存在の問題の難しさ−−その弁証法性


「『論理哲学論考』が構想したもの8  複合的概念が指し示すものの存在」のコメント欄に、Kさんという方からのコメントが送られてきた。僕は、このコメントを見たとき、最初は「揚げ足取り」をしてきたのではないかという印象をもった。だから、このコメントを反映させる必要はないかなとも考えていた。

しかし、よく読み返してみると、「揚げ足取り」という最初の印象を示すような直接の言葉というのが見つからなかった。「揚げ足取り」というのは、辞書によれば「《技を掛けようとした相手の足を取って倒すところから》人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする。」と説明されている。これは単純な対象を指し示して、実体として指摘できるような「名」ではない。その現象を分析して、このような性質を持っているという判断がされたときに、「揚げ足取りだ」と表現される複合概念になっている。

だから、「揚げ足取り」というのは、直接これだといって言葉を指し示して判断できるものではなく、「言い間違い」や「言葉尻」というものを分析して判断しなければならないものになっている。それを僕は、読んだときの自分の印象から最初は判断した。これは、その前のコメントに「罵倒」を表す言葉が含まれていたので、それとの関連から、「存在」という言葉の意味の二重性を捉えて「揚げ足取り」をしに来たのではないかという印象を持ったからだ。

だがよく考えてみると、この印象は確証の持てるほどのものではなかった。もしかしたら単純に疑問を提出しているだけかもしれないという可能性もある。どちらか決めかねるというところに、「揚げ足取り」という「事実」つまり「存在」の問題の難しさを考えることができるかもしれないという気もしてきた。ここには、「揚げ足取り」という現象は「ある」のか「ない」のかということだ。このことの考察を元に、沖縄の集団自決において軍の強制ということが「あった」のか「なかった」のかという判断の難しさを、同じ構造を持つものとして理解しやすく出来るかもしれないとも感じた。

そこで考察の材料として提出するために、このコメントをコメント欄に反映させることにした。これが「揚げ足取り」であれば対話は生まれないが、もし単純な疑問ということであれば対話が生まれる可能性はある。それは、今後のKさんの発言が、そのような対話の可能性に向かうものであるかどうかということに関わっているだろう。このコメントだけでは文脈が判断できないが、他の表現があれば、総合的に判断できるかもしれない。

以前送られてきたコメントに込められていた「罵倒」という判断は、コメントに書かれていた文字を具体的に拾い出すだけで示すことの出来る単純性を持っていた。そこには「不勉強な馬鹿者」「馬鹿者」「卑怯者」「恥知らず」「バカ」というような言葉がちりばめられている。これらの言葉は、この言葉自体に「罵倒」という意味がこめられていて、この文字列を示すだけで、この言葉を使った人間が、「罵倒」しているという判断の正当性を示すことが出来る。「罵倒」の意図の存在を示しているといえるだろう。

このような「罵倒」の言葉を使えば、普通はまじめな返答など返って来ないと思うだろう。もし、このような言葉で相手に呼びかけておきながら、それでも相手が何らかのまじめな返事を返してくると、本気で思っているとしたら、そのメンタリティには興味がある。僕は、そのようなメンタリティを抱いたことはないので、どのようにしてそのような考えが浮かんでくるのかということの、論理的正当性のようなもの、納得できるだけの理由があるのかが知りたいものだと思う。

Kさんの言葉には、「非難」や「からかい」を直接示している言葉はなかった。それにもかかわらず、最初の印象が「揚げ足取り」ではないかというものを僕が持ったのは、このコメントが登場した状況という、コメント自身の問題ではないほかの関係との判断のつながりがあったことが原因だろうと思う。もし、これが「揚げ足取り」ではなかったら、それは僕の判断ミスということであって、単純な存在の、存在のしかたを取り違えたということになるだろうと思う。「軍の強制」という問題に関しても、同じように単純な存在の仕方の解釈を間違えるという可能性が、その問題の難しさを語っているのではないかと思う。そこには弁証法性が横たわっているのを感じる。「あった」と「なかった」というまったく正反対の主張が、それなりの論理的な正当性を持って主張されているからだ。その両方の主張は、ある条件のもとではどちらも正しくなるという、弁証法的な「矛盾」の現われではないかと思える。

まず原理的に、物質の存在は証明できないということの確認をしておく。我々は、物質が持っている具体的な属性は観察によって見出すことが出来る。我々の感覚に反映したものとしてそれを語ることが出来る。しかし、存在そのものは感覚できない。これは、「水槽の中の脳」という想像が、感覚によって外界を知ることができるだけだという人間の限界からは、肯定も否定もできないということから来る。

「水槽の中の脳」の存在を外から眺める目(感覚)があれば、それが「水槽の中の脳」であることが言えるが、そのような外の世界が感覚できなければ、世界内の感覚だけでは、その感覚が電気信号だけなのか、本当に存在を受け止めて感覚しているのかという区別はつかない。だから、徹底的な懐疑論的視点では、存在の完全な証明は出来ない。存在は、感覚を通して我々が感じているだけだという観念論的な言い方も出来る。カント的な物自体は捉えられないともいえる。

しかし、完全な証明が出来なければ、すべて存在は否定しなければならないとしたら、それは何もものが考えられなくなる世界になってしまう。すべては幻覚になり、「事実」は一つもないことになってしまう。「事実」と「可能性」との区別はつかなくなる。だから、単純な存在という「対象」に当たるものだけに限って、その存在をア・プリオリな前提として論理空間を構築するというウィトゲンシュタインの構想が生まれてくるのだろう。単純な「対象」について語ることが出来れば、その存在は示されていると考え、その存在は思考の前提とされる。

問題は単純でないものの存在の仕方についてだ。それは直接指し示すことが出来る「対象」という実体を見つけることが出来ない。複合的な命題を一つ一つほぐしていって、単純なものだけで構成されている「要素命題」を論理語でつなぎ合わせたものに還元しなければならない。そうしたときに、その要素命題が語っている「対象」の存在が示されているなら、ようやく複合命題の「事実」性という「存在」の問題が主張できるという関係にある。複合命題の「存在」の問題は、要素命題の「存在」の問題に還元され、単純な「対象」を現実に探し求めなければならない。

「沖縄「集団自決」をめぐる事実と政治」というエントリーには、

「住民の証言では、当時の村長が「軍の命令だから自決しろ」と言ったというのだが、当の元村長は「私は巡査から聞いた」という。その元巡査は、赤松大尉から逆に「あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限り生きてください」といわれた、と証言した。」


と書かれている。単純な対象としての音声言語には、「自決しろ」という命令とは正反対のことも語られていたという「存在」も指摘されている。これは、命令を音声言語として聞いたという証言もあるので、証言だけではどちらが本当かは分からない。より確証を得るためには、もっと確実な単純な「対象」が必要になるだろう。例えば、命令文書というような紙切れが残っていれば、指し示すことの出来る単純な「対象」として、それは確実に、「強制」という複合命題の「事実」性を示すものになるだろう。だが、これは絶望的に難しいのではないかというのが僕の考えだ。

軍が、たとえそういう意図を具体的に持っていたとしても、それを証拠が残るような形で文書のようなものに残すだろうかという疑問がある。それが残ってもまったく非難されるようなものでなければ、残っている可能性はある。しかし、残ったものによって責任を問われるようなものであれば、それは直接示すのではなく、相手がそう受け取るように隠された形で示されるだろう。そうなれば、直接の単純な「対象」は、最初から残らないように配慮されているので、これを見つけることは絶望的に難しいと思われる。

そのような意図があった場合でさえ証拠を発見することが難しい事柄であれば、そのような意図がない場合は、証拠など残るはずがないと思える。また集団自決させることに何の問題もないということが当時の共通感覚として蔓延しているものであれば、そのような証拠を残すことにためらいはなかっただろうと思う。しかし、この場合は、共通感覚の元に行動したのであるから、ことさら軍だけを非難するという理由が見つからなくなる。

現時点で、軍の命令があったかなかったかが議論されているということは、当時としても共通感覚としては、軍が命令することではないと思われていたのではないかと思う。むしろ、そのようなことが起こったとしても、住民の自発的な意志で行ったものだという解釈がされたのではないだろうか。

戦争末期には、「鬼畜米英」というような宣伝がされ、国民すべてが玉砕するという考えも、社会的には普通に流通していたのではないかと思う。そうであれば、そのようなことを示す証拠がたくさん残っていたとしても、それをすべて想像のものだということは出来ないだろう。当時の社会にどのような考えが蔓延していたかということが、その事とつながる「事実」があったかどうかの証拠を求めるときに重要になるのではないかと思う。

軍の直接の命令ということを示す単純な証拠は見つけがたいが、当時の社会が、玉砕という形での自決を求めていたという精神的な圧力があったということを示す単純な証拠は見つけやすいのではないかと思う。それは、玉砕ということが、当時は必ずしも非難されることではなく、むしろ愛国心の現われとしてたたえられているようなところも見られるからだ。自決を命令することが、愛国心の現れとしてたたえられる事であるのなら、その証拠はたくさん見つかるだろう。しかし、当時も今もそうではないのではないか。

軍の直接の命令というのは、おそらく状況証拠としてしか見つからないだろう。状況証拠は、その解釈によって判断が違ってくる。これにこだわるということは、その証拠がないと軍の責任が追求できないという方向に行く恐れがないだろうか。ひどいときには、軍隊という組織の直接の関与が証明できなければ、命令を下したと言われる個人の責任が問われることにもなるのではないだろうか。この問題を、単に個人の判断の間違いとして解釈するのは、歴史の意味を読み違えたりもするのではないだろうか。

先に紹介したブログのエントリーでは、「赤松大尉を「屠殺者」などと罵倒した大江健三郎氏の記述が誤りであることは明白だ」というような指摘も見られる。この問題では、たとえ直接的な命令があったとしても、それを命令した個人の責任に帰するのは間違った判断ではないかと思う。軍隊という組織の責任の問題として考えるには、個別的な命令の有無の問題ではなく、当時の日本社会全体を覆っていた、軍隊による支配という観点が必要なのではないかと思う。絶望的に難しい証拠探しをしていれば、その観点がぼやけるのではないかというのが僕の主張だ。