山崎さんの論理的思考

高速道路の無料化に関するライブドアブログのエントリー「高速道路の無料化」トラックバックをもらった。生粋さんというハンドルネームの方で、「高速無料反対は世論操作か」というエントリーで、山崎さんの主張に関する疑問を提出している。これは、大変参考になったので、今後の山崎さんの主張の理解に大いに役立てたいと思った。

しかし、僕が山崎さんの主張に共感し支持しているのは、その原則からの論理展開の見事さにあるので、この疑問だけではその論理展開を覆すほどの理由が生じるようには感じなかった。

山崎さんは、高速道路は原則無料であるべきだということから出発している。それは、世界の他の国もみんなそうしているから日本もそうすべきだという、現状追認の考えからきているものではないと僕は感じている。むしろ論理的な前提として「無料」ということを置かないと合理的ではないのではないかという思考の展開からきているものではないかと思う。「無料」こそが合理的な選択なのだから、世界の国の中で、道路行政を合理的に展開しようとしている国では、論理的帰結として「無料」が潮流になることが当然ではないかという考え方だ。むしろ有料化しているところは例外であり、それなりの理由がなければ有料化していないと受け取るべきではないかということだ。合理的思考を展開すれば「無料」が当然であるから、それが原則「有料」になっている日本では、どこかに不合理なゆがみがあると予測できる。それが山崎さんの基本的な論理展開だ。

それではなぜ高速道路の「無料」こそが論理的に合理的なのかといえば、そもそも道路を造る目的がどこにあるかということを考えることからきている。道路は、それを造った以上利用されなければほとんど何の意味もないと考えるのが合理的ではないだろうか。利用されない、ただ工事のためだけにきれいにした道路に何の意味があるだろうか。今利用されていないとすれば、その利用されていない原因を正しく突き止めて、利用されるように改善していくことが原則的に正しいだろうと思う。それが「無料化」の方向であり、有料にしておくことは、今のように利用されない高速道路という状態をいつまでも続けることになるだろう。

例外的に有料化されているところでは、その例外の理由がなくなるまでは有料化が続けられることもまた論理的には正当性がある。しかし、その理由がなくなれば速やかに無料化という原則が実現されるべきだろう。山崎さんの論理展開はそのようになっている。

山崎さんが展開する高速道路無料化への反対論というのが、原則「有料」であるということを主張するための論理的根拠を与えているなら、それは末梢的ではなく本質的な議論として受け止めていいだろうと思う。しかし、今ある例外的な理由の元で「有料」になっているという議論になっているとすれば、それは本質ではなく抹消を論じているのではないかと僕は感じる。マスコミの論調はすべてそのように僕には見えている。

高速道路は莫大なお金をつぎ込んで作られている。それが有効に利用されて、国民の利益となる方向こそが原則的に正しいだろう。まず僕は山崎さんのこの基本的考え方に共感した。そして、今の高速道路が有効に利用されていないことの原因・日本の高速道路が持っている不合理な面の指摘に、なるほどと納得するものがあった。それはかなり複雑にいろいろな面に関わっているため、議論が分散しているようにも見えて、それを理解するのはなかなか難しい。

道路は国民生活を豊かにするためにこそ有効に活用されなければならない、ということを原則的なものとして、高速道路が抱える様々な面を一つ一つ理解していくことを考えたいと思っている。そして、その理解から生まれる解決策として、山崎さんが提出するものが論理的に納得できるものであるかどうかを考えていきたいものだと思う。その一つとして、高速道路が抱えている借金の問題を、山崎さんが語ることから理解していきたいと思う。次のエントリーでは「高速道路の借金」というテーマで書いてみたい。


追記

僕はマスコミの主張よりも山崎さんが語ることの方を信用している。それは、山崎さんが語ることの具体的内容を自分で検証して、正しいことを確認して信用しているということではない。残念なことに、市井の一市民である僕にそれだけの情報収集力はない。誰かが提出する情報を信じて論理を展開しなければならない。

普通は何か権威あるものの情報が信じられるものになるだろうが、高速道路の問題に関しては、権威があると思われているマスコミが全く信用できない。うさんくさいものを感じる。利害によって報道の内容がゆがめられている印象を受けるのだ。その点、山崎さんの主張は論理的に首尾一貫しており、利害からも離れた位置にいて発言しているように感じる。山崎さんに対する信頼感は、そのようなところから生まれてくるのだろうと思う。