歴史における進歩という観点


かつて本多勝一さんは、今の状況を見ているとだんだんと悪くなっていくようで退歩しているように感じていても、100年単位くらいで歴史を振り返れば必ず進歩しているというようなことを書いていた。これも、極めて理科系的な冷めた見方ではないかと感じる。そういえば、本多さんももともとは生物学専攻の理科系だったような気がする。

100年単位で歴史を眺めるなどということは、その歴史の中で生きている当事者に出来ることではない。一つの時代が終わった後に、後からそれを眺めて解釈する人間の視点だ。歴史の真っ只中で生きる当事者にとって、自分が形成しつつある歴史は外から眺めるものではなく、実存的にその中で生きる世界になる。おそらく客観的判断など出来ないに違いない。客観性というのは、原理的に当事者には持てないものではないかと思う。それは第三者という部外者でなければ正しく判断できないものだ。第三者の立場で世界を眺めようとするのが客観性のあり方であり、これが理科系的な見方といえるものだろう。

その冷めた目で歴史の進歩を眺めてみると、一つの時代が終わって新たな時代が始まったときは、古い世界が滅ぼされて新しい世界が生まれたところに「進歩」を見ることになる。これは、道徳的な善悪を抜きにした、改革されたという事実の面を「進歩」と定義するようなものだ。進歩だから「善い」という判断をしているのではなく、またその進歩から利益を得ない、むしろ損害を受けるような立場からは、道徳的な意味で「進歩」に反対したくなるかもしれないが、改革されたという面でのみ「進歩」というのを考えてみたいと思う。

これを考える材料も『複眼の時代』という小林良彰さんの本からいろいろと拾うことが出来る。江戸時代というのをそのような考察の対象とすると、細かいことにこだわらずに、歴史の大きな流れですぐに分かることから、江戸時代はその前の戦国時代の混乱した世の中が平和で安定した時代になったといえるだろう。これは「進歩」だろうと思う。この進歩の合理性はどのように解釈できるだろうか。

戦国時代というのは群雄割拠の時代で、実力さえあればのし上がれるという、力のある人間にとっては実にいい時代だったのではないかと思う。野心のある人間が多くいるときは、この時代は終わることなく続くだろう。しかし、いったん権力を握っても、どこかに力の強いものが出てくれば、自分の権力が常に脅かされる時代でもある。自分の権力を安定させるためには何らかの工夫をして戦国時代を終わらせる必要があっただろう。

一つの方法は、戦って相手を倒すよりも、協力して権力を分け合ったほうが有利だというふうにして配下の人間を増やして権力を強めるという方法だ。戦って相手を倒せば、その権力を全部自分のものにすることが出来るが、戦いはいつも勝てるとは限らない。大きなリスクを伴うものだ。失うものがない、たたき上げでのし上がってきた人間なら、少々のリスクがあってもひるむことがないだろうが、2代目などで親の財産を受け取って、そこからスタートした人間は、リスクをかけて財を増やすよりも、今の財を守るほうに動機が働く可能性がある。

初代の群雄が割拠していた時代は戦国時代だったかもしれないが、その次の世代になると、強い支配者のおこぼれをもらっていたほうが、リスクをかけずに大きな利益を手に出来るようになる。時代はだんだんとそのほうにシフトするのが合理的なのではないだろうか。これが合理的だと判断できるのは、このことによって戦国時代が終わり、平和になれば生産活動も平和の中で安定してくると思われるからだ。

いつ戦争がおこるか分からない状況では、農業なども安定して行うことが出来ないだろうし、新たな農地の開発も難しいのではないか。江戸時代の前半は、板倉さんの調査では人口が飛躍的に延びた時代だという。高度成長期だということだ。それは、生産が安定して多くの人を養うだけの米が作れたからだと言える。

何年に何が起きたかということを知らなくても、大雑把なその時代を代表する事実を知っていれば、合理性を考えるだけでこのようなことが分かるのではないだろうか。また、板倉さんの調査によれば、江戸時代のちょうど半分を境にした後期は、ほとんど人口が増えていない停滞期だという。これは、生産活動の伸びがなかったので、その時代が支えることの出来る人口が限界にあったということを意味する。もはや進歩しない時代になってしまったのだ。

そしてこの時代の次の進歩の芽が蓄えられたからこそ、この後の明治にまた日本は大きな進歩をすることになる。板倉さんの人口統計によれば、江戸時代のほぼ倍の人口を明治後期には抱えることが出来るようになっていたと記憶している。確か次のような数字だっただろうか。

 江戸時代はじめ → 江戸時代中期 → 江戸時代終わり → 明治終わり
 1500万人    3000万人   3000万人    6000万人

前の時代に比べて進歩した江戸時代も、いつまでもそこにとどまって安定していることはできない。進歩は時代とともに変化し、かつての進歩はやがて退歩になって新たな時代を迎えるというのが歴史ではないかと思う。自分の配下のものを優遇して、戦いによる勝負で支配者が代わることなく安定させた江戸時代は、その代わりに権力の腐敗が進んでいったようだ。

小林さんによれば、このあたりもフランス革命の原因となった財政破綻とよく似たものが江戸時代の幕府にもあったという。幕府の財政は、幕府の強さを示すもののようにも見えるが、実はそこに取り付いていた旗本などが、自分たちの私益のために勝手に引き出していたものがたくさんあるという。これは、今ならば公金横領のように見えるだろうが、封建制の時代には、そのような特権は当たり前のものとして誰もが考えていたようだ。だから、その内部で改革をすることなどは不可能なことだった。

フランス革命でもそうだったが、財政破綻を何とかしようとして改革に手をつける人間がいたようだが、それは国王や幕府から利益を引き出していた勢力の利益を削ることを意味するので、すぐに失脚して罷免されたそうだ。これも合理性を考えればそのようなことがあることが普通だろうと思う。特別に立派な賢い人間が、大きな権力を握って改革に手をつけられるなどということは奇跡的なことで、まず現実にはありえないと思ったほうがいいだろう。

だからこのような想像は、記録に残っていなくても、おそらく正しいだろうと考えられる。専門家なら記録を調べに行くところだが、素人にはその方法がないので想像の段階でとどまるのだが、たぶん論理的にはそのように考えることが整合性のあるものだろうと思う。実際には小林さんが、専門家として細かく調べているので、そのような専門書を読めば、事実としての根拠も見つかるに違いないと思う。

フランス革命明治維新の前には、国家財政の破綻は限界にきていたらしい。このような状況であるから、奇跡とも思える、軍事力では強大な国王軍や政府軍が倒されるという歴史が生まれるのだろう。これも、奇跡として受け止めるのではなく、そのような背景があったからこそ、数だけではないほかの要素で軍隊の強さも決まったのだと合理的に考えることが出来るだろう。

かつての進歩も、やがては古い停滞したものになる。そしてそれを倒すことでまた新たな進歩がもたらされる。これが、細かい部分を捨象した歴史の法則とも言えるのではないだろうか。小林さんは、ヨーロッパが他の地域に先駆けて近代化という進歩をしたのは、「西洋諸国においては動乱に次ぐ動乱の中で、ますます自然淘汰、適者生存の原理が発揮され、政治、経済、軍事の面で急速な進歩を実現した」と語っている。

動乱というのは、国内の停滞に耐えられない人々が多かったからではないかと思う。戦いが進歩をもたらすというのも、歴史における法則の一つなのかもしれない。戦わずとも進歩できる時代が訪れれば、それが本当の進歩なのかもしれないが、それはかなり難しいのだろう。競争原理の見直しというのも、教育界では諸悪の根源のように言われているが、これは競争原理の応用が間違っているのであって、競争原理そのものは間違っていないのかもしれない。

小林さんはオランダについて次のようにも書いている。

「スペインの属国であったオランダが独立戦争を起こし、森に隠れたゲリラ戦の見本を示しながら、ついに独立を達成し、しかも、これを市民革命として、世界最初の貿易商人の支配する国家を作り上げた。その勢いに乗って、世界貿易の指導権を握った。」


オランダのような小国が植民地を持ち、貿易で大きな利益を得たのは、実は市民革命という進歩によるものだという主張ではないだろうか。進歩を合理的に理解できれば、それまでの時代では力を持ち得なかった小国のオランダでさえも大きな力を持てることが論理的に理解できるのではないかと思う。またこれに関連させて、小林さんは次のような言葉を続けている。

「貴族(領主)が国家の権力を独占していたという意味では、絶対主義国家も、日本の幕藩体制も同じであったが、イギリス、フランスの市民革命は、この状態を終わらせた。代わって国家権力の指導権は、大商人、金融業者の手に握られた。もちろん、貴族の一部は政治家として、これらブルジョアジーと提携しつつ、文武の要職にとどまって、伝統的な権威で新政権を飾り立てたが、昔のように、貴族階級の利害を貫徹することは出来なかった。」


ここに、近代が封建時代に優越する進歩の面があると理解できる。だからこそ小林さんは、権力が移ったという面にこそ「市民革命」の本質を見るという定義をするのだろうと思う。支配者に取り付き、国家の財産を私利私益のために掠め取っていた、封建貴族に当たる存在が一掃されることが革命であり、近代における進歩なのだと思う。

この革命は、多くの人々に豊かさを分け与え、人々の労働意欲も高めることになっただろう。その進歩が人口を増加させるということが納得できる。さて、現在に生きているわれわれは、今の時代を客観的に見ることが出来ない。さまざまの矛盾が閉塞感を生み、とても進歩した時代に生きているようには見えない。停滞が大きくのしかかって改革を必要としていることは確かだ。

後の時代から、ここが進歩なんだなと言ってもらえるものを正しく見極めることが出来るだろうか。明治維新のときに、明治の時代に生きていながら、その改革の意味を正しく捉えていた人物に、その思考法を学びたいものだと思う。それにふさわしい人は誰がいるだろうか。小林さんは、高杉晋作の伝記を書いているが、もしかしたら高杉晋作がそれにふさわしい人物かもしれない。