宮台真司氏の論理展開


先週のマル激だっただろうか、宮台真司氏が、福田康夫氏の総裁選出馬辞退についてこんなことを語っていた。

  • 現段階では安倍氏に勝つ確率は低いし、勝ったとしても僅差の勝利になる。
  • 負ければ実績に傷が付くことになる。
  • 勝ったとしても僅差での勝ちなら、安倍氏に代表されるようなポピュリズム政治が生き残ることになる。
  • 安倍氏には小泉さんほどのカリスマ性はないので、総裁になった後の実績は作れず人気は落ちる。
  • 安倍氏は、小泉路線で人気を保ってきたので、大幅な路線転換は出来ず、小泉さんの政策を継承していく。
  • 小泉さんの政策はそろそろほころびが出てきたところで、格差拡大などの面がこれからいっぺんに吹き出し、その負の面が明らかになってくる。
  • 安倍氏は、これらの問題に対処しきれず、早晩失敗を犯すようになる。

このような論理の展開を前提にすれば、今無理をして総裁戦に出るよりも、安倍氏が失敗した後に、人々の期待をすべて背負って出る方が有利であると判断出来る。その時を待つために、今回はあえて出馬を見送ったのではないかということだ。

今回は安倍氏には勝てないという敗北の予想で辞退したのではなく、今回勝つよりもその後で勝った方が、権力の基盤も盤石なものになるという読みがあったのではないかということだ。安倍氏は、大きな失敗や挫折というものの経験がなさそうなので、そういうものに巡り会ったらすぐにでも政権を手放すのではないかという読みもあるそうだ。

この論理展開は、根拠としている事実にもそれらしいものがあるのを感じるし、論理の流れとして納得出来るものばかりだ。この推論は非常に説得力があるのを感じる。そして、この推論が正しいかどうかは、今後の流れを見ていれば分かるという点でも、検証出来る可能性も感じる。

今度の総裁選で安倍氏が勝つだろうという予想は多くの人が感じているもので、それはおそらく正しいだろう。だが、これは予想としてはあまり面白い予想ではない。あまり考えなくてもすぐに分かるからだ。むしろ安倍氏が勝てないような状況が訪れれば、それは驚嘆に値するし、考える価値がある対象となる。しかしそう言うことは多分起こらないだろう。

安倍氏の政権が短命に終わるだろうという予想は、よく考えればなるほどと納得するが、今の安倍氏の人気を考えるとなかなかそこまで想像が及ばない人が多いのではないだろうか。宮台氏はなぜ安倍氏の政権が短命に終わると予想出来たのか。その論理展開はどうなっているのだろうか。

まず一つの前提は、安倍氏は小泉さんほどの政治家としての能力を感じないということだ。そのカリスマ性においても差があるし、論理的な劣勢を「ワンフレーズ」で逆転してしまうような機転も安倍氏には感じられないという。安倍氏自身も、言葉によって相手を動かす力は小泉さんほどないというのを自覚しているようだ。

小泉さんが総理だったときも、実は客観的に見れば政治的には大きな危機がいくつもあった。日本の舵取りはそれだけ難しい時代になっている。だが、小泉さんは、詭弁とも思えるその言葉の魔力で日本中を騙してしまった。同じように厳しい時代が続くこれからに、安倍氏が小泉さんほどの言葉が使えなかったら、危機が危機として前面に出てきてしまうだろう。そうなれば、安倍氏が失敗する可能性はかなり高いと言える。これは論理の流れとしては整合性を感じるものだ。

今話題になっている靖国問題にしても、小泉さんの後を継ぐ安倍さんとしては、その強硬路線からいっても中国の抗議に屈したような形を見せるわけにはいかないから、靖国へ行くしかないだろう。そうすると、外交的には、アジアとの外交はストップしたままになる。ここからの失敗につながる可能性も宮台氏は語っていた。

安倍氏のやり方では、小泉さんの路線でふくれてきた負の遺産は処理しきれないだろうといわれている。国内的には大きな成果を上げるのが難しい。そんなときに、昨今の中国に対する増大してきた悪いイメージを利用して、仮想敵を強く煽ることで国内問題から目をそらせようとするかも知れない。これはどの時代の権力者も使ってきた手だ。

靖国問題で、どうせ回復出来ないような溝が出来ているので、むしろ仮想敵として利用した方がいいという考えに傾く可能性が高くなるだろう。しかし、これが大きな失敗につながる可能性が高いと宮台氏は見ているようだ。僕もそれを感じる。それは、靖国問題にしても国際的には中国の方に論理的な整合性があるように見えるからだ。論理的な整合性がない方向で、無理をして中国を悪者にしようとすれば、国内的には一次的に人気が上がろうとも、国際的・実質的にマイナスの結果が出てしまうのではないかと思われるからだ。

現に小泉政権の元でも、靖国参拝に批判的な意見が、自民党内部や経済界からも大きくなっているのは、実質的なマイナスがあちこちで大きくなっているからではないかと思う。小泉さんは、その人気でマイナスが明らかに見えるようになることは阻止しているが、安倍氏になったらそれは隠し通せないのではないかと思う。

安倍氏が総裁になり、その後の失政で退陣し、福田氏が出てくるという展開になれば、宮台氏が予想した通りということになる。果たしてそうなるものか注目しておきたいと思う。ただ、この予想がその通りにならなかったとしても、そこに納得いくだけの理由が見つかるなら、この推論そのものはなお説得性を持ち続けるだろう。予想が違ったとしても、それが違う結果をもたらした要因が、整合性を持って推論の中に位置づけられたら、推論そのものの整合性は失われないと思うからだ。

宮台氏の推論には、このように論理的な整合性を感じるものが多い。上のように、具体的な事実の展開を予想する推論は、また分かりやすいものにも感じる。だが時には、非常に抽象的な前提を持っていたりすると、それを理解するのにかなり難しさを感じるものもある。『バックラッシュ』(双風社)という本で最初に語られている、バックラッシュ現象の原因を分析する推論にはかなりの難しさを感じる。

ここでは、すべてのバックラッシュ現象の背後にあるものとして「流動性不安」というものがあるということから語られている。これは、おぼろげながらもそう感じるという点では整合性があるのを感じるのだが、「流動性不安」という言葉そのものが抽象的なものなので、この抽象的な概念が出来上がってきた道筋が本当に理解出来ないと、それで語られている事実も正確に把握したと言えるかどうかが難しい。

そこでこの「流動性不安」を理解するために何が必要かを考えると、「過剰流動性ゆえに、自明性への疑い」が出るという現象の理解がいるのではないかと感じられる。そして「自明性への疑い」は「前提不在による混乱」をもたらし、その具体的なものとしては「弱者への手当」への疑問があり、誰が弱者かということでの「自明性」が失われたという考察へと進んでいく。

そうすると、この弱者への考察には、「ネオリベ的な優勝劣敗図式」や「第三の道」というような概念の理解が必要になってくる。現象を短絡的に受け止めて、少ない事実を前提にすれば分かるというような形になっていない。多くの関連する事実や理論を元にしてその概念を作り上げないと、本当の意味で宮台氏が語ることの内容が受け取れない。そこに、宮台氏の言説の難しさというものを感じる。

安倍氏を巡る総裁選とその後の政治の動向については、確認すべきものはいくつかの事実で、それも見えやすいものが多かった。しかし、バックラッシュに関する言説は、それを確認するための前提となることをすっきりと納得することが難しい。

バックラッシュ』という本で取り上げているのは、ジェンダーフリーに対する「デマと不安ばかり拡大再生産する」間違った言説を批判するということで、「バックラッシュ」というものがどんなものであるかを示そうとするものだ。実際に、「バックラッシュ」だと言われている言説の間違いを指摘するものは、論理的な整合性も感じるものだ。

だが、宮台氏が語る論理は、そのようなバックラッシュ現象が起こってくる原因を社会のどの面に見るかというものだ。これは個々の言説の間違いを指摘することよりも難しさが大きいだろうことは感じる。より広い複雑な社会という対象について語ることになるからだ。一面的な見方にならないように、あらゆる面を考察して結論を出すと言うことはかなり難しいだろう。

不安こそがバックラッシュ現象の原因であるというのは、何となくそう感じる気もするが、何となくそう感じている間は、本当には社会を捉えたことになっていないようにも感じる。何となくそう思うというのは、かなり単純に捉えたことの結果のように思うからだ。

最初の直感的なとらえ方は、深く考えた後の結論と重なることは多いと思うが、出来ることなら、宮台氏が考えた道筋を後からたどることが出来るようにしたいと思う。どのような知識を持てば、同じような道筋をたどることが出来るだろうか。宮台氏が提出している地図の、正確なたどり方を考えてみたいものだと思う。