辞書的理解と本質的理解

ある現象を理解する(解釈する)時、それが本質的理解であるかどうかを確かめる方法を考えたい。それが単に言葉の言い換えのような、辞書での意味の説明に過ぎないような理解の仕方なのか、それとも対象の構造を把握した、その対象が成立するための本質的な属性をつかんだ本質的な理解であるのか、どちらなのかを知る方法がないだろうか。
例えば堀江氏が悪いことをしたらしいと言うことの理解は、マスコミの報道では「証券取引法違反をした」と言うことになる。これは「悪いこと=証券取引法違反」という言葉の言い換えをしたに過ぎない。「悪いこと」の構造は少しも解明されていない。
「悪いこと」の本質は、実際の堀江氏の行為の中のどこに存在するのか。その構造が理解出来たとき、本当の意味で「堀江氏が悪いことをした」と言うことの意味が理解出来たと言えるだろう。