二流問題の考察−−簑田胸喜の場合(続き)


「蓑田胸喜の時代」から、考察の目的のいくつかが理解出来るようになった。その思想の二流性は、理想が高潔なものでありながら、実現する手段が安易な方向のものであり、「観念論的妄想」と呼んでもいいような愛国・天皇賛美から発しているところにあると僕は感じる。

ただ、思想の二流性にもかかわらず、人格の高潔さが大衆的支持を得る可能性も感じた。このあたりがプラスの評価とマイナスの評価に関わる部分だろうか。真面目な狂信者というのが、ポピュリズムを獲得した場合に、実に恐ろしい存在になると言うことの一つの例ではないかと僕は感じる。ヒトラーなども、その本質は非常に真面目で愛国的だったのではないかと思う。

佐高信さんの言葉を借りると、小泉さんは「クリーンな鷹」と言うことになる。思想的には二流であっても、このクリーンさがポピュリズムの対象になる。恐ろしい存在として君臨しているのではないかとも思う。二流の問題の考察は、そのような意味でも極めて現実的な今の問題と関わっている。

簑田胸喜の大衆的支持はそう長くは続かなかったようだ。「なぜか昭和16年9月以降急速に活動は衰え」とこの資料では語られている。これは、人々がその思想の二流性に気づいたと言うことなのだろうか。資料によれば

「『竜北村史』の著者永松豊蔵によると,9月13日に同志の慰霊祭をやった後の三井甲之,松田福松らとの密談で,何やら重大な話があったらしく,それ以後蓑田は神経衰弱にまで陥った様子だったという.しかし,その密談で何が話されたのかはまったく明らかになっていない.」

と言うことだ。だから、そのポピュリズム的性格と、握った権力は泡沫のように消えてしまったようなのだが、その原因は特定出来ない。もしかしたら、用済みとして権力の側に捨てられたのだろうかと言うことも想像する。二流の人間は、権力の強い基盤を持てるほど自分の実力は高くない。だから、いつでも権力の中枢にいる人間の役に立つ位置にいなければ権力を維持することは出来ないだろう。それが役に立たないと判断されれば、用済みとして捨てられる可能性もある。

資料では「私がたたかってきた共産主義が,実際におこなわれているのを見て,何もいうことはありません」と言う簑田自身の言葉も記録されている。これを見ると、深い敗北感を抱いていたことが分かる。その敗北感が、思想的なものとしてもたらされたのか、あるいは権力を失うことによってもたらされたのか、そのどちらかは分からないがこの盛衰の流れは深い検討に値するものだろう。何が勢力を増す原因だったのか、何がそれを衰えさせる原因だったのか、正しい解釈を見つけたいものだと思う。

簑田胸喜の思想に関する具体的記述が資料の後半部分に見つかった。これを見ると、簑田胸喜の二流性は、一流とのギリギリの部分でひっくり返ってしまった二流性のようにも感じる。次の記述

「大川の

   これほど勝れた天賦を有する日本民族が,過去において世界史に対して積
   極的貢献をなさなかったことは「不可思議」である.この「不可思議」を
   解かねばならぬ,

という意見に対しては,

   少しも不可思議ではなく,日本の地理的条件がしからしめたに過ぎない.
   交通機関が未発達であった過去においては,極東の一小国であった日本が
   対外的に能動的影響を与えるというのは困難であった.いかなる知力,い
   かなる努力によっても解けないものであって,始めて「不可思議」という
   べきである.解き得るものは「不可思議」でない.史的成立条件によって
   解き得る「可思議」的事実を「不可思議」視するのは,分析の未到か洞察
   の不徹底である.

と,こっぴどく叩いている.」

を見ると、ここでの論理展開は見事なものだと思う。批判としてまったく正当なものだ。大川周明の心情的な言説に対して、極めて厳格な論理的反論を加えている。このような論理が、簑田の言説のすべてを支配していたら、簑田は一流の学者として名をなしたのではないかと思う。しかし一方では、

「国家の史的現実的存在の倫理的価値をその階級闘争説によって全否定し,国家は「撤廃する必要もなく自ら死滅する」とあたかも自然現象を傍観するかのような態度をもって,その凶暴残忍な革命運動をも正当化する社会主義をはじめとした現代の国家否定思想の深層のどこに,躍々たる国家創造の希望と努力を認め得るのだろうかと主張する.」

という文章を読むと、簑田の革命運動の理解が本質を離れて、現象的にその暴力性を捉えて批判しているように感じる。「不可思議」と言うことの論理的分析があれほど見事であるのに、この「革命運動」に対する短絡的な考察は、その論理展開の落差に驚きを感じる。

革命に参加している個人が、たとえこのような勘違いを抱いていようと、それがすぐにマルクスが提唱している共産主義の考え方に直結すると考えるのは、マルクスをドイツ語で読むほどの知識があった簑田にしては、あまりにも論理的に乱暴なのではないかと思う。

三浦つとむさんは、「撤廃する必要もなく自ら死滅する」と言う考え方を、弁証法の無理解として批判していた。左翼陣営にこのような勘違いをする人間がどれほどたくさんいようと、マルクスの考えはこのようなものではないと言うことを批判していた。簑田が、マルクス主義を勘違いしている人間をこそ批判して、正しいマルクスの思想を受け止めていれば、簑田は一流の学者だったのではないかと思う。何がそれを妨げたのだろうか。

資料では、簑田に対する他人の印象として久井達雄の『昭和維新』からの引用が載せられている。

「蓑田といふ人は、個人としてはきわめてまじめな礼儀正しい人であったが、ひとたび反対者に対する闘いとなると、異常に近い情熱をおび、たんに言論文章の上でこれに攻撃するのみでなく、検事局や憲兵の力を借りても相手を克服しなければやまぬという気概を示した。」

言論活動で相手を克服するのでなく、権力の力を借りてでも相手を打倒しようとする姿勢には、その思想の二流性が現れているように感じる。一流の学者であれば言論の力だけで相手を打ち負かすことが出来るはずだからだ。

三浦さんは、かつてスターリンを批判したときに、左翼陣営から完全に抹殺されそうになった。発表する場を失ったり、批判に対する反論の機会も与えられなかった。しかし、いつかは自分が正しいことが分かるだろうという希望を失わず、自分の言葉を受け止める人間に対して言論を発していた。アカデミックの世界では三浦さんを評価する人は少ないようだが、僕のように市井の人間で三浦さんを高く評価する人間はたくさんいる。

無理をしてでも相手に勝たねばならないという姿勢は、また二流の学者には付き物の要素なのかも知れない。この資料の著者は、「まさに「敵」すなわち「国賊」と思った相手を潰すには手段を選ばぬこと,これこそが蓑田を「学匪」と恐れさせ,嫌わせたのである.」と語っている。

これは、簑田にとっては「真理」の問題よりも「敵の殲滅」の方が大事だったと言うことを意味するのだろう。その「敵」の判断は「国賊」と言うことによっているのだが、これは感情的な反応であり論理的なものではない。ここに、簑田の論理性が、彼のすべてを貫くことが出来なかった原因があるのだろう。

一流になる可能性がありながらも、論理よりも感情に流れるその性質のために一流になりきれなかった。簑田という人を僕はそう感じている。ここにこそ、その二流性の本質を見たいという感じだろうか。

ただ、ここまでの考察では、簑田の攻撃性は相手を「国賊」だと断定するその思想性から導かれるもののように思われる。そこには、まだルサンチマンの香りを感じない。果たして、簑田の持っていたルサンチマンは、どのようなものでどこで現れているのだろうか。資料はまだ引き続き語られているので、それが見つかるかどうか読んでみよう。