内田樹さんの語る中華思想 1


内田樹さんは、2008年04月21日に書いた「中国が「好き」か「嫌いか」というような話はもう止めませんか」というエントリーの中で、そこに書かれた事柄を「書いていることは『街場の中国論』の焼き直しで」と言っている。

中華思想について、このブログのエントリーで紹介されている短い文(「週刊現代」に載った)だけで内田さんが何を言おうとしているのかを判断すると、それはかなり単純化されて理解するしかなくなるだろう。短い文章の中に入ってしまっているので、かなり大雑把な、本質だと思われる一側面についてしか語られていないだろうと思う。だから、そこに「あれが書いていない」ということが気になっても、書いていないから内田さんの中華思想の理解が不十分だとすぐには結論できないだろう。

内田さんは、それが『街場の中国論』(ミシマ社)に書いたことの焼き直しだと言っているので、この本に書かれていることから、内田さんが本当は何を言おうとしていたかをもっと詳しく知ることが出来るだろう。『街場の中国論』では、69ページから105ページまでに一つの章を設けて「中華思想」について語っている。これならある程度まとまった主張としてその内容を詳しく受け取ることが出来るだろうと思う。これをもとにして、「週刊現代」の記事についても、内田さんが言わんとしていた本質は実はどういうものだったかということを考えてみたいと思う。

内田さんが『街場の中国論』に「街場」という言葉をつけたのは、それが専門家の議論ではなく、町の中で普通に一般市民が展開しているような「中国論」を中心にして考えてみようという意識がある。それは、専門家が知っているような細かい知識を前提としていない。普通の市民が目に出来るような情報として、テレビや新聞ですぐに手に入るようなマスコミの情報や、ネットの検索ですぐに手に入るようなデータなどをもとにして現代中国の行動の整合的な理解をしてみようというものだ。

普通に考えると、何か変だなあと思えるような中国の行動が、なるほどこれならこう行動するのも無理はない、と納得できるような理屈を見つけようというのが「中国論」であり、それが専門家ではない普通の人の理解であるという理由で「街場の」という言い方をしているのだと思う。

変だなあと思えるようなことを納得するための前提として内田さんは「中華思想」について考察している。だから、内田さんのここでの「中華思想」の考察は、変だなあと思えることの理屈が見つけられるという、ツールとして利用できるという範囲での「中華思想」の理解ということになる。専門家がその本質を考察して、「中華思想とは何か」という問いに答えるようなものではない。もちろん、専門家が語ることと全然違うことを語っていたら、その目の付け所に疑問を感じるが、専門家でもその範囲では同じようなことを語るだろうと思えることなら、そこに大きな間違いはないだろう。問題は、そのような一側面の理解が、中国の行動の「変だなあ」と思うような部分を、「それなら無理はない・仕方がない」と納得するのに役立つかどうかということだ。そのような観点で、内田さんが語る「中華思想」の理解を『街場の中国論』から理解してみよう。

内田さんは、「中華思想」を語る章に「ナショナリズムではない自民族中心主義」という副題をつけている。この「ナショナリズムではない」という主張は、ブログのエントリーでも次のように書かれている。

中華思想というのは一種のコスモロジーである。中央に中華皇帝がおり、その周辺に「王土」が拡がり、中華の光が及ぶ範囲は「王化」されているが、中央から遠ざかると光が薄まり、「化外の民」が跋扈する「蛮地」になる。蛮地は蛮人たちの自治に委ねる。彼らが朝貢するならば、地方の王(漢委奴国王とか親魏倭王とか)の官位を与え、さまざまな下賜品を与えて帰す。だから、中華思想ナショナリズムではない。このことを覚えておこう。」


ここでは「だから」という接続詞が使われている。これは「中華思想」という前提から、論理的に「ナショナリズムではない」という結論が導かれるのだということを意味する。言い換えれば、「ナショナリズムではない」ことを内包する定義として、内田さんは「中華思想」というものを捉えていると理解できる。

内田さんは上の文に続けて「中華思想には「国境線」という概念がない。周縁には王土なのか化外の地なのかよくわからない「グレーゾーン」が拡がっている」という言葉を続けている。「国境線」という概念がないのだから、国家の帰属や一体感を主張する「ナショナリズム」ではありえないということが論理的に帰結されると考えていいだろう。この「中華思想」の理解がどこから出てくるのかを理解することが、内田さんが語る「中華思想」を理解することになるだろう。

中華思想」を文字の意味として辞書的に解釈すれば、我々の住んでいるところこそが「中心」であり「華」である・すなわち優れているのだという主張(思想)だと受け取れるだろう。そしてこのような考え方からは、中心から外れた、自分たちとは違う人々は「華」ではない・劣った人間(「夷」)であるとするものが導かれることが当然のものであると考えられている。だから、この思想を字義どおりに解釈すると、それはひどい差別意識丸出しの傲慢な考えのように見えるだろう。

しかしこのような理解では、その思想が長い間中国を支配して、しかも回りの国々もある程度認めていたということを整合的に理解することが難しくなる。こんな考え方をする支配者は、現代感覚からすると嫌な野郎に見えるから、回りの国々はすべて面従腹背をしていたのだろうか。嫌な野郎だと思っていても、その国の大きさや武力の強さに、仕方なく面従腹背していたのだろうか。だが、そのようなものだったら、「中華思想」というのはもっと早くその価値を失って滅びていたのではないだろうか。あれだけの長い間、この思想が人々に信じられていたのは、そこに優れていた面があったのでなければ整合的な理解が出来ない。内田さんが語る「中華思想」は、字義どおりに解釈すればひどい考え方なのに、現実にはこれだけ積極的な高い価値(よい面)があったのだという指摘ではないかと感じる。

内田さんは、同じように傲慢な思想の一つである西欧の植民地主義との比較から説明を始めている。西欧の植民地主義の考え方も、自分たちの文明・文化がもっとも高いもの(最も進歩したもの)という意識があり、植民地化された異民族たちは遅れた存在として差別的な目で見ていた。自分たちは優れていて、他は劣っているという考え方は「中華思想」と同じように見える。どちらも傲慢な姿勢の現れだ。

しかし、基本的な発想としては同じようなものに見えるのに、実際の行動ではこれがまったく正反対のものとして現れる。西欧の植民地主義は、遅れた地域を啓蒙・教化してやる対象として、「善意の押し付け」をする行動に出る。西欧の植民地主義は、単にエゴのために自らの利益を得るために侵略したという側面だけでは一面的な理解にとどまるだろう。彼らの中の多くに、遅れた地域に自分たちの進歩を分けてやろうという善意があったのを否定できないのではないか。この善意は、押し付けられる側から言えば、「余計なおせっかい」になるのだろうが、押し付ける側は主観的な善意であることで、その侵略行為を正当化してきたのではないかと思う。

日本における「アジア主義」という考え方も、基本的にはこの西欧の植民地主義と同じ発想ではないかと思う。遅れたアジアを近代化するために、近代化に成功した日本の進歩を押し付けても、結果的に遅れた国が近代化されて進歩すれば、それは正当化されると考えたのではないかと思う。

この「啓蒙」「教化」という発想が、中華思想にはないのだと内田さんは指摘する。これが、発想は似ているのに行動面でまったく違うものとして現れるという論理の展開になる。西欧の植民地主義が「啓蒙」や「教化」に傾くのは、異民族は遅れているだけで、人間としては同じなのだというヒューマニズムの思想・平等だという考えがあるようだ。遅れているだけだから、その蒙を啓いてやり、進歩した考えを教えてやれば我々と同じになるという善意がそこにはあって、それが手段としての侵略行為をも正当化してしまうという働きを持っている。侵略・弾圧されるのは、進歩を受け入れない相手が悪いというわけだ。これは危険な考え方だが、善意にあふれた人間はその危険性に気づかない。それを宮台氏は強く指摘していたようだ。

中国の大帝国がこのような行動をしなかったのはなぜか。それは中華思想における優れた面というものが「啓蒙」や「教化」では実現しないと考えていたのだろうと内田さんは語っているように思う。それは中華思想では、自分たちと異民族とは基本的に人間が違うのだという平等思想を否定するような、ある意味では差別的な前提をもっていたからではないかという。差別ということが、それ自体に悪いイメージがあると思っていると、この指摘は中華思想の欠点のように思ってしまうが、実は侵略をしなかった思想として、これがかえって中華思想の長所となっていたりするというのを内田さんは指摘している。

異民族は人間が違うのだから、中国のほうで働きかけてもそれで変わることはない。もし変わりうるとしたら、今中国ではないところが、自らが自覚して中国になるような努力をして初めて変わりうるという発想があったようだ。あくまでも、異民族の自覚と自発的努力の結果として進歩があるのだという発想があったと考えているようだ。このような発想があると、異民族に対して無理な働きかけは無駄だからやらないという論理の展開になるだろう。自分たちに損害を与えない限りでは放っておくという態度になるのではないだろうか。

また中国自身の内的な動機としては、自らの優秀性を圧倒的に示すということのほうに気持が傾くだろう。相手の遅れた面を突っついてそれを引き上げてやるという行動ではなく、自らはこれだけ偉大で優れているということを、それが明らかになるように見せてやることに意識が集中するのではないか。

このような意識の現われが「朝貢貿易」という現象に表れると考えると、その行為の整合性が納得できる。この「貿易」では、中国の利益になるところは経済面では何もないそうだ。朝貢してきた周辺国の貢物よりも、ずっと多くの物が与えられて中国の偉大さを示すというのがその目的だったようだ。

周辺国が「朝貢貿易」で中国の偉大さに敬意を払っている限りでは、その周辺国内部で何があろうと中国は関知しない。せいぜいが、困ったことが起こってそれが中国内部にまで及ばないように気をつけろと言うだけだろう。そして、その周辺国が、漢字を学び・漢字文明を身につけるところまでいけば、そこは周辺部の異民族ではなく中国の内部に取り込まれるという変化をしていったのだろう。

中華思想は、単に尊大で傲慢な考え方だったのではなく、それを強引に周辺に押し付けないという面で、西欧の植民地主義のような危険性を持たなかった。それは中華思想の優れた面として、アジアの地域で長い間共存共栄することを支えたのではないだろうか。このような積極面、穏やかで平和的な長所を中華思想は持っていたと、内田さんは語っているように僕には見える。これはたぶんナショナリズムの思想とは相容れない特徴ではないかと思う。最初の重要な理解として、中華思想の、押し付けがましいところのないおおらかな側面があるというのを記憶しておいていいのではないかと思う。