歴史観について

『新しい歴史教科書』が登場したとき、そこには、歴史は物語であるというようなことが語られていた。日本人にとって誇りが持てるような歴史こそが価値あるものだという思いがそこにはあったようだ。歴史が、根本的にどのようなものであるかと考えるものを「歴史観」と呼んでいる。

その一つが「歴史は物語である」というものだろう。辞書で調べると、歴史観の代表は、マルクス主義の「史的唯物論」だった。それは、人間の歴史を解釈するのに、人間の精神活動に関わる部分「政治・法律・宗教・哲学・芸術などの制度や社会的意識形態」(上部構造)が、物質的活動に当たる「社会的生産における物質的生産力とそれに照応する生産関係とからなる社会の経済的構造」(土台)によって決定されているとする見方だ。

歴史を物語だと考える「歴史観」は、最初から科学であることを放棄している「歴史観」だ。それは物語であるから、物語の作者によって違う歴史が登場しても仕方がないと考える。だからこそ、日本人のための歴史は、日本人が誇りを感じ、ある意味ではいい気分になるようなものを選択して歴史として語ることになる。

科学でない「歴史観」は科学的に批判しても仕方がないので、そういう歴史が好きな人には何も言うことが無くなってしまう。ただそういう人は、歴史に対する誠実さを見せるなら、自分たちが自由に歴史を選んでいる以上、他者が自由に選ぶ歴史に対しても文句を言うべきではないだろうと思う。それは、物語である以上、どちらが正しいとは言えないものだからだ。歴史を物語だと思っている人間は、他者の歴史に対して批判する資格を持たないと僕は思う。

マルクス主義の「史的唯物論」は、科学になり損なった歴史観だ。それは、社会主義国に対する正しい未来の予想をもたらすことが出来なかった。それが間違えていたことによって、科学としての資格を失ってしまった。しかし、これは作りかえることで科学になる可能性を持った歴史観とは言えるだろう。実験によって誤謬であることが分かってしまった仮説だったので、その誤謬の修正が出来れば再び科学かどうかを問う実験をすることが出来る。

物語の方はそうは行かない。そもそも仮説にならない「解釈」が物語だからだ。それは、実験によって証明出来る仮説を持っていない。どんな事実があろうとも、自分にとって都合のいい物語として解釈してしまえばいいからだ。永久に科学にならない物語と、真理性という点で科学になり損なった史的唯物論は、構造的に違う歴史観だと思った方がいいだろう。

板倉聖宣さんは『歴史の見方考え方』(仮説社)という本で、科学になりうる歴史観として、「原子論的な歴史の見方考え方」というものを提唱している。これが科学になりうるという主張をしているのは、この歴史観によって得られた結論が、真理であるという主張をしているからだ。物語のように、考える人によって結論が違ってくるのではなく、誰が考えても同じ結論に至るという真理だという主張をしている。

史的唯物論もそのような主張をしていたが、これは社会主義国の未来の予想において真理でないことが分かり、科学と呼べなくなった。板倉さんは、「原子論的な歴史観」を用いて、江戸時代の農民が食べていたのは米が大部分だったというのを証明した。これは、個別的な事実ではあるが、そうも考えられるという仮説を提唱したのではなく、これが事実だという真理だと言うことを提唱している。

「大地・球形説」や「地動説」のように、個別の存在である地球に関する命題であっても、普遍性・一般性を論じる科学的真理になりうるのは、その考察において普遍性・一般性を経ているからである。個別的に見て確かめているのではなく、現実には直接見ることが出来ないにもかかわらず、論理による普遍性の考察によって結論が導かれるので、それは個別的な事実の指摘にもかかわらず科学的真理と呼ばれる。

さて、板倉さんが、江戸時代の農民が米を食べていたと言うことの考察で用いた普遍的原理は、物質不滅の原理というものだ。それは次のように語られている。

  • 原子が不滅だから物質も不滅、という考え方を貫いて考える。
  • ただ漠然と考えるのではなしに、物質不滅の原理を軸にして仮説を立てて、積極的にその仮説の真偽を問いかけながら考える。

原子は、原子そのものが消滅することはない。形を変えることはあるかも知れないが、それは物質として存在し続ける。江戸時代の農作物の米について、この物質不滅の原理を適用して考えてみる。まず、全国での米の生産量がどのくらいあったかを推定する。板倉さんは、だいたい穀物の6割が米だったと推定している。

このデータだけで、だいたい日本人の大部分が米を食べていたという予想が成り立つ。米だけを食べていたとは考えにくいので、他のものと合わせて、主に米を食べていたと考えられる人口は、6割よりも多いと予想出来るだろう。江戸時代の武士も町人も全人口の5%程度だと言うから、10%は農民ではないが、残りの90%の農民の中で、最も少なく見積もって50%、実際にはもっと多くの60から70%は米を食べていたと予想される。

これは、生産量を単純に人口の比率に当てはめただけなので、まだ予想の段階にとどまっている。仮説と言っていいだろう。実際には、この仮説に反対する考えがあるので、それを検証する実験が必要になってくる。まず物語のイメージを持っている人間は、江戸時代の農民が米が食べられたわけがないという先入観があるので、予想だけではまだ納得出来ないだろう。

年貢もたくさん取られていたようだし、米ではない他の雑穀を食べていたかも知れないという予想も、予想としては可能なので、「物質不滅の原理を軸にして仮説を立てて、積極的にその仮説の真偽を問いかけながら考える」という方向を取らなければならない。板倉さんは次のように思考を進める。

まず年貢について考える。年貢として取り立てられた米は、物質不滅の原理に従えば、回り回って本当に消費されるところへ行かなければならない。年貢はだいたい50%くらいだと考えると、それを武士が全部消費するとは考えられない。武士は人口の5%しかいないのだから。板倉さんは、これを売りに出すと考えている。しかし誰が買うのかと言えば、考えられるのは町人だが、これも人口の5%くらいしかいない。

残りの40%の年貢の行方はどうなるのだろうか。江戸時代は鎖国をしていたのだから、貿易で外国へ行くことも考えられない。どういうルートをたどるのか、具体的には確かめられないが、農民の元に戻ってくると考えないと、物質不滅の原理に反するのではないだろうか。

これは論理的帰結なので、ここで仮定されていることのいくつかが正しいと確認されれば、この結論の正しさも保証される。例えば一番重要なのは、江戸時代に生産された穀物で、米が圧倒的に多いと言うことがある。その他には、武士と町人の人口がそれぞれ5%ずつで、残りの90%は農民だったということもある。これらの統計データに間違いがあると、正しい推論であっても、結論の正しさが保証されなくなる。

途中でどのようなルートをたどって農民の所に米が行き着くかは、物質不滅の原理にとっては重要ではないのだが、それが明らかにならないと、このことが信じられないという感覚を持つ人はいるだろう。その人は、論理よりも感覚の方を信じたい人なのだと思う。

そういう人は、知らないうちに物語としての「歴史観」が身に付いてしまったのだろうと思う。板倉さんが語るように「江戸時代の農民の生活のみじめさを感動的に受け止めてきたから」なのだろうと思う。その物語を否定する論理が急には受け付けられないのだと思う。科学的な「原子論的な歴史観」は、論理を徹底させる必要があるので、なかなかそれに慣れないと難しいかも知れない。

この論理が、物語と違うのは、それが論理である以上普遍性を扱っているということだ。物語は特殊な対象を象徴的に扱う。江戸時代に、米が食べられなくて苦しんだ農民が、実際にはいただろうと思う。しかし、それは日本全国で普遍的な存在ではなかったのではないか。農民全体という統計で見れば、米を食べていたものが大部分を占めていたのではないかと思う。しかし、象徴的な特殊な存在がイメージとして強く残れば、物語が歴史だと思う歴史観の下では、「江戸時代の農民は米が食べられなくて悲惨だった」と言うことが印象に残るだろう。

板倉さんが提出した、科学的な歴史観での真理は、江戸時代の特定の農民の話ではなく、任意の農民についてどうなのかという主張だったのだ。ここに現れる任意性が科学であることの象徴的なものと言えるだろうか。科学というのは、やはり任意性を持つものなのだ。

板倉さんは、日常のありふれた農民の姿に関する歴史を求めている。物語のように感動的な特殊な歴史を求めているのではない。そのような歴史は科学にならないのである。科学は、ある意味では冷静で、感情的なインパクトは少ないのかも知れない。しかし、そのような対象でなければ、客観的な真理は求められないのではないか。

客観的真理はいらない。感動するような物語が欲しいのだ、という人には、僕は何も言う言葉は見つからない。それなら、歴史を勉強するのではなく、歴史小説でも読めばいいのにと思うだけだ。僕は、歴史が学ぶに値する知識であるためには、やはりそれは真理を語る科学でなければならないのではないかと思う。楽しむために歴史小説を読むのは別にかまわないが、それが歴史のすべてだと思ったら、あまりにも歴史観としての水準が低くないかと思う。

微妙な議論になっている「南京大虐殺」の問題にしても、そこに物語を作るような歴史は、おそらく真理を語ることは出来ないだろう。その物語で感動したい人間にとって都合のいい物語になるだけだ。そこで真理を語りたいのなら、「原子論的な歴史観」を基に、物質不滅の原理で考えを進めるしかないだろう。それは、ある意味では、人間を個人ではなく、統計データという抽象性で語る歴史になるので、冷たいという感じを抱くかも知れない。

しかし、そこで真理を求めるなら、この冷たさを受け入れなければならないと思う。板倉さんが、江戸時代の考察において、米の生産量や人口の比率に注目したように、「南京大虐殺」の「真実」を確立するには、そこでの人口やさまざまの物理量に注目しなければならないのではないかと思う。それが確定することによって、真理が確定する歴史が得られるだろうと思う。