昭和天皇(裕仁天皇)の戦争責任

以前に宮台真司氏が、昭和天皇には戦争責任がないということを話していたことを記憶している。その時にちょっと違和感を感じたので記憶に残っているのだが、宮台氏は昭和天皇に対しては個人的な好感の感情を抱いているということも言っていた。そう言うことも影響しているのかな、と漠然とは思っていたが、その時にはこのことを論理的に考えてみようとは思わなかった。

国家の最高権力者であった昭和天皇が、戦争という国家の行為に対して責任がないということは、論理的にはあり得ないこととしか僕には思えなかったからだ。その言葉が、宮台氏ではなく、右翼的な立場にいる人が語ったものなら、公平な第三者的な主張ではなく、立場から来る主張だから仕方がないなという受け取り方をしていただろう。

宮台氏が語ったことなので、客観的にそう主張出来る要素もあるのかなとは思ったが、深く考えてみようという意欲はわかなかった。しかし、この問題を指導者の影響や、指導者の影響で行動した人々の行為に、指導者はどのように責任を負うかという一般論として立て直してみると、今までは当然だと思っていたことも、もしかしたら他の考えも出来るかもしれないと思うようになった。

戦争責任というものを我々はあまりにも大雑把に捉えすぎているかも知れないと感じるようになった。責任というのは、抽象的に捉えるのではなく、具体的な行為において考えなければならないものではないかと思った。戦争責任についても、抽象的に戦争が行われた全般に関しての責任というものを考えてしまうと、それは頂点に立っていた人間に責任があるのが当然という、抽象的な結論が出てきてしまう。

昭和天皇が亡くなったときに、アンケートの調査で「昭和天皇に戦争責任があったと思うか」という質問があったというのを記憶している。仮説実験授業研究会で板倉さんが語っていたのを思い出す。その時の話では、若い世代(戦争を知らない世代)ほど、天皇に戦争責任があると思う人が多いという結果が出ていたと語っていた。

このアンケートの結果を、僕は、論理的に考えればそうなるのだから、若い世代ほど直接の感情に影響されずに論理的な判断をしているのだと受け取っていた。しかし、戦争を知らない世代ほどそう判断するということは、実は具体的な戦争を知らないほど、抽象的な戦争責任を論理的に導きやすいということを意味しているのではないかとも考えられる。

天皇の戦争責任について、抽象的に考えた方が正しいのか、具体的に考えた方が正しいのかは、簡単に結論出来ないことだと思う。具体的に考えると、末梢的な部分を取り上げて本質を見落とすという間違いの可能性もある。しかし、抽象性が高すぎると、条件を無視して適用範囲を広げるという、普遍性と特殊性の混同の間違いを犯す可能性もある。

どちらも間違いを犯す可能性がある難しい考察だと思うが、どちらか一方の思考しかしていないとすれば、間違いを犯す可能性がより高まるのではないかと思う。間違えないためにも、今まで考えてこなかった方を、フィージビリティスタディとして考えてみる価値はあるのではないかと思う。

もしかしたらこの面においては昭和天皇には責任がないと言える部分があるかも知れない、という発想で戦争責任について考えてみようかと思う。これは、全体として昭和天皇に戦争責任が無いという主張ではなく、昭和天皇の戦争責任という難しい問題に関して、より正しい方向を求めたいがゆえに行う考察だと考えたい。

まず戦争責任の中でも、その責任を問うのがもっとも難しいのは、日本軍が具体的に行った残虐行為の責任というものだろう。残虐行為に対しては、本質的には直接の実行者が責任を負うべきものであり、その再発防止には、日本の軍国主義が持っていた精神主義という非科学性や、人権を奪われた兵士の抑圧状況、兵士の不満が直接支配権力に及ばないようにするという支配の論理の問題などを考えなければならないだろう。

天皇という地位は、日本軍の最高権力者に位置するものであり、その地位に伴う責任というのは当然発生すると思うが、個人的な行為のすべてに責任を取るということになると、責任の範囲としては広すぎるのではないかと思う。残虐行為に対してもし責任があるとしたら、それを支配の道具として容認していたということが確認されなければならないのではないかと思う。

同じような構造にあるものに、学校における暴力行為の容認というものがある。これはしばしば「体罰」という言葉で呼ばれ、教育としての効果があると考えられて容認されることがある。この暴力行為が容認されると、その影響として、生徒同士の暴力による支配構造というものが生まれる場合が多い。

教師の「体罰」は、「懲戒行為」であるなら単純な暴力ではなく、秩序維持のために必要な行為にもなるのだが、そのためにはある種の権威を背景にして「懲戒行為」が成り立つということがなければならない。この権威が失われて、暴力の力が「懲戒行為」の背景にあるすべてになってしまうと、生徒の側はしばしば間違ってこの行為を受け止める。

本来なら権威があるからこそ「懲戒」の正しさを認めて、形の上では暴力に見えるようなことでも指導される側が受け入れるということがなければならない。しかし、力による支配が失墜した権威を支えるようなことになれば、力による支配が「懲戒」を支えるということになり、力による支配を肯定するような方向へ行ってしまう。

力による支配を肯定してしまうと、生徒によって行われる力による支配の構造も、秩序維持に役立つということで容認するような方向へ流れる恐れがある。こうなると、一見静かな学校が出来上がるが、見えないところでは陰湿ないじめが横行するという、力による支配の欠陥が出てくるようなことにもなる。力による支配は、その行動の正しさを元に行動するということが難しくなるからだ。支配する側は、その行動の正しさを反省する機会を失っていく。

このような状況にある学校では、秩序維持のために力による支配を容認していれば、それに対して指導する側に責任が生じることになるだろう。力による支配は、それを是正することはたいへん難しく、容認しないという姿勢でいてもなかなか改善は出来ないだろうが、その姿勢を見せなければ、指導する側に責任が生じるものだと思われる。

僕は、昭和天皇が、いわゆる残虐行為を容認していたと言うことは聞いたことがない。直接個人を指導する立場にはいなかったので、それに対して注意をすることもなかったかも知れないが、少なくとも容認していなかったのであれば、残虐行為に関しては責任を問えないのではないかと思う。それは、直接の実行者と、その直接の指導者に責任が帰するものだろうと思う。

次に開戦の責任についてはどうだろうか。これは、日本軍というよりも、日本の権力構造の頂点にいた人間として、国家が開戦したということに対しては何らかの責任が存在するということは自明のように思われる。そうでなければ、最高権力者という地位が不思議なものになってしまう。

しかし、天皇という地位は、実は最高権力者であるということが不思議な感じを抱かせるような地位ではないかと最近は思うようになった。天皇が、自主的に自らが判断するという意志の自由を持っているのなら、その決定に対して責任が生じると思うのだが、果たして天皇はそう言う自己決定権を持っていたのだろうかということに疑問を感じている。

平成天皇である明仁天皇は、すべての判断において、自分の恣意的な気持ちよりも、国家にとってどのような方向が望ましいかということを基準に判断しているように、宮台氏のマル激の議論を聞いているとそう感じる。それがたいへん優れた判断で、リベラリストとして申し分ない判断をしていると感じて僕は尊敬感を抱いているのだが、あまりにも完全すぎて、そこには個人の判断が入っていないのではないかとも感じる。

これは、敗戦の事実を間近に見てきた明仁天皇が、そのような失敗は二度と繰り返してはならないと言う考えから、リベラリストとしての判断をしているようにも感じる。平和な時代の明仁天皇は、自らの意志で国民をリードするというよりも、正しい判断をする姿を示すということで、模範となるという意味で象徴としての自分を表現しているように見える。

平和な時代の天皇はこのように見えるが、戦争の時代の昭和天皇は果たしてどうだったのだろうか。現人神として君臨していた昭和天皇は、神のごとくに、自らの意志を強く示してすべてにおいて指導者として振る舞っていたのだろうか。もしそうであるなら、当然開戦の責任を問われなければならない。

しかし、現人神としての役割を演じるという意識の方が強かったときは、その役割を演じさせた部分に責任の一部が帰属するのではないだろうか。このあたりの事実はどうなのだろうか。宮台氏は、昭和天皇が、戦後の人間宣言によって救われたというのを自らも感じていただろうと語っていた。役割から解放されたというホッとした感じといえばいいだろうか。

日本の天皇という存在は実に特殊な存在であるように思う。ナチスドイツのヒトラーのように、自らの意志で国家権力者となり戦争を指導した人間は、当然開戦の責任を負わなければならないだろうし、ユダヤ人虐殺の行為に対しても、それを容認していた部分が多々あるのを感じる。ヒトラーが直接ユダヤ人を殺していなくとも、その優生思想が、ユダヤ人の虐殺を容認していたと読めるからだ。

昭和天皇は、神のように自らの全能感によって行動した人間だったのか、それとも、神であるという使命感のゆえに、自らの行動を正しいものとして律することに努力した人だったのか。それを詳しく知らなければ、開戦の責任ということも単純に判断出来ないのではないかと感じるようになった。その地位から責任を引き出すには、日本の天皇という存在はあまりにも特殊でありすぎる感じがする。

敗戦における日本民族や、中国を始めとする侵略したアジア諸国に対しては、戦争によって被害をもたらしたことは明らかだ。だから、あの戦争は大きな失敗であると反省しなければならないだろう。開戦に対して責任があるのなら、その責任を取る何らかの方法を考えなければならないと思う。失敗を失敗として認めるなら、この失敗を繰り返さないための誤謬論が必要だ。

支配者の間違いがそのまま国家の間違いにつながってくるようなら、支配者の間違いがすぐに反映しないような国家権力のシステムというのを作らなければならないだろう。その一つが憲法による国家権力の制限になるだろう。しかし、昭和天皇が、正しい判断をするために努力していたにもかかわらず、開戦し敗戦を迎えるという失敗をしたとしたら、努力したにもかかわらず避けられなかった失敗をどう回避するかという問題を考えなければならない。

昭和天皇が単に一指導者として失敗しただけなら、システムの問題として考えるだけで足りるかも知れないが、努力したにもかかわらず失敗したとなると、これは意志の問題も関わった難しい考察になるだろう。昭和天皇の戦争責任の問題はそのようなことにもつながってくるのではないかと思う。

今までは、一般論として昭和天皇に戦争責任があるのは自明だろうと思っていたが、具体的な責任を考えてみるとなかなか難しいのを感じている。一般論として考える方が正しいのか、具体論として考えた方が正しいのかというのもまた難しい問題として存在する。宮台氏が語っていた「昭和天皇には戦争責任がない」という判断が、客観的に成立するものかどうか、さらに詳しく考えてみたいものだと思う。