが、これらはいずれもインドの植民地化を進めるための政策だった。

 イギリス人はインドを遅れた社会と考え、これらを文明化することが使命であると考え、カースト制や不可触選民の惨状・幼児婚・寡婦の殉死と再婚禁止の風習・インド女性の地位の低さなどインドの「憂うべき」インド問題をなくするためにはインド人の道徳・習慣・思考法をヨーロッパ流に変えていかなければならないと考えた。」


この記述を読むと、イギリスがインドの近代化に「貢献」したことが分かる。現在のインドの経済発展は、インド人の英語能力の高さが「貢献」しているという。特に英語圏であるアメリカでのインド人の活躍はめざましいものがあるそうだ。コンピューター業界でのインド人の地位は他の国の追随を許さないという。それは英語の能力に負っているところが大きいという。イギリスのインド支配は、このようなところで現在の繁栄とつながっていると論理的には解釈できる。

田母神氏は、「イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない」と、イギリスと日本の違いを強調しているが、これは「侵略」という概念を考えるときに抽象されるべき属性となるのか、それとも捨象してもいいような事柄になるかの判断は難しいものだ。

田母神氏が「侵略でない」という判断をした要素を書き出してみると次のようにまとめられるだろうか。

  • 1)その国の近代化に「貢献」した。
  • 2)近代化による「繁栄」をもたらした。(具体的には人口の増加など)
  • 3)大学を作り「教育」を整備した。
  • 4)王室との血縁関係を作り関係を強化した。


「侵略」を否定する概念がこのようなものであれば、イギリスの行為は侵略だが、日本の行為は侵略ではないと結論できるだろう。しかしどうも違和感が残る。2の近代化と4の政略結婚のようなものがどうもうまくつながらないような感じがしてくる。本当にそのようなことが近代化になっているのだろうかというようなことだ。また近代化をするということの中に、実は「侵略」に通じる概念があるのではないだろうかという思いも感じる。

先のホームページには、近代化の目的を「インドの植民地化を進めるための政策だった」と評価している。近代化に貢献することは必ずしも「侵略」を否定することになっていない。むしろ

「しかし、このためにインドの伝統的な社会慣習や生活基盤が破壊され、インドの自給自足的な村落社会は崩壊した。そのため支配者の地位を追われた王侯貴族から、職を失った手工業者・重税の取り立てに苦しむ農民に至る広い階層にまたがるインド人の間にイギリスに対する不満と反感が広まっていった。」


と記述されているように、近代化することによって「自給自足的な村落社会は崩壊した」と言えるのであれば、それは支配される側が主体的に望んだものではなく、押しつけられたものとして近代化が「侵略」であったと言えるのではないだろうか。近代化に「貢献」するだけではそれが「侵略ではない」ということが出来ないのではないかと思う。「侵略」という概念に対する田母神氏との違いを感じるところだ。

田母神氏は、イギリスのインド支配を教育の面や王族との関係で評価したが、実は朝鮮半島や台湾での伝統的な村落社会の破壊を伴った政策が同じようにあったのではないだろうか。「創氏改名」などが非難されたのも伝統を破壊する面があったからではないだろうか。

田母神氏は自らの「侵略」の概念によってイギリスと日本の違いを導き出しているように見えるが、その違いを導く「概念」の抽象はあまり本質的なものには見えない。むしろ末梢的なところの違いから両者の違いを導いているように見える。本質的には両者が重なって見えてくる。田母神氏の論理展開だけでは、日本の行為が「侵略ではない」と主張するのは弱いのではないかと感じる。

宮台真司氏は、宮台氏自身もあの戦争を「侵略でない」と考えていると発言したり、「南京大虐殺はなかった」と思っていると語ったりしている。判断としては田母神氏と同じことになる。僕は宮台氏がどうしてそのように考えているのか、宮台氏が詳しく語ったものを見ていないので、そのように考えているということしか分からないが、宮台氏の他の議論の展開を見れば、かなり強力な論理でそれを展開しているだろうという予想はしている。

それに対して、具体的に書かれた田母神氏の論理は説得力において弱さを感じる。それは本質が抽出されていないように感じるからだ。論理としての体裁は整えてあるが、論点が末梢的なものになっているように感じる。それは、「侵略」というものが価値評価的に「悪」だと判断されるために、そのようにいわれることだけは受け入れられないという感情的な面が論理の展開の弱さにつながっているようにも見える。

竹内好アジア主義に関する文章には、「そもそも「侵略」と「連帯」を具体的状況において区別できるかどうかが大問題である」というものがある。ある現象を一つの視点から見れば「侵略」に見えて、別の視点から見れば「連帯」に見えるということだろうと思う。それを「侵略」と呼べば「悪」であるけれど、「連帯」と呼べば「善」になるだろう。

「侵略」という言葉を価値評価の面を伴って判断すれば、それはどうしても感情面の「主観」的な見方が入り込むのではないだろうか。その「主観」を排して、価値評価抜きに「客観的」に「侵略」の概念を考えなければ、「侵略ではない」という判断の論理は強力にならないのではないかと思う。宮台氏はおそらくそのような論理展開をするのではないかと思う。僕が田母神氏への共感をためらうのは、この論理の弱さが原因しているのではないかと思う。宮台氏の強力な論理を知って、具体的に比べてみたいものだと思う。