靖国問題の原点


神保哲生宮台真司両氏がやっている<マル激トーク・オン・デマンド>では素晴らしいゲストを招いていることが多いが、これをきっかけにしてリスペクトの対象になるような人にたびたび出会うのを感じている。先日も東京理科大教授の三土修平さんをここで見て、その語り口の誠実さと論理展開の見事さに魅了された。

三土さんは専門は経済学なのだが宗教的な問題にも深く関わったことがあり、宗教的な観点からの切り口で『靖国問題の原点』(日本評論社)という本を書いている。この話はとても面白く、錯綜して難しさを感じていた靖国問題が、その原点をしっかり抑えると、何が一番の問題だったのかというのがよく分かる感じがした。

「特集:靖国問題を考える(その3止) 座談会 終わらない戦後、象徴」という記事には、三土さんの主張が一部載せられているので、それを参考にして、「靖国問題の原点」というものを考えてみようと思う。三土さんは、その記事で「宗教で存続するのが自然/追悼の意味、再考せよ」と主張している。

マル激での議論を聞いていると、三土さんが語る「原点」というのは、敗戦の時に、それまで国家の宗教としての公共性を持っていた靖国神社が、一宗教法人として私的な存在になったというところにあるという指摘だった。

公共性というのは、国のための戦死したということを国家が顕彰すると言う面を指している。単に知人や親しい人の間でそれを讃えるのではなく、国家が行うという面に公共性を見ている。また、国家がそれを行うからこそ、国のために働くという気持ちも生まれてくると考えられる。

このことを冷静に眺めれば、靖国というのは、国のために命を投げ出してでも働くという気持ちを作らせるためのものだということが分かる。自分よりも国が大事だという気持ちを持たせるための国家装置だと、冷たく言い放つことも出来る。もちろん、近代国家においてはそのようなものが必要であり大事であるという考えもある。だが、近代成熟期には、あらゆる前提が選択肢になると言う再帰性が表面化してくるので、国のために犠牲になると言うことも、個人を優先させるという選択肢と同列に並ぶようになる。

国粋主義的には、個人よりも国の方が大事に決まっている。それは選択前提として当然のことであり、それ自体を選択肢の中に入れることは出来ない。だからこそ、国粋的には靖国は公共性を持たなければならないということになるだろう。だが、敗戦によって建前上は、靖国は一宗教法人になったのであり、公共性を失ったと見なければならない。

この建前が守られていれば、靖国A級戦犯を祀ったとしても、それは一宗教法人が私的に独自の考えで行ったことだから、それに賛成の人だけが靖国へ行けばいいだけの話で、賛成出来ない人は靖国へは行かないということですませれればいいことになる。A級戦犯合祀の問題は、問題にならずにすむだろう。

しかし、靖国に日本の首相が行くということになれば、それは靖国が公共性を持つということを宣言していることになる。公共性を放棄したはずの靖国に公共性を持たせ、しかも戦争責任に対してサンフランシスコ講和条約の体制を真っ向から否定するような考えを持つ靖国ということを考えると、これが問題として浮かび上がってくるのを見るのは易しい。

靖国問題の原点というのは、本来は公共性を持たないはずの靖国に公共性を持たせるような行為をすることにあるというのが三土さんの指摘だと僕は思った。公共性と私的宗教法人という存在のねじれが靖国問題を生じさせているということだ。

三土さんは、靖国の公共性を否定して、建前としての私的宗教法人として存続することで靖国問題を解決すべきだと主張している。原点をそこに見る見方であれば当然出てくる論理的な帰結ではないかと思う。ここからは、首相の靖国参拝もすべきではないという結論が出てくる。それは、私的な宗教法人に対して公共性を与えるからだ。

三土さんの論理的な結論はこのようにすっきりしているが、靖国の存在を歴史的に振り返ってみると、感情的にはすっきりしないものを感じる人が多いだろうということも考慮している。それは、宗教としての私的側面ではない、追悼という面での心の癒しの問題だ。これは、国家が受け持つべきもので、国家がこれをないがしろにしていたところに、一私的宗教法人になった靖国につけ込まれるスキが出てきたとも言える。

三土さんは記事の中で次のように発言している。

「三土 国民が被害者意識に基づいた追悼の気持ちを靖国に託すことが、戦後25年間くらいずっと続いた。70年ごろから日本の加害責任が問題化し流れが変わったことに、かなりの人が違和感を覚えたのは事実だと思うんですね。

 「靖国は、占領が終わってからだんだん復活してきて、日本人の心のよりどころになりかけていたのに、茶々をいれたやつがいる」という見方は、ある種の人たちの実感にかなっています。昭和30年代ごろは、「これだけかわいそうな方がいるから、ぜひ合祀してください」という請願運動が盛んでした。原爆の死者も請願運動の結果、一部が祭られています。勤労動員で建物疎開にあたっていた中学生らは、軍のために死んだとして祭られた。こういう靖国への思いがあった時代は、「政教分離に反していておかしい」と言う人はいなかったんです。」


この感情的な面をそのままにしておいて靖国を単なる宗教法人にすると言うことは難しいだろうと思う。どのように公的な追悼施設を大衆的なものにするかと言うことが重要なことだ。千鳥ヶ淵の施設をそのようなものにしようという案はかつても出てきたらしいが、そのたびに靖国の公共性を維持したい勢力がそれを潰してきたともいわれている。今度こそ、本当にそのようなことを考えなければいけない時に来ているのではないかと思う。

A級戦犯分祀については三土さんは明快に次のような意見を述べている。

「三土 宗教法人としての何十年もの歩みは、そんな簡単に政治が左右できるものではありません。だからA級戦犯分祀させるという政治家の議論は完全なご都合主義で、問題にもならない。

 そこで、「特殊法人にすればいい」との論が出てきます。これも70年代に散々議論されました。「靖国神社の名前だけ残して、実体は政教分離に反しない形にしましょう」としたけど、与党内からも猛反対が起こった。「憲法に反しないということは、今までの靖国神社を否定することになるのではないか」と。やはり神として祭りたい人にとって耐えがたい案だったんですね。

 そういう歴史がありますから、靖国神社は、今後も宗教としてやっていっていただくよりほかないと思います。国家的事業で作られ、その後は民衆の支持を得て存続している宗教施設はいくらでもあります。奈良の東大寺もそうですね。日本の歴史を考えれば、それが自然でしょう。」


これもすっきりと論理的に理解出来る主張だ。A級戦犯分祀は、国家が命令出来るものではないし、靖国が出来ないといっている以上やるべきではないという論理は納得出来るものだ。しかし、それは公共性を放棄した宗教法人だから主張出来ることであるというのも論理的に認めなければならない。

富田メモに関する次のコメントも、これに関するものではもっとも妥当性を持った論理的なものだと僕は思った。

「三土 富田メモのニュースが出てから、いろいろな人の意見を読みましたが、積極的な反靖国の人ではなく、「外交的な配慮から政府は慎重であるべきだ」程度の意見だった方々に、「そら見たことか。合祀は昭和天皇にすら逆らっていた」との肯定的雰囲気があることが印象的です。

 ただ、私はこの問題に慎重でなければいけないと思います。というのは、小泉さんの参拝以後、議論が中国の反発にわい小化されているからです。

 この流れで「反発されるから分祀すればいい」という歴史的経緯を無視した考えが出てきている。さらに「A級戦犯は国内法上の犯罪者ではない。今さらなんで外国に文句を言われる筋合いがあるのか」という反論もある。ところが、実は天皇も不快感を持っていたとなり、そうしたA級戦犯開き直り論の人には、非常に大きなパンチでしょう。

 合祀は松平永芳宮司が独断でやったわけです。天皇には合祀してから報告した。これは天皇のために死んだ者を天皇の許しを得て祭るという明治以来の伝統にも反する。松平宮司は、戦前の統帥権干犯事件(注1)のようなことをやったんですね。

 今は、国民がどう追悼すべきなのか、A級戦犯の責任とは何だったのかと冷静に議論すべきときです。そんなときに、松平宮司統帥権干犯の犯人だと言って靖国推進派を批判しても、それは毒をもって毒を制するようなもので、賢明ではない。

 小泉さんの参拝と中国の問題は、日本が戦没者をどう公的に追悼すべきか、戦後ずっと棚上げしてきたツケが回ってきた結果だと思います。そのツケの一つとして、合祀は天皇の意思にも反したという事実が出てきただけだと思います。」


「議論が中国の反発にわい小化されている」ということの意味がこれほどよく分かる説明はない。外交問題の本質も、「日本が戦没者をどう公的に追悼すべきか、戦後ずっと棚上げしてきたツケが回ってきた結果」だという指摘は、やはり原点から論理的に帰結されるものとしての重みを持っている。

「今は、国民がどう追悼すべきなのか、A級戦犯の責任とは何だったのかと冷静に議論すべきときです」という提言は、それを正しく受け止めて、国民的に展開すべきことではないかと思う。靖国問題が今後に生かされるとしたらそのような道がもっともふさわしいだろう。このような主張をする三土さんを僕は強くリスペクトするものである。