形式論理的思考

形式論理的思考の最たるものは矛盾律ではないかと思う。ある出来事の肯定と否定とが同時には成り立たないと言うのは、日常感覚でもそのように感じている人は多いのではないかと思う。この感覚がないと推理小説も楽しめない。ある時刻に、その場所にいたということとその否定のいないと言うこととは同時には成り立たない。だから、アリバイのある容疑者は犯人では無いという判断が成り立つ。これは形式論理の典型である。
このように、形式論理は常識と一致する部分がたくさんあるので、それが普遍的にどこでも通用すると錯覚しがちだ。しかし、形式論理が通用しない対象も出てくる。このときに、形式論理にも限界があるのだと理解していないと、理屈でそうなるのだから現実の方がおかしいという結論になりかねない。実際には、形式論理で捉えられないものを形式論理で考えたことの方が間違いだと言えるのだが。
脳死の問題が難しいのは、人間は、死んでいるのか死んでいないのかどちらかだと、形式論理で捉えるからだろうと思う。そのどちらとも決められない、あるいはそのどちらも妥当するという特殊なケースがあるのを感じる。このようなときは、形式論理の限界を自覚して、形式論理にとらわれない思考が必要だろう。弁証法論理の動員も考えなければならない。また、問題を設定し直して、形式論理で扱えるように問題を変えるという工夫もいいかも知れない。いずれにしても、固定的に「あれか、これか」で考える形式論理には、必ず限界というものが存在するのだという自覚は必要なものだと思う。