政治は大衆運動だろうか?


「政治は大衆運動だろうか?」などと疑問文で書いたりすると、それは「そうではない」というような答を暗に主張しているようなものだ。こんなことを考え始めたのは、うるとびーずさんの「田中流選挙」という日記で紹介されていた、「戸田の分析:あえて勝利第1主義を採らなかった田中流選挙の美学と達観」という文章を見たからだ。

長野県知事選で田中康夫さんが落選したとき、僕は、政治的な主張としては田中さんの方が正しいだろうと感じていた。その田中さんが選ばれなかったのは、長野県民は選択において間違いをしたのではないかと思った。しかし、たとえそれが間違った選択であろうとも、現実にそのような選択がなされた以上、これが現実化したことの合理的な理由が求められるはずだと思っていた。何故に田中さんは知事選に敗れたのか。それを合理的に納得したいと思った。

直接の敗因は、かつて田中さんを支持した人たちが今度は対立候補の支持に回ったので、結果的に票を失ったというものだった。そこでは、信濃毎日を始めとするマスコミなどの攻撃が、田中さんに対する誤ったイメージを植え付けるのに成功したと言うことも語られていた。このことは、バックラッシュ現象の一つではないかと僕は解釈して、その方向で選挙結果を理解しようとした。

それに対しては、田中さん自身の行動も、人に分かりやすいものではなく、誤解を招くものがたくさんあったのだから田中さん自身にも責任があるという意見もあった。それは、そう言う面もあっただろうと思う。しかし、誤解をしたということは、全て田中さんに責任が帰するものではなく、それを理解しきれなかった人々の方も半分の責任を負わなければならないだろう。

僕は、むしろあえて理解が難しい振る舞いを田中さんはしたのではないかということも頭に浮かんできた。田中さんは、マル激のゲストで出たときに、自分を通じて長野県民は一緒に成長していって欲しいというようなことを語っていた。いつも分かりやすいことを言っていると、人はなかなか自分の頭で考えなくなる。だから、あえてわかりにくいことを言って、自分の頭で考えるようにし向けたと言うこともあるのではないかと思った。

そうしたら大阪・門真市議の戸田ひさよしさんが、僕が感じていたことを実に適切に説明してくれる文章を書いていた。このような解釈も出来るのだなと思って、田中さんの政治は、大衆動員を手段とした大衆運動ではなかったのだと思った。それはむしろ、民主主義の学校というような、教育的な面を強く持っていた政治だったのだと思った。

戸田さんは次のように書いている。

「しかし戸田の見るところ、田中知事であればちょっと選挙戦術に工夫をすれば8万票程度の差は楽に逆転することができた。著名人を呼んで話題づくりと街頭大宣伝をし、辻元清美市民の党型の「全国ボランティア大結集選挙」を展開すれば、絶対に勝てたはずである。」


これは負け惜しみではなく正しいのではないかと僕も思う。選挙を大衆動員を目的にして戦えば、田中さんの知名度は非常に強力な武器になると思う。しかし、田中さんは大衆動員に有効な作戦というものを全くしなかったようだ。これも戸田さんによれば、田中さんの選挙運動は次のようなものだったようだ。

「しかし田中知事は、あくまで「著名人田中康夫」ではなく「知事田中康夫」の実績判断を市井の人々に委ね、その人々の見識と自発的な動きに期待する「田中流理想選挙運動」、田中知事の言葉によれば「ウルトラ無党派」型選挙運動を頑強に堅持した。
 全国ボランティア・市民派の結集を呼びかけず、どちらかと言えば自粛姿勢を取り、街頭動員もほとんどせず、候補者カーでは自分1人だけがマイクを握り続け、おまけに豪雨災害対策でまともな選挙活動は全期間の後半分しかしなかった。」


エリック・ホッファーは『大衆運動』(紀伊國屋書店)という本で、大衆運動というものを熱狂的な狂信的な人々の行動と重ねて分析している。大衆を動員するのに、最も有効で強力な要素は、「狂信」という性質だという。人々の中に「狂信」を呼び起こせば、ほとんど全ての大衆運動は成功し勝利する。それは、大衆動員においてもっとも多くの人を集めることに成功する。そして、それは民主主義の時代においては、全ての闘争に勝利を約束することになる。

田中さんの知名度を利用し、人々の中に「狂信」の気持ちを呼び覚ますような演出効果のある集会をすれば、選挙に勝つことは十分可能だったのではないかと思う。しかし田中さんはそのような道を取らなかった。そのような方法を利用してきたのは、むしろ対立する陣営だったのではないかと思う。田中さんに対するネガティブ・キャンペーンを繰り返したのは、人々の間に「狂信」的な怒りや不信を呼び起こすことになっただろう。

田中さんはそのような大衆運動的な方法を使わなかった。それは、政治は大衆運動ではないということが基本にあったからではないだろうか。

大衆運動というのは、それだけで否定されるべきものではない。それもある条件下では正しい行動であり価値あるものになる。しかし、その基本は、その運動をする人々の利益こそが大衆運動では目的になるということを忘れてはならない。その利益主張が正当なら、大衆運動で利益を求めることも正当なことになる。

しかし、政治というのは、ある特定の立場に立つ人の利益のために行うものではない。様々な立場に立つ人の利害を調整して、ある意味では手打ちをすることが政治の本質ではないかと思う。そして、様々な立場の中には、まだ生まれていない未来の子どもたちの立場も含んで配慮するのが本当の政治だろうと思う。

政治というのは公的な立場で行うものであり、特定の立場に立った私的な行為は政治としては間違っている。だから、政治は大衆運動的にやってはいけないというのは、政治の公共性から論理的に導かれることではないかと思う。それが戸田さんが、「見識と自発的な動きに期待する「田中流理想選挙運動」」というものではないかと思う。

『子どもは判ってくれない』という本で内田樹さんは、「公」というものについて目から鱗とでも言いたいようなことを書いている。それは、

「「国益」とか「公益」を規定することが困難なのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならないという義務を私たちが負っているからである。反対者や敵対者を含めて集団を代表すると言うこと、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」に過ぎない。」


というものだ。前回の選挙で田中さんを支持した人は80万人あまりもいたように記憶している。その多くの人は田中さんに大きな期待を寄せたことだろう。中には、田中さんが自分たちに「私的」な利益ももたらしてくれると期待した人もいたかもしれない。しかし、田中さんが「公人」である限りにおいては、特定の立場の人の利益になることではなく、どの立場の人にとっても結果的には利益になるような道を選択していくことになるだろう。それは、一時的には不利益を被る人が出てくるとしても、長いスパンで未来を見渡せば、何らかの利益が県民全体に渡るようになるような判断で政策が選ばれていたに違いない。

その判断が間違えているという批判は、田中さんが大いに望むところだっただろう。もっと有効な道があるという議論だったら、それは長野県全体の利益になることだから、政治の公共性からいえばいいことだと判断出来るだろう。しかし、田中さんの政治が、なかなか個人的な利益につながらないとか、むしろ自分は損をしているということで政治を選択するとしたら、それは民主主義の時代の判断としては間違いではないだろうか。

政治を私的な利益と結びつけて判断するのではなく、公的な利益と結びつけて判断して選挙をして欲しいというのが田中さんの願いだったのではないだろうか。だから、選挙の結果自体は、田中さんはこれからの長野県民の動向とともに考える材料として受け取っているのではないかと思う。

田中さんの代わりに選ばれた新知事が、田中さん以上に、公的な利益を考えて政治を進めていくなら、長野県民の成熟した正しい判断を讃えればいいことになる。だが、一部の利権が復活するようなことが起これば、政治における公共性がまだ十分理解されていないものとして反省の材料にしなければならない。

私益による大衆動員は、公益による大衆動員よりも効果がある。だが、多数派がいつも自分たちの私益を優先させる政治を行えば、それは健全な民主主義政治ではなくなる。たとえ自分と反対の立場であっても、その反対の立場が毛嫌いしたいものであっても、その立場に立つ人の公的な利益が侵されようとしているときは、断固として公益を守ることを優先させることが、本来の意味での「市民」であると内田さんは語っている。

「市民」というのは、健全な民主主義を支える人々のことを指す。政治的に成熟するというのは、どれだけ多くの「市民」が生まれるかと言うことでもある。長野県は、田中県政の6年間で多くの「市民」が生まれたのではないかと思う。それこそが田中県政のもっとも大きな遺産ではないだろうか。長野県政が、もしもかつての利権を復活させようとしても、成熟した「市民」がその私益の追求を許さないだろう。大衆運動でない選挙を経験した人たちは、さらに「市民」としての意識を高めたのではないかと思う。田中さんの選挙のもう一つの解釈を、僕はそんな風に考えた。