論理の流れと歴史的事実


中学校の歴史教科書の年表を見ると、1789年にフランス革命が始まる、1868年に明治維新が始まると書かれている。この年号で書かれた時期に、何か大きな変化が社会にあって、それを革命と呼んだことはなんとなく分かる。何か大きな変化があったというのは、歴史的な事実であろうということは誰も反対しないのではないかと思う。

しかし、それをフランス革命とか明治維新とか呼んでも、それはそう呼んだだけであって、そこでどんなことがあったのかというのはあまりよく分かっていないのではないか。フランス革命とか明治維新とか言う名前を付けると、何か分かったような気分にはなるけれど、それは何か知らないけれど、実体的に指せるような対象に、それを指すための名前を与えたというに過ぎないのではないだろうか。

名前を付けるという行為は、対象を理解したことを意味するのではない。それを他の対象と区別する記号を与えたに過ぎない。名前を付けて、他と区別することによって、その対象の独自の性質を捉えることが出来るようになり、対象に対する認識が深まっていくという図式があるように思う。僕はソシュールにあまり詳しくないのだが、内田さんが紹介するソシュール像などから連想すると、ソシュールが言っていることはこのような言葉の機能であり、それを解明したかったのではないかという感じがする。

僕は不可知論というものが間違っていると思っているが、それはある対象に不可知論だという名前をつければ、その対象が間違っていることが引き出せるというものではない。不可知論が間違っているのは、究極的な超経験的なものが経験では捉えられないという、「超経験的」という言葉の定義から導かれる論理的帰結を、経験的対象にまで広げて適用しようとするところにあると思っている。

だから、不可知論的な間違いをしているという対象を考えるときは、そのような構造がまず発見できるかどうかを考える。現実の予想というものを、どんな未来であろうとも100%完全に予想するということは、現実にはありえない。だから、究極的な絶対的真理はありえない。これは究極に対する言明だ。それに対して、現実を対象にした科学に対しても、同じように究極的な絶対的真理の性質を要求して、絶対的ではないから科学は真理ではない、仮説に過ぎないというのは、僕は不可知論的な間違いの構造をもっていると思っている。

科学が解明するのは現実的な対象に対する真理であって、究極的な真理である必要はない。不可知論的に考える必要はないのだ。ある科学的命題に関して、それが正しいことはやって見なければ分からない、真理性は99%かもしれないと考えるのは、不可知論的な間違いであると僕は思う。科学的真理として確かめられた命題は、普通は100%正しいと言い切ってもかまわないのだ。問題は、それが予想と違っていたときに、それが科学的真理であれば、その間違いは普通ではない例外と判断するということだ。もしそれが科学的真理そのものをひっくり返すようなものなら、例外ではなく普通に観察できるものになるだろう。普通に観察できないものなら、それはやはり例外になるのである。

対象を不可知論と呼べば、それで不可知論的な間違いが成立するのではない。対象に不可知論的な構造が発見できるという、現実の実体的な認識があるからこそ、対象が不可知論と呼ばれ、その間違いが指摘されるのである。問題は、構造を指摘するところにある。不可知論というレッテルを貼るところに重要性があるのではない。

歴史的事実に関しても、それをある名詞表現で呼べばそれが成立するのではない。たとえば明治維新が市民革命であるかどうかという問題も、そう呼べばそうなるというのではない。明治維新という出来事がもつ構造の中に、市民革命と名づけるのにふさわしい構造が発見できてはじめて、それが市民革命であるという判断の正当性を持つのである。

年号を記憶するだけの歴史教育が、歴史教育としてはまったく的外れなのは、この論理構造の把握が抜け落ちるからではないかと思う。フランス革命明治維新がいつあったかを覚えていても、それがなぜ革命なのかの論理構造が分からなければ、その知識は何の役にも立たない。小林さんが語る革命の構造は次の点にある。

「貴族(領主)が国家の権力を独占していたという意味では、絶対主義国家も、日本の幕藩体制も同じであったが、イギリス、フランスへの市民革命は、この状態を終わらせた。代わって国家権力の指導権は、大商人、金融業者の手に握られた。もちろん、貴族の一部は政治家として、これらブルジョアジーと提携しつつ、文武の要職にとどまって、伝統的な権威で新政権を飾り立てたが、昔のように、貴族階級の利害を貫徹することは出来なかった。」


誰が権力の主体であるかが代わったところに、これらを「革命」と呼ぶにふさわしい理由があるのだという判断が結びついてくる。何か変化があったから「革命」と呼んだのではなく、その変化の質が問題だと理解できれば、フランス革命明治維新に対する認識は深まることだろう。

このような理解が認識の深まりにつながるとしても、それがまだ年号の記憶と結びついているだけでは弱いだろう。ここからさらに進んで、事実の偶然性と、論理の必然性を結び付けて認識することが出来れば、さらに理解は深まって行く。

1868年に明治維新が起こったというのは、ある意味では偶然性として解釈することが出来る。それは1868年でなくてもよかっただろう。だが、その時期に黒船が訪れたり、外国からの圧力があったりという要素があって、現実にはそれが明治維新が起こることに大きな影響を与えただろう。そうすると、明治維新は外圧があったからこそ起こったという解釈も出てくる。これは、偶然性が明治維新を引き起こしたという発想になる。

歴史的事実の論理の流れを、このような因果関係的な流れとして解釈すると、歴史は運命のようなものに思えてくる。だが、歴史を後から振り返ることの出来る人間は、そこに因果関係的な流れではなく、論理的な流れを見ることが出来れば、論理的必然性としての歴史を見ることが出来る。歴史の中に、現実的な偶然性と、論理的な必然性の両方を見ることが出来るという、弁証法的な理解が出来るのではないかと思う。

小林さんは、『複眼の時代』という本で「日本の近代化にとって明治維新はなぜ必要であったか」ということを論じている。近代化をするためには、明治維新は論理的必然性を持ったものであるという主張だ。それはどのような論理の流れから証明できるものなのだろうか。

小林さんは、「徳川幕府は、封建支配者としての大名の権力を集中したものであって、権力の中枢は、譜代大名と上級旗本によって独占されていた」ということをまず出発点とする。この権力関係の下では近代化は不可能であるという論理の流れから、明治維新の必然性が論理的に導かれる。

そしてまたなぜ近代化されなければならなかったかは、当時の外圧から説明される。当時の植民地主義の時代では、近代化して先進国に対抗するだけの国力を持たなければ植民地にされるという運命しかなかったから、植民地にされないためには近代化の道しかなかったという必然性が、また論理的に導かれる。外圧があったというのは偶然性だが、植民地化されないためには近代化が必然だということだ。これは、外圧がなかった江戸時代には近代化する必要もなく、封建制で安定した社会が構成されていたという解釈にもつながる。

さて幕府体制ではなぜ近代化は不可能なのであろうか。それは次のような事実を根拠にしている。

「大名権力の中枢は上級武士によって占められ、この権力の武力を武士階級全体が構成していた。幕藩体制は、かなり整然とした封建社会であり、西洋人が封建社会のモデルとして引用するほどのものであった。この封建社会では、町人、農民は被支配者であり、大商人といえども被支配者であった。
 国家財政は武士階級の利益のために運用されていて、藩財政は、主として上級武士の意のままに運用され、さまざまな名目で、彼らの浪費的生活のために支出されていた。幕府財政は、譜代大名や上級旗本の豪奢な生活を支えるために使用されていた。」


封建社会は、武士階級の利害を実現するための体制であり、それは人口から言えば5%ほどの武力を持った集団の利益を実現するためのものを越えることが出来ない。近代化は民主主義の時代を意味するものであり、なぜ民主主義が大事になるかといえば、ごく一部の指導層だけが権力を握っている国家では、近代化され民主化された国の力にはかなわないからである。戦争をすればすぐに負けて植民地にされてしまうことが目に見えるからこそ、明治維新の指導者層は近代化を急いだのだと思う。

封建社会では利権が世襲される。どんなに能力が低かろうと家柄によって指導者が決められる。しかし、近代化された民主国家では、競争によって能力の高さが証明された人間が指導者になる。革命によって近代化された国の軍隊が封建的な国の軍隊よりも強かったのは、そのような論理的な必然性があったのである。

幕府に寄生していた利権集団は、国家の利益よりも自らの集団の利益を優先し、国家財政を破綻させる方向に働いた。近代化するための軍備の充実もままならないくらいに、幕府の財政は破綻していたらしい。小林さんは次のように書いている。

「当時の軍艦、大砲、小銃あるいは軍事工場は莫大な費用を必要としたため、幕府財政を圧迫した。財政収入は一定であるから、これは破滅的な財政赤字をもたらした。もし幕府の体制のままで近代化をさらに進めるとなると、解決策は二つしかなかった。一つは増税であり、もう一つは外国からの借款である。実は、この二つの方法を、幕末の勘定奉行小栗上野之介が進めた。
 増税では、特に商人に対する御用金の取立てを厳しくした。他方でフランスから借款を得て、北海道の採掘権を与え、生糸の専売権を与えたりした。もしこれが固定化すると、ちょうど清国が植民地化したときと同じようになったであろう。
 ここに討幕の必要が差し迫ったものとなった。幕府を倒すことは、上級旗本と譜代大名の権力を奪い、彼らに向けて流されていた財政資金を止めて、これを日本の近代化の費用に当てるという意味があった。したがって、問題を極めて簡潔に表現するならば、日本が西洋に追いつくための資金を、どこからひねり出すかが中心問題となったということである。」


寄生している利権集団を切り捨てることが、国家財政の健全化のためには必要だが、封建制の下ではそれが出来ない。だから、破滅しないためには近代化して、その権力を奪わなければならないというのが必然だったわけだ。1868年に明治維新が起きたという年号の問題は偶然的だが、日本が破滅しないためには明治維新という革命が起きることは必然だったといえるわけだ。もしこの革命がなかったら、日本は植民地化され、その後の発展はなかったという歴史になっていただろう。先人の賢明さに感謝しなければならない。

今日本の国家財政はほとんど破綻しているといわれている。年金財源の破綻も、それが露呈するのは時間の問題だ。これは、北海道の採掘権を売り払ったような明治の売国奴と同じような存在が、権力の側に寄生していることを意味しているのではないかと思う。自らの私益を切ることが出来ず、国家の利益のほうを切り捨てている売国奴に国民が気づかなければならないだろう。権力の側の人間も、取り返しがつかないくらいひどくなったら革命が起きる恐れがあるというのを、歴史から学ぶ必要があるのではないかと思う。いつ革命が起きるかは偶然的だが、論理の流れが必然性を証明するなら、革命は歴史的必然性をもつものになるだろう。それが起きなければ、われわれは破滅するだけだ。