内田樹さんの分かりやすさ 8


内田さんは、フーコーによる狂気の考察を『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)の中で解説をしている。これをウィキペディア「ミシェル・フーコー」などで見ると次のように書かれている。

フーコーは『狂気の歴史』(1961年)で、西欧世界においてかつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。第2段階は、先に概観した知の変化についての考察が中心となる。この考察は、もっとも重要な著書である『言葉と物』(1966年)にしめされている。」


ここに書かれていることは間違っているとは思わない。たぶんその通りなのだろうと思う。しかし、ここに書かれている内容を具体的に思い浮かべることの出来る人間は、すでにフーコーについて何らかの知識を持っている人間だけだろう。「狂気の創造的な力」というものを、この言葉だけから思い浮かべることが出来るだろうか。もし思い浮かべることが出来たとしても、それは辞書的な意味にとどまるだろう。あるいは、「何とかと天才は紙一重」というような俗っぽい言い方から想像するような「狂気の創造性」が浮かんでくるだけなのではないか。

ウィキペディアは辞書に過ぎないのであるから、その内容を具体的に深く知るという期待は出来ないものかもしれない。しかしウィキペディアが伝える内容と、内田さんが語る言葉から伝わる内容とを比べてみると、同じようなことを語っているかもしれないが、どうして内田さんが語るほうが、そのイメージを生き生きと描くことが出来るのかという分かりやすさが見えてくるかもしれない。内田さんは、果たしてどのようにフーコーの「狂気」を語っているのだろうか。

内田さんは、フーコーが「歴史を「生成の現場」にまで遡行してみることによって、「常識」をいくつも覆して」きたと語る。狂気については、「精神疾患における「健常/異常」の境界という概念」に対する「常識」を覆したという。

我々にとっての「健常/異常」の境界は、常識的にはどう捉えられているだろうか。それは人々が受け止める「普通」という精神状態のイメージがどのようなものであるかということから「常識」が構成されていると思うが、そのイメージに多少の違いがあったときに、誰がその境界を決めるかという点では誰もが一致する「常識」がある。それは精神科医が、対象である「患者」の「健常/異常」を決定するのだという「常識」だ。

凶悪犯罪を犯した人間に対して、その犯罪があまりにも「異常」な信じられないものだった場合、その人間の精神状態も「異常」だったのではないかと多くの人は考える。だがそれを判定するのは、鑑定医と呼ばれる精神科医だ。鑑定医が「異常」だと決定すれば、そのような「異常」な精神の持ち主が「異常」な犯罪行為を犯したということで納得する人もいるだろう。また、精神については「異常」ではないという決定を下せば、犯人の凶悪性は精神的なものではなく、個性(人格)的なものであって、人間の本性が凶悪なのだという理解をするだろう。

狂気のイメージが現在このようなものであるとき、それが以前には違っていたのだということを想像できる人は少ないだろう。しかし歴史を遡れば、かつては違っていたという事実に突き当たる。そうすると、現在のような状況が生まれてきた「生成の現場」というものがあるはずだ。これを想像することはかなりの困難を有するが、「生成の現場」があったということは確かなので、どのような状況のもとであれば生成されるかという整合性を見ることによって「生成の現場」の想像が出来るだろう。

ウィキペディアでは「かつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのか」という言葉で語られている部分を、昔と今ではこう違ったという認識ではなく、「生成の現場」はどうだったかという問題意識で見ることがフーコーが行ったことだったということが分かる。ウィキペディアでは、研究の内容を知ることが出来ないが、内田さんはそれを語ることで、フーコーの思想の内容がどんなものであったかを分かりやすくしているのではないだろうか。果たして「生成の現場」はどのように語られているのか。

かつての狂人は「悪魔という超自然的な力」に関係付けられていて、それに「取り付かれた人」と見なされていた。この時代の境界を決定する者は精神科医ではなかった。「狂人は「罪に堕ちる」ことの具体的な様態であり、共同体内部ではいわば信仰を持つことの重大性の「生きた教訓」としての教化的機能を果たしていた」と内田さんは指摘する。このことは狂人の社会における存在を次のように規定していた。

「ですから狂人たちが身近にいること、その生身の存在をあからさまにしていることは、人間社会にとって自然であり、有意義なこととされていたのです。ある意味では、中世のヨーロッパでは、悪魔や神や聖霊や天使たちもまた人間たちとこの世界を分かち合っていたのです。」


かつては狂人は排除される存在ではなかった。今は狂人は精神科医がその境界を決定し、狂人だと判断された人間は精神病院に入院させられ社会から隔離される。これはかつてと今とでまったく違う状況だ。狂人が社会の中で存在意義を認められ、それが宗教的な意味を与えられていた時代は、狂人であることを最終的に決定する者は宗教的指導者だったかもしれない。しかし狂人が社会に受け入れられていた時代には、誰かが狂人であるということは、そのような指導者に判断してもらわなくても、ほとんどの人には明らかにそう見えたかもしれない。

かつての狂人は神秘性を帯びた存在だっただろう。日本でも「狐憑き」などと呼ばれるような現象では、精神の異常な状態が、狐の霊が取り憑いたという神秘的な現象として理解されていた。このような時代には、その神秘性が恐れられていたが排除されることはなかっただろう。恐れが畏れになればその神秘性は神としてあがめられるようになったかもしれない。

このように狂気が社会に受け入れられ共存していた時代が、狂人を隔離し排除する時代へと入るきっかけになったものは何だろうか。それがつかめれば「生成の現場」を想像することが出来る。内田さんの指摘は次のようなものだ。

「17世紀以後、人間主義的視点がしだいに根を下ろすにつれて、社会から狂人のための場所はなくなってゆきます。世界は「標準的な人間」だけが住む場所になり、「人間」の標準から外れたものは、社会から組織的に排除されることになるのです。」


人間主義的視点」というものは、物事を神秘的に見るという視点とは対立する。人間存在にとって理解可能な、論理的整合性を持ったものとして受け止める視点になるだろう。これは「科学的視点」といっていいものかもしれない。これはたいへんすばらしいものだ。西欧の進歩と世界支配を可能にした力は、この「科学的視点」の持つ正しさを背景にしている。しかし、その視点がすべてにわたって「よい結果」をもたらしたかどうかは難しい。「人間主義的視点(科学的視点)」によって排除されてしまった神秘的な見方がなくなることによって失われた大事なものもあるのではないか。神秘的視点はどのように語られずに来てしまったのか。フーコーはそのようなものに注目するという方法で、「生成の現場」を捉まえようとしているのではないだろうか。

このようなことの理解を踏まえて、次のフーコー自身の言葉を読むと、その内容が納得できるものとして受け止められる。

「17世紀になって、狂気はいわば非神聖化される。(略)狂気に対する新しい感受性が生まれたのである。宗教的ではなく社会的な感受性が。狂人が中世の人々の風景の中にしっくりなじんでいたのは、狂人が別世界から到来するものだったからである。今、狂人は都市における個人の位置付けに関わる『統治』の問題として前景化する。かつて狂人は別世界から到来するものとして歓待された。今、狂人はこの世界に属する貧民、窮民、浮浪者の中に参入されるがゆえに排除される。」(『狂気の歴史』)


狂人が隔離される「生成の現場」で語られなくなったのは狂人の神秘性であり、それは宗教的感受性が社会的なものに変化したからだというのがここで語られていることだろう。それは都市における「統治」の問題と関係して、「統治」のために隔離される「貧民、窮民、浮浪者」と同じだと見なされるようになったからだ。狂人は神秘性を奪われ、ある意味では人間としては普通になってしまった。人間としては普通になってしまったので、「統治」される対象としては普通ではない「異常」だという判断をされ、これが隔離・排除に結びついたと想像するのは論理的な整合性があるものと思われる。

狂人の排除は最初「統治」という観点からなされたので、「狂人の「囲い込み」を決定するのは司法官でした」と内田さんは語る。「反社会性」においては「狂人は貧者や窮民と「同格」だった」と指摘する。それがやがて狂人だけは医療の対象となってくる。病気だと判定され隔離されるようになる。これは「一見すると、狂人の処遇の仕方はより合理的、より人道的なものになったように」思えるが、そうではないということも内田さんは指摘する。そこには「医療と政治の結託、「知と権力」の結託」が見られるという。この意味を受け取るのは難しい。内田さんは次のように語る。

「古代において権力は剥き出しのものでした。それが中世から近代に下るにつれて、しだいに輪郭を曖昧にしてゆきます。それは必ずしも権力が非権力的になったということを意味するわけではありません。権力は、あたりのやわらかい理性的な「代理人」である「学術的な知」を介して、むしろ徹底的に行使されるようになった、フーコーはそう考えます。」


フーコーは狂気の研究を行ったのだが、そこから得られる論理的な帰結としては、実は「権力」の姿を可視化することが目的だったのではないだろうか。剥き出しの権力というのは、暴力装置を用いた力による支配を想像させる。この力によるあからさまな支配が見えなくなると、権力というものは小さくなっていると理解してもいいだろうか。実はそうではなく、むしろ「徹底的に行使されるようになった」と理解したほうがいいのではないか。見えなくなることで、支配される人々が、自ら進んで権力に従うようになっているのではないだろうか。そのような理解を可視化するために、狂人の歴史とその「生成の現場」を考えたのではないだろうか。それがウィキペディアで書かれている「知の変化についての考察」の内容ではないだろうか。

神秘性が語られなくなり、すべてが科学的に処理される社会は、非常に進んだ社会のように見えるが、「統治」のやり方もある意味で大きく進歩している。統治権力を積極的に受け入れたほうが快適で豊かな生活を送れる場合が多かった。しかし、そこに問題がある場合、権力が可視化されていなければ、どこをどう修正すればいいかが見えてこない。ソフトな権力の支配のどこに注目するか、それをフーコーの考察は教えてくれるのではないだろうか。フーコーの考察の整合性を理解できれば、その応用として現在の統治権力を見る視点がつかめるかもしれない。そこではどんな大切なことが語られていないのだろうか。