NHKの研究 その1

引っ越しをしたときに、いろいろな手続きをしてそれをきっかけにNHKの受信料を拒否したのがかれこれ15年近く前になるだろうか。それ以前から本多勝一さんの『NHK受信料拒否の論理』を読んでいたので、いつかきっかけがあれば拒否の意思を示したいとは思っていたのだが、なかなかそのきっかけがなかった。引っ越しをしたときに、ちょうどNHKの不祥事が話題になっていたのではなかったかという記憶もある。

手続きはあっけないくらいに簡単だった。銀行に行って、自動引き落としの解除をしただけだった。そして、そのあとにハガキでNHKに通告を送った。これも本多さんの著書に従ったような形になっただろうか。

ハガキを送った当初は何も反応がなかったが、数ヶ月して受信料を滞納していることがわかったのだろうか、NHKの職員が訪ねてきた。とりあえずいろいろな考え方があって拒否していることを伝え、本多さんの著書を貸して、そこに書いてあるようなことが基本的な考え方だと伝えたりもした。

印象的だった反応は、「自分の考えで拒否の意思を示している」と伝えたら、「そんなことを自分で決めていいのか」と怒ったような表情で語ったときだ。確かに、受信料を払わないということは、NHKにとって困ることだろうから、それに対して払うように要求するのは利害当事者として理解できる。しかし、自分の判断でやっているということに対して、あれほど感情的に反応が返ってくるとは思わなかったので、これは印象的だった。受信料を払うということには、疑問を抱くことさえ許されないことだという先入観があるような感じがした。今まで、プライベートなことに関してはすべて最終的には自分の考えで判断をし、それがプライベートであるが故に誰からも文句を言われなかったのに、公共に関わることの判断を自分の頭ですると、それが通念に反しているとこれほどの抵抗を示されるのだろうかとそのときは思った。

もう一つおもしろかった反応は、かなりの額を滞納したときに、「今までの分はいいから、来月から払ってくれませんか?」と言って訪ねてきた職員がいたことだ。それで払う気になれば、今までの未払い分はチャラにしてもいいという感じだった。これに対しては、そもそも払わなくなったのは、抗議の意思を示したことであり、お金がもったいないから払いたくないということではなかったので、その旨を伝えて引き取ってもらった。

それ以来、NHKの側では滞納の額を知らせる通知が送られてくるだけで具体的な働きかけはなくなった。こちらは、払わない以上見るのはフェアではないという思いもあって、NHKを一切見ないことにしているが、物理的にも見られないようにしようと思い、ケーブルテレビに連絡をして、NHKの放送を配信しないように頼んでみた。そうすると衛星放送については出来るけれども、地上波はそれが出来ないという回答だった。有料放送を配信していないのだから、技術的には配信を止めることが出来ると思うのだが、それが出来ないというのは技術的ではない理由があるのだろうか。

仕方がないので、衛星放送は見られないようになったことをNHKに連絡して、地上波の方を何とかしてくれといったのだが、勘違いしたのか、衛星放送の契約を切って、地上波だけの契約に替える書類を送ってきた。こちらは、契約そのものに疑問を持ち受信料の不払いをしているのに、どうもその意味が伝わらないようだ。

それを放っておいて数年がたった。最近の受信料の問題の動きにNHKの側は法的な手段で滞納を回収しようとしてきているものが見られるようになった。これは、公共性という観点から大変な問題ではないかと感じる。受信料の滞納が法的な問題で回収可能だと考えるということは、それが公共性に対する抗議の意思の表れだということを、当のNHKが全く理解していないことを示していることを表しているように思う。

ただ、自分自身の抗議の意思についても、振り返ってみるとかなり単純で素朴なものであることを感じる。今一度、その素朴さを深く考え直して、なぜ受信料拒否の意思を示すということでNHKの公共性を問題にするのか、という論理的根拠をしっかりしたものにしたいと思う。

よくよく考えてみると、僕の行為はNHKの受信契約を解除して払わなくてすむようにしたいということが目的ではないような気がしている。むしろ重要なのはNHKが真に公共放送に値する存在なのかという点だ。もし、真に公共放送に値する存在なら、それは受信料という形ではなく、その公共性を守るために我々「市民」(民主主義的な権利意識を持った人々というニュアンスでこの言葉を使う)の一人一人は、それを支えるために負担をすべきだと思う。受信料というような、曖昧で不自然な形の料金ではなく、公共性を守るための市民の義務として、NHKの放送を支える負担なら、僕は拒否しないだろう。

われわれ「市民」にとって必要なNHKの公共性というものをいろいろ考えてみたいと思う。そして、NHKが一日も早くそのような存在になるように働きかけたい。そして、現実のNHKがそのような存在ではないときは、抗議の意思としての受信料の不払いを続けるだろうと思う。

手始めに本多さんの『NHK受信料拒否の論理』をもう一度詳しく読み直してみようと思う。素朴な印象としては、未だにNHKは真の公共性を持っていないと感じている。その素朴な直感を論理で確実なものにしたいと思う。本多さんの本のあとには、NHKについて書かれた様々な著作の中から、特に公共性に関わることを議論しているものを参考にして考えていきたいと思う。