事実とは何か

事実とは、辞書的に解釈すれば「本当にあったこと」というようなものになる。だが、ある出来事が本当にあったかどうかという判断は時にたいへん難しいものになる。
例えば手品を眺めているような場合、何もない箱から鳩が出てきたのを見たとする。このとき「本当にあったこと」はいったい何になるだろうか。「何もない箱から鳩が出てきた」というのを、確かに自分が見たのだから、これが「本当にあったこと」という「事実」だと主張出来るだろうか。
しかしこれにはすぐ次のような疑問が出てくる。「何もない箱」というのは本当だろうか、と言うようなものだ。実際にはそれが手品である以上は、何もないのではなく、どこかに種が隠してある箱のはずだ。しかし、その種を観客に見破れるようには隠していない。「何もない箱」が本当かどうかは確かめようが無く、手品であると言うことから推測するしかない。
もしそれが手品ではなく、超能力だというふれこみだったら、種があるとは考えずに「何もない箱」が事実だと思い込むかも知れない。
このようなことを考えると、事実らしいものは実は次のようなものになるのではないだろうか。
 <何もない箱のように見えたものから鳩が出てくるのを自分は見た。>
つまり、視覚という感覚に映ったものはこうだったと言うことだけが「事実」になるのではないだろうか。それが本当は何だったのかというのは、この事実の解釈に当たるものではないのだろうか。事実というのは、人間には捉えきれないものばかりだ。ほとんどは、よく分からない事実を解釈したものばかりではないのだろうか。我々が「事実」と呼んでいるもののほとんどは、実は「事実の解釈」なのではないだろうか。