2006-04-22から1日間の記事一覧

解釈の正しさについて

ラカンについて調べていたら、「生き延びるためのラカン 第1回「なぜ「ラカン」なのか?」」という斉藤環さんの文章を見つけた。ここでは、携帯電話がなぜ不快に感じるかを、ラカンを応用して分析していた。その結論は、 「電車内で携帯電話をかける人は、…

ラカンの言説の一流性 1

はてなの日記「■[雑文]難解な文章について」に、わどさんからコメントをもらった。それに対する返事として僕は次のようなことを書いた。 「大江源三郎氏の文章がわかりにくいのは、4つほどの仮説が考えられます。1つは、大江氏が、情緒の人で、論理よりも…

「事実」は実体的(物質的)存在ではなく観念的存在である

本多勝一さんは、『事実とは何か』という著書の中で、「客観的事実」の「客観的」という言葉について論じたことがあった。その趣旨は、100%客観的と呼べるような「事実」はないということだった。つまり客観的と言うことを、文字通り<人間の意識とは独…