自民党政権の負の遺産

八ッ場ダムの中止の問題は民主党新政権が苦労しているものの一つだが、これはそもそもの原因が自民党の政治的判断が先の見通しのないずさんなものであったがために起こった問題ではないかと思える。製造計画から50年以上を経てもなおダム本体の工事に着工もしていないという計画は、それが緊急に必要なものではなかったということを証明するようなものではないだろうか。

「八ッ場ダム工事中止の反対論のおかしな論理」のコメント欄で小林とむぼさんから教えてもらった「八ッ場あしたの会」のサイトには、ダム工事を推進する側の主張の間違いが具体的に指摘されている。中止に対する反論は、少なくともこの具体論に対して何らかの反論をするのでなければ、それはあまり信用できないものとなるだろう。

今までの自民党政権を続けるのであれば、この間違いがさらにふくれ続けるだろうと多くの人が判断したからこそ、今回の選挙では、自民党政治を真っ向から批判していた民主党に支持が集まり、自民党政治の流れを止めるためにこそ政権交代が選択されたと僕は受け取っている。

現在の問題のすべては、自民党政治の失政にあり、民主党新政権は、その尻ぬぐいをするだけではなく、問題の根本解決をするという困難な課題を担うように求められている。これは大変気の毒なことではあるが、自民党に変わって政権を担うという覚悟で出てきた民主党は、この困難に負けることなくその重責を担わなければならない。また、この困難な問題と取り組むことによって、民主党は本当の意味での政治的な力をつけることになるだろう。困難を先送りすることによっては実力はつかない。民主党にはぜひがんばってもらいたいと思う。

負の遺産として日本中が注目している八ッ場ダム中止の問題では、マスコミによる前原国交相の「まずは中止が前提」という姿勢を批判する論調がある。しかし、これは政権交代ということの意味を考えてみれば、「前提にする」ということが原則であり当然のものではないかと思う。これを、前提とするのではなく白紙の状態で話し合うなどといえば、それは日和見の姿勢であり、困難を先送りするような姿勢として批判されなければならないだろう。日本の政治の中で、大型の公共工事が止まることがなかったのに、それを止めようとする困難に正面から取り組んでいるのが前原大臣の姿のように僕には見える。それは非常に立派で誠実な態度のように僕は感じる。マスコミが語るようなかたくなな堅い姿勢ではないと思う。

この前原大臣のもう一つの難題として出てきたのが、日本航空の経営再建の問題だ。これは、公共工事と企業の経営の問題という、一見違う問題が提出されているように見えるが、実は自民党の失政としてはある共通点があるのを感じる。それは、長期的な見通しのなさと、全体性の把握のない、個別の地域のエゴと利権に偏った自民党の政治家の姿勢による失敗という面だ。

日本航空というのは、日本の航空網を整備するために作られた、国が経営に責任を持っているような会社だった。国営企業のようなものだった。それが民間企業として再スタートしたときに、採算の合わない路線の整理などが出来ずに経営が悪化したという。

日本航空が、純粋の民間企業だったらすでに倒産してもおかしくないような経営状況らしい。だが、日本航空が巨大な企業であるということと、交通という公共的な面を持っている会社だということで、それをつぶすことが出来ないということが、困難な問題として浮かび上がっているらしい。

テレビのニュースでは、その象徴として長野の松本空港のことを報じていたようだった。ちょっとしか見なかったので細かいところまでは覚えていないのだが、その建設費は約350億をかけたと言っていたようだった。ところが毎日の発着便は大変少ないということも言っていた。「信州まつもと空港」のホームページを見ると、一日の出発便も到着便もそれぞれ3便しか書いてなかった。大阪・札幌・福岡へ行く便がそれぞれ一つずつだ。350億円かけて作った空港が、一日これだけの便しか飛ばないというのは、それで建設の目的が果たされているのだろうか。

そもそも、長野の人にとって航空機を利用すると言うことにどれくらいの利便性があるのだろうか。人口規模から言っても都市部の人口とは比べものにならないくらい少ないのではないだろうか。絶対的な利用客数の数は空港を作るのに見合うような予測をしていたのだろうか。また、この空港へのアクセスについては、長野県公式ホームページの「信州まつもと空港」というところにバスの時刻表が出ていたが、乗り換えをして2時間以上(3時間近く)かかるようなものだった。このように不便な空港で、多少早く到着すると言っても、誰が飛行機など使うだろうか。飛行機は、電車などと違って1時間近く前から空港に行っていなければならない。利便性はないのではないだろうか。

このような空港であるから、とても採算がとれないと言うことなのだろうか、この空港で飛んでいる飛行機は日本航空のものしかない。他の民間企業はとても飛行機は飛ばせないという判断ではないだろうか。

ではなぜ日本航空は、このような空港でも飛行機を飛ばすのか。それは日本航空という企業が、自民党政治との癒着の強い企業だったからではないかというのがニュースを見て受けた印象だ。日本航空の経営は、最終的には自民党政府が何とかしてくれるから、多少の無理をしてでも政治家の要請に応えようとしているという感じだろうか。それではなぜ政治家が、このような利便性のない空港に飛行機を飛ばすように要請するかと言えば、それはそこに空港を作ってしまったからという他はない。もし日本航空が飛行機を飛ばさなかったら、まつもと空港では発着する飛行機がなくなってしまい、空港を閉鎖せざるを得なくなってしまう。もしそうなったら、誰の目にも、それ(空港建設)が無駄な公共工事であることがわかってしまう。それを避けるために、自民党の政治家は、何とか飛行機を飛ばすことを要請したのだろう。そして、そういう政治との持ちつ持たれつの関係が日本航空にあったので、今日の経営悪化を招いていると言えそうだ。

まつもと空港だけでなく、ある一時期に全国に大きな空港が次々に作られた頃があった。本当に必要かどうかが疑問視されているにもかかわらず、それらの建設は続けられた。飛行機は、電車や車と違って日常生活に不可欠だと言うほどの交通機関ではない。狭い日本の国内で、それほどたくさんの飛行機が飛ぶ必要はおそらくないだろう。この工事は大部分が無駄な公共工事だったに違いない。だが、それはとどまることがなかった。

それは、自民党政治というものが、地方に公共工事を持って行って、それで地方にお金を落とし、政治家には地方の票が入るということで物事が回っていたからだった。それは、日本全体の国家の発展という観点は全く度外視されていた。また、高度経済成長の頃は、そのサイクルがいつか終わりが来るなどということを誰も予測していなかったのかもしれない。だが、いつまでも金が回り続けるということはなかった。その破綻が今起きているのだろう。

日本航空の再建問題は、いくつかの地方の空港が廃墟になるという痛みを伴うものになるのではないだろうか。それは、八ッ場ダムの工事中止現場が、もしかすると廃墟のようになるかもしれないという痛みと共通するものではないかと思う。見通しのない、ただ単に金を落とすことが目的だった無駄な工事が、その廃墟化の原因だと思う。この痛みの最大の責任者は自民党の政治家だ。民主党はその尻ぬぐいをしているに過ぎない。もちろん、廃墟になるという痛みを避けて、何とかいい方向での解決が出来れば誰もが幸せになるのだろうが、これまでのツケを払うということが全く避けられぬ以上、何らかの痛みは覚悟して受け入れなければならないだろう。これは偽の改革だった小泉政権の時の痛みとは質が違うものではないかと思う。小泉政権では、痛みを特定の層に押しつけて、利権にぶら下がっている人間は、かえって私腹を肥やした感じがするが、今度の民主党が選択する痛みは、本当の意味での再建のための痛みになるのではないかと感じている。それを国民の一人一人は見ていかなければならないだろう。

日本航空の再建問題は、地方の空港建設という無駄な公共工事とつながっているように思う。八ッ場ダムの問題も、その利便性という問題で、やがては地方に負担だけがかかるような無駄なものになるのではないだろうか。八ッ場ダムをやめるということは、この無駄なサイクルによる負担の増大を押しとどめるという意味で非常に重要なものではないかと思う。

以前にサブプライムローンの問題の時に、こんな話を聞いたことがある。サブプライムローンは、最初の3年くらいが低金利で、ほとんど利息だけの支払いで何とか生活していけるという。しかしその後は金利が上がるので返済が難しくなるような構造を持っていたという。そこで借金をしている人たちは、3年ごとに借金を借り換えてまた低金利サブプライムローンで生活を続けるということで生活の破綻を免れていたという。

これは、3年で購入した住宅を転売して、それで最初の借金を返して、また新たな借金で家を購入するという繰り返しだったそうだ。これは、そのようにしてお金が回っていれば、つまり家が常に売れるという状態が続くことを意味しているが、誰もが幸せという仕組みだった。しかし、ひとたび家が売れないということで、お金が回るのが止まることが起これば、すべてが破綻するという仕組みでもあった。

家が売れなければ、サブプライムローンの借り手は最初の借金が返せない。そうすると4年目くらいからは高金利の返せない借金に苦しむことになる。そのようなことが起これば、そのように危険な家にはますます買い手がつかなくなり、家の値段は下がる。最後は巨額な借金だけが残って、サブプライムローンの借り手は生活が破綻し、それに投資している人々も大きな損害を被るということになる。

いつかは金の流れが止まるということは多くの人が感じていた。だが、それが起こる前にこの流れを止められる人は誰もいなかった。自民党政府が作ってきた、金が回るシステム(公共工事によって地方に金をばらまくというもの)も、その金がいつかは止まるという予測は誰にでも出来ただろう。しかし、それは誰にも止められなかった。もっと早くその流れを止めていれば、今のような大きな痛みを伴う破綻はなかったかもしれない。小泉改革が偽の改革だと思うのは、この破綻の流れが止められなかったからだ。

民主党政権になって、ようやくこの流れがストップしようとしている。今この流れを止めなければ、後になればなるほど痛みは大きくなるのではないかと思う。先の見通しのない、利権を獲得するためだけの金の流れを止めること、これこそが民主党政権の大きな使命ではないかと思う。