NHKの研究 その1

引っ越しをしたときに、いろいろな手続きをしてそれをきっかけにNHKの受信料を拒否したのがかれこれ15年近く前になるだろうか。それ以前から本多勝一さんの『NHK受信料拒否の論理』を読んでいたので、いつかきっかけがあれば拒否の意思を示したいとは思っていたのだが、なかなかそのきっかけがなかった。引っ越しをしたときに、ちょうどNHKの不祥事が話題になっていたのではなかったかという記憶もある。

手続きはあっけないくらいに簡単だった。銀行に行って、自動引き落としの解除をしただけだった。そして、そのあとにハガキでNHKに通告を送った。これも本多さんの著書に従ったような形になっただろうか。

ハガキを送った当初は何も反応がなかったが、数ヶ月して受信料を滞納していることがわかったのだろうか、NHKの職員が訪ねてきた。とりあえずいろいろな考え方があって拒否していることを伝え、本多さんの著書を貸して、そこに書いてあるようなことが基本的な考え方だと伝えたりもした。

印象的だった反応は、「自分の考えで拒否の意思を示している」と伝えたら、「そんなことを自分で決めていいのか」と怒ったような表情で語ったときだ。確かに、受信料を払わないということは、NHKにとって困ることだろうから、それに対して払うように要求するのは利害当事者として理解できる。しかし、自分の判断でやっているということに対して、あれほど感情的に反応が返ってくるとは思わなかったので、これは印象的だった。受信料を払うということには、疑問を抱くことさえ許されないことだという先入観があるような感じがした。今まで、プライベートなことに関してはすべて最終的には自分の考えで判断をし、それがプライベートであるが故に誰からも文句を言われなかったのに、公共に関わることの判断を自分の頭ですると、それが通念に反しているとこれほどの抵抗を示されるのだろうかとそのときは思った。

もう一つおもしろかった反応は、かなりの額を滞納したときに、「今までの分はいいから、来月から払ってくれませんか?」と言って訪ねてきた職員がいたことだ。それで払う気になれば、今までの未払い分はチャラにしてもいいという感じだった。これに対しては、そもそも払わなくなったのは、抗議の意思を示したことであり、お金がもったいないから払いたくないということではなかったので、その旨を伝えて引き取ってもらった。

それ以来、NHKの側では滞納の額を知らせる通知が送られてくるだけで具体的な働きかけはなくなった。こちらは、払わない以上見るのはフェアではないという思いもあって、NHKを一切見ないことにしているが、物理的にも見られないようにしようと思い、ケーブルテレビに連絡をして、NHKの放送を配信しないように頼んでみた。そうすると衛星放送については出来るけれども、地上波はそれが出来ないという回答だった。有料放送を配信していないのだから、技術的には配信を止めることが出来ると思うのだが、それが出来ないというのは技術的ではない理由があるのだろうか。

仕方がないので、衛星放送は見られないようになったことをNHKに連絡して、地上波の方を何とかしてくれといったのだが、勘違いしたのか、衛星放送の契約を切って、地上波だけの契約に替える書類を送ってきた。こちらは、契約そのものに疑問を持ち受信料の不払いをしているのに、どうもその意味が伝わらないようだ。

それを放っておいて数年がたった。最近の受信料の問題の動きにNHKの側は法的な手段で滞納を回収しようとしてきているものが見られるようになった。これは、公共性という観点から大変な問題ではないかと感じる。受信料の滞納が法的な問題で回収可能だと考えるということは、それが公共性に対する抗議の意思の表れだということを、当のNHKが全く理解していないことを示していることを表しているように思う。

ただ、自分自身の抗議の意思についても、振り返ってみるとかなり単純で素朴なものであることを感じる。今一度、その素朴さを深く考え直して、なぜ受信料拒否の意思を示すということでNHKの公共性を問題にするのか、という論理的根拠をしっかりしたものにしたいと思う。

よくよく考えてみると、僕の行為はNHKの受信契約を解除して払わなくてすむようにしたいということが目的ではないような気がしている。むしろ重要なのはNHKが真に公共放送に値する存在なのかという点だ。もし、真に公共放送に値する存在なら、それは受信料という形ではなく、その公共性を守るために我々「市民」(民主主義的な権利意識を持った人々というニュアンスでこの言葉を使う)の一人一人は、それを支えるために負担をすべきだと思う。受信料というような、曖昧で不自然な形の料金ではなく、公共性を守るための市民の義務として、NHKの放送を支える負担なら、僕は拒否しないだろう。

われわれ「市民」にとって必要なNHKの公共性というものをいろいろ考えてみたいと思う。そして、NHKが一日も早くそのような存在になるように働きかけたい。そして、現実のNHKがそのような存在ではないときは、抗議の意思としての受信料の不払いを続けるだろうと思う。

手始めに本多さんの『NHK受信料拒否の論理』をもう一度詳しく読み直してみようと思う。素朴な印象としては、未だにNHKは真の公共性を持っていないと感じている。その素朴な直感を論理で確実なものにしたいと思う。本多さんの本のあとには、NHKについて書かれた様々な著作の中から、特に公共性に関わることを議論しているものを参考にして考えていきたいと思う。

事実(知識)の面白さと理論(考察)の面白さ


森達也さんの『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)を読んで以来、またかつてのプロレス熱が甦って、今プロレスに関する本をいくつか読んでいる。主に読んでいるのは、新日本プロレスでレフェリーとして活躍したミスター高橋さんが書いた一連の本だ。僕がプロレスファンであったということもあり、しかもかつて夢中になった頃のプロレスについて書いてあるので、高橋さんの本はどれも面白く読んだ。

森さんの本の面白さを考えたときもそう思ったのだが、事実の面白さを書いた本はとても分かりやすい。そこには自分の知らないことが書いてあり、しかも知りたいと思うことが書いてあるので、それを知ること自体が楽しいという、知識を得ることの楽しさを感じることが出来る。それは知らなかったことを知るだけであるから、そのことについて深く考えるという複雑さがなく、そのためにとても分かりやすい。

僕は数理論理学などをやっていたので、かなり理屈っぽく考えるのも好きだ。そのときの楽しさは、何かもやもやしていた頭の中が、すっきりと見通しよく晴れていくように見えるところに楽しさがあった。事実を知ることによる分かりやすい楽しさもあれば、複雑な現実世界のつながりを一つずつほぐしていって、世界の全体像がいっぺんに見えてくるような瞬間を感じる、考えることの楽しさというものもある。この二つの楽しさは質が違うものだが、強く結びついている部分もあるのではないかという気がしている。

僕は宮台真司氏に大きな信頼を寄せている。その宮台氏のパートナーとしてマル激をやっている神保氏にも、宮台氏から派生するような信頼感を感じている。従って、この二人がマル激で語ることは、ほとんど疑いなく「事実」だろうという前提で聞いている。本来なら、「事実」であることを確認するには、それを自分が体験したり、何らかの物的証拠を見つけて確信を得る必要があるだろうと思う。その言葉を聞いただけで信頼するというのは、ある意味では危険なことでもある。

だが、それが本当に信頼の置ける人ならば、その危険な賭をおかしてでも信頼を寄せることがあるだろう。逆に言えば、それほど信頼を置いていない人が語ることは、その人がたとえ当事者であろうとも、「本当だろうか?」というような疑問を持つことになる。そのような疑問を感じるときは、事実を知ることによる楽しさというのはあまり感じない。むしろ、疑問がもやもやしたものとして心に残り、楽しさよりも欲求不満のようなものが残る。

森さんと高橋さんにも、面白く読んだ後にはかなり信頼感が増したのだけれど、まだ宮台氏ほどの絶大な信頼感はない。しかし、彼らが書くことのほとんどは、たぶん事実(論理的にいえば真理)だろうと感じている。それは、森さんがとてもよく調査しているかとか、高橋さんが当事者だったからということから来る信頼感もあるが、それ以上にその考察に納得がいって、理論的な意味での真理の確信が、その語ることが事実であることを確信させるというような感じがしている。

元々宮台氏に絶大な信頼を置いたのもその理論的展開に見事さを感じたからだった。事実の面白さを感じさせてくれる人というのは、同時にその考察の展開の見事さに惹きつけられて、その語ることが確かに事実に違いないと思えるような語り方をしている人ではないかと感じられる。ただ単に事実を語っているだけの人は、その人から見れば確かにそう見えたのだろうけれど、それは一面的な見方かもしれないし、錯覚かもしれないと感じてしまう部分がある。事実の面白さは、このようなことがあったのだと語るだけでは出てこない。それが確かに事実だったと信じられるような語り方をしたときに、初めて面白さが出てくるのではないかと思う。

高橋さんの本によれば、プロレスの試合というのは、基本的にマッチメイカーと呼ばれる人間がストーリーを作り、そのストーリーをいかに感動的に観客に訴えかける試合が出来るかという表現の面でプロレスラーのうまさが評価されるという。これは、今では知っている人も多く、ありふれた事実だろうが、かつての僕はプロレスの真剣さをかなり熱く信じていた。小中学生の頃にアントニオ猪木に夢中になったときは、猪木の強さとかっこよさに心の底から感激していたものだ。このときには、プロレスにストーリーがあるなどということは全く考えていなかった。

高校生になったときも、小中学生の頃のようにベタに信じていたという気分は薄れていたものの、プロレスは物語ではなくて試合をしているのだという気分でそれを見ていた。だが大人になって、いろいろと論理的な考察が出来るようになると、どうも子供の時に感じていたようなものとプロレスは違うらしいということが少しずつ分かるようになった。いや、分かると言うよりも感じられてきたと言った方がいいだろうか。

それは、プロレスの試合があまりにも美しくかっこいいからだ。本当の勝負を争う試合では、あれだけかっこよく美しく技は決まらない。また勝負に勝つのは時の運であり、強いものが必ず勝つとは限らないということも分かってきた。それに対して、プロレスでは勝って欲しいと思う選手(僕の場合はアントニオ猪木)が必ず勝つという結果が出る。これは物語以外の何ものでもない。

大人になってこのようなからくりが分かってくると、なんだプロレスなんてインチキなのかと思ってしまう人がいるかもしれない。だが僕の場合はそうは思わなかった。そのときは言葉でうまく表現できなかったが、僕はやはりプロレスが好きで、プロレスの面白さを感じていた自分を否定したくなかったのだ。その気持ちを高橋さんの本が実にうまく説明してくれた。

プロレスをスポーツだと前提するから、それに筋書きがあることがインチキのように見えてしまう。しかし、プロレスがスポーツではなく、エンタテインメントという観客を喜ばせるショーだと捉えるなら、それに筋書きがあるのはむしろ当然で、それを最もうまく演じるプロレスラーこそが最高のプロレスラーだという高橋さんの主張には共感するものがあった。

僕は今の格闘技路線というものにあまり面白さを感じない。かつてUWFとかパンクラス、リングスなどで格闘技色の濃いプロレスが展開されたときも、僕はそれにあまり興味が持てなかった。面白みを感じなかったのだ。自分がそのスポーツの経験者だったり、細かい知識を持っていれば面白さを感じたかもしれないが、素人として観客になった場合、「どこが面白いんだ」という感じを抱いていた。高橋さんもそう語っていたので、その部分にも共感したものだ。

プロレスの面白さは芝居の面白さに通じる。プロレスラーは一人のアーティストだと言ってもいいだろうと思っている。そういうプロレスの面白さは、そこに演出がなかったら面白さなど引き出せるものではない。もしプロレスがスポーツのような真剣勝負になったらどうなるだろうか。よほど実力に差がなければ、その技が鮮やかに決まることはない。だが実力がかけ離れた二人の勝負に誰が感動するだろうか。それでは、実力伯仲した二人の格闘家が勝負をしたらどうなるだろうか。それは、必殺技が決まってしまえばそこで試合が終わってしまうので、どうしてもディフェンスに徹するような試合になるだろう。

昨日のテレビでは、アントニオ猪木対モハメッド・アリという、かつての異種格闘技戦の映像が見られた。これは、高橋さんだけでなく、多くの人が真剣勝負だったと言っているものだ。僕はそれは事実だと思う。それは、この試合が、見ていて退屈きわまりないものであり、素人の観衆が見るショーとしてはつまらないものだったからだ。「世紀の凡戦」と形容されたのは、観客を興奮させるプロレスではなかったという評価だろうと思う。だが、これは真剣勝負であれば全く当たり前のことではないかと思う。実力が伯仲していたために、あっさりと勝負がつくことなく、猪木もアリも二人ともディフェンスに徹する試合をするしかなかったのだと思う。究極の真剣勝負は退屈なつまらない試合になる。これは事実ではないかと思う。

逆に、観客を興奮させた柔道の金メダリストのウィリエム・ルスカとの試合は、高橋さんによれば綿密に計算された筋書きのあるプロレスだったという。これも僕はその通りだろうと信じている。プロレスだったからこそあれだけ面白く、心が躍るような感激を味わえたのだと思う。また、筋書きのある芝居を、あれだけリアリティーがあるように演じられるアントニオ猪木というプロレスラーの非凡さを高橋さんも絶賛しているが、僕もそう思う。かつて子供の頃に夢中になったことを、だまされたなんて感じてはいない。むしろなんとすばらしいうまさを持ったプロレスラーだろうかと、改めて惚れ直したいくらいだ。

僕は、世間知らずの子供だった頃にプロレスを本気で信じて感激したことをとてもありがたいと思っている。いい時代に子供時代を過ごしたものだと思う。子供は世界が狭いから、ある意味では嘘にだまされて、現実の本当の側面を見落とすことがあるが、それを見ないことで却ってプラスになることがあるのではないかという気がしている。本当の面というのは、どうしても汚い面を持っている。その汚い面が現実だということをあまりにも早く知るのは、大人としてそれを冷静に受け止める素地のない子供にはゆがんだ現実像を植え付けてしまうのではないだろうか。

理想と現実について、かつて仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣さんは、「理想を持ちつつ妥協する」という言葉で語っていた。妥協というのは、理想を持ち続けるためにするものであって、理想なしに妥協をするのであれば、それは妥協ではなく、本当に利益だけしか考えないエゴイストになってしまう。理想というのは、それが幻想であろうと、一度は自分でそれをベタに信じて熱く感動することが必要だ。それはやがては破れてしまうものになるのだが、理想なしにただニヒルに現実を捉えているだけの人間は、それから生じるエゴイズムから逃れることが出来なくなる。

プロレスがスポーツを装ったエンタテインメントであるというのは、一つのフェイク(嘘)でありごまかしと言っていいだろう。しかし、それは楽しい嘘であり、大人になってそれに気づいたからといってその楽しさが減るものでもない。子供の頃にそれをベタに信じて熱を入れてそれに夢中になれれば、むしろ理想というものを信じる基礎にさえなるかもしれない。高橋さんが語ることには、事実の面白さとともにそのような考察に対する共感を感じる楽しさがある。納得してその考えを受け入れることが出来るのだ。

自分では経験できないこと、見たことがないことを誰かが語っているとき、その語っていることが本当だ(事実だ)と思えるのは、そのことを考察したときの語り方に説得力があり共感するときではないかと思う。プロレスの知識について教えてくれる本はたくさんある。マニアックな知識に面白さを感じることもしばしばだ。しかし、そのような知識の面白さは、たぶんすぐに忘れる。だが、高橋さんが語ることの面白さは、なるほどその通りだなと思えることは、印象深く事実としてもきっといつまでも覚えているのではないかと思う。高橋さんの文章からは、高橋さんに対する信頼感というものもだんだん大きくなるのを感じる。信頼できる人間をどうやって見分けるかということを考えるのにも役立つのではないかと思う。

森達也さんのおもしろさ


森達也さんの本を立て続けに2冊夢中になって読んだ。一つは『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)というもので、これは戦後まもなくアメリカで活躍したグレート東郷というレスラーについて書かれたものだ。僕は小学生の頃に若いアントニオ猪木のファンになって以来のプロレスファンなので、まずはプロレスについての記述ということでこの本に惹きつけられた。

僕がプロレスを見始めた頃はジャイアント馬場の全盛期で、猪木はまだ若く馬場の引き立て役のようになっていた。しかし僕は最初から馬場よりも猪木の方に強く惹かれていた。猪木のはつらつとした動きに魅せられていて、勧善懲悪的なカタルシスを前面に押し出した馬場のプロレスよりも、動きそのものに引き寄せられる猪木のプロレスは、見ているだけで楽しかったものだ。ドリー・ファンク・ジュニアやビル・ロビンソンとは60分フルタイムで戦って引き分けるという試合があったが、それだけ長い間見入っていても飽きるということがなかった。

そのようなプロレスファンだった僕は、『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健・著、文藝春秋)という本もかなり夢中になって読むことが出来た。しかし、その夢中の度合いがどうも森さんの本の場合と違うのを感じた。どちらも夢中になって読み、しかも僕の中では猪木の方が圧倒的に好きだから、内容としての関心の高さでは柳澤さんの本の方が関心が高い。それなのに、森さんの本は次のものが読みたいと思うような夢中さなのだが、柳澤さんに関しては、関心を持つような内容であれば手に取りたいと思うが、その著者の名前だけで次の本を手に取ろうというような気分にはならなかった。

どちらの本も5時間ほどで読むことが出来た。それは、内容に理論的な側面を読み取る必要がないもので、事実を追いかけて何かを「知る」というような読み方をすればいいだけだったからだ。だが、事実を知るような本は、その事実に面白さがなければ、15分と読み続けるのが難しい。すぐに放り出したくなるからだ。その意味では、どちらも僕の関心を大きく引くような事実を語っていたので、5時間ほど集中して読み続けることが出来たのだろうと思う。

どちらも事実の面白さに惹かれた。それは僕の個人的な関心に引っかかるものだったからだ。だが森さんの記述は、その事実を知った後に何か考えさせるものがあった。グレート東郷は、悪役として観客に嫌われることで巨万の富を築いた。嫌われれば嫌われるほど、観客はグレート東郷がやられるところを見たくなる。プロレスというエンタテインメントにとって正義の味方以上に観客を満足させるのは悪役の負けっぷりなのだ。そういうことは、子供の頃に無邪気に猪木を応援していたものから、大人になってプロレスというものの仕組みを知ったときにすでに知っていたことだった。そのようなプロレスのエピソードを語る森さんの筆は、プロレスに関心を持つものとして面白さを感じる事実を語っていた。

それは柳澤さんの本も同じで、猪木ファンだった僕は猪木対モハメッド・アリという試合をリアルタイムで見ているのだが、それに関する数々のエピソードはやはり面白いものがたくさんあった。柳澤さんの本は、どちらかというと「ああ面白かったな」という感想で終わる。これはこれで一つの価値を持っているものだと思う。だが森さんの本は、面白かったという感想の次に何か心に引っかかるものがあるのを感じる。

グレート東郷は、日系人であり、戦後まもなくということもあって日本人の血を持っているということを利用して最高の悪役レスラーになった。だが、その生活スタイルはビジネスライクなアメリカンスタイルのように見える。日本人らしくないその姿は、どの人間からも良い評判を聞かなかったという。イメージとしては強欲な、自分が演じていた悪役そのものの延長のようなものを持たれていたようだ。

しかし、グレート東郷は、アメリカでは絶対的な力と地位を持っていた。そして日本のプロレスの第一人者である力道山からは尊敬を以て遇されていたようだ。悪評しか持たれなかった人間が、なぜ力道山からは尊敬を得ていたのか。森さんはそのようなこだわりからグレート東郷の実像に近づいていこうとする。

このような近づき方は、おそらくマニアックなプロレスファンにはない視点ではないだろうかと思う。だから森さんが求めるような情報はどこにもない。それを追い求める過程が森さんの本では綴られているのだが、これが僕にはとても面白かった。謎解きの面白さというのだろうか。「どうして?」という疑問に合理的に答えようとするその過程が大きな興味を呼ぶ。それが、森さんの他の著書にも手を出したくなる動機を与える。他の問題でも、森さんはどのように問題意識を設定し、どのようにしてその謎に迫っていくのだろうかということを知りたくなる。

森さんは、結局はグレート東郷の謎には到達できなかった。しかしその謎に到達する過程で、プロレスに夢中になったかつての日本人の姿というのを実に鮮やかに描いているように感じる。僕もプロレスに夢中になった一人だが、日本人のかなりの部分がプロレスに夢中になった。そこにある国民性のようなものが、事実を通じて考えさせるものになり、そしてその国民性がつながっていくような愛国心ナショナリズムの問題も考えさせる。しかも、それを盛り上げた力道山が実は在日朝鮮人であり、もしかしたらグレート東郷も日本人ではなかったかもしれないという謎を探るあたりは、日本人の持つ複雑な思いをいっそう際立たせて示しているようにも感じる。

森さんは、子供の頃の記憶の中にあったグレート東郷の印象にこだわり続けてそれを追いかけることからこの本を始めている。何かへのこだわりというのが森さんのどの本のテーマにも感じるものだ。そしてそのこだわりを追求していく過程で、不思議なことに事実をただ確認するだけではなく、そのこだわりにつながる何かの本質が見えてくる。森さんの本の面白さはここにあるのではないかと感じた。

柳澤さんの本も、事実を丹念に調べて、猪木が行った真剣勝負のプロレスを3試合解明していっている。エンタテインメントとして緻密に計算されて構成されているプロレスにおいてどうして真剣勝負が入り込んでくるのか。それを猪木という人間の特異な個性として解明しようとして描いている。おそらくジャイアント馬場というプロレスラーは、プロレスを離れて真剣勝負になるようなことを生涯しなかったのではないかと僕は感じる。それが猪木の場合は、本人が意図したものと意図しないものもあるが、プロレスにおいて真剣勝負をしてしまうような危険な匂いがする人間だった。それが猪木の魅力でもあったのだが、柳澤さんの謎の解明は、最終的には「やっぱり猪木はすごかったのだな」と、猪木ファンとしては実に気持ちいい結論でカタルシスを感じながら読み終えることが出来る。

だが森さんの本は、そのような完結した終わり方をしていない。何かさらに続きがあるような気分のまま終わる。そういうものを好まない人もいるかもしれないが、僕はそのような謎をつなげていく森さんの描き方に強く惹かれるものを感じる。世の中や、物事というのはそんな単純なものではなく、何かが分かったと思った次にはもっと難しい分からない問題が見つかってしまうのだというようなメッセージをそこに感じる。そんな面白さだろうか。

もう一つの夢中になった森さんの本は、『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)という本だ。これは、僕は全く知識がなかった事実で、初めて知ることの面白さというものをまず感じた。だが、プロレスのように、昔から好きだったものを知るという関心の高さはない。初めて知ることがもし面白いものでなかったら、この本もやはりすぐに放り出してしまっただろう。だが、これも夢中になって読むことが出来た。

この本で描かれているのは、昭和期に40年も日本で過ごしながら誰にも知られることなく死んでいったベトナム王朝の最後の王子の一生だ。フランスの過酷な植民地支配から独立するという民族の悲願を一身に背負って、当時はアジアでは唯一西欧列強に対抗する力のあった日本に留学し、日本の援助によって国民の期待に応えようとしたが、その願いが果たせず異国で寂しく死んでいった王族の悲劇の一生を追ったものだ。

このような運命は、ドラマとしてうまく描くことが出来れば、人々の感情に触れることが出来て感動させることが出来るだろう。しかし森さんはそのような描き方をしていない。あくまでも事実を求めて、彼が日本に来たいきさつや真相は本当はどうだったのかということを調べていく。

この本のきっかけは、テレビ番組でたまたま一緒になったベトナム人留学生から、ベトナムの王子のクォン・デのことを聞いたからだ。その留学生は、「僕らの王子は、日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰も、このことを知らないのですか」という言葉を語った。森さんはこの言葉にこだわりを持ち続けた。「どうして知らないのか」というのが森さんが求めた謎だった。僕も森さんの本を読むまでは知らなかったし、森さんも留学生からそのことを聞くまで全く知らなかったようだ。

森さんが、この謎を解明していく途中で出会ったベトナムの研究者は、最後に「ベトナム人はクォン・デを忘れてはいけない。今回あなたに同行して、私はつくづくそう思った。研究者としての今後のテーマを見つけることが出来た。あなたに礼を言わなくてはならない」と語っていた。それを読んで、僕も「そうだ、その通りだ」と強く共感したものだ。日本人も、クォン・デのことを知らなければならない。それは日本人が自らの歴史を振り返って評価するときに、とても大事な要素となるものに感じたからだ。

クォン・デは日露戦争に勝利した日本にあこがれ、大きな期待を持って日本にやってきた。日本こそがアジアの輝ける星だった。そして、クォン・デが期待したとおりに、日本は彼を手厚くもてなし、アジアのリーダーとしての器量を見せた。ここまでの歴史は、日本にとっても輝ける歴史だっただろう。しかし、結果的に日本はクォン・デを見捨てることになった。そのために、クォン・デは故国ベトナムでも見捨てられた存在となってしまった。

クォン・デに多大な援助をした崇高な理想を持ったアジア主義者たちが、その理想をそのまま実現できるような歴史的条件があれば、日本は胸を張ってベトナムの独立に貢献したと言えただろう。しかし、ベトナムの独立は共産主義思想の元にホー・チ・ミンによって指導されて達成された。日本は、アジア主義の思想が侵略を正当化するために利用され、かえってベトナムを弾圧していたフランスと手を組んで独立の邪魔をするような存在になってしまった。

クォン・デを知ることは、日本のアジア主義の失敗を知ることになる。その意味で我々日本人もクォン・デを忘れてはならないのではないかと思う。宮台真司氏は、アジア主義に学べと以前から主張していた。それは理論的な考察の結果として主張されていた。森さんは、直接アジア主義を主張はしないが、淡々と事実を語ることによって、我々が忘れてはならないことを感性的な部分で訴える。それはとても共感を呼ぶものだ。

森さんの本を面白いと感じ、次のものを求めたくなるのは、このような事実から考えさせられることの展開が森さんの記述にはあるからではないかと思う。森さんの語るクォン・デの事実から、改めてアジア主義の実感的な部分を考えてみたいものだと思う。日本はアジアの輝けるリーダーであり、同時にアジアを見捨てた侵略者でもあった。それはどちらか一方だけしか見ないのでは一面的で間違った見方になるだろう。その歴史を見るにはアジア主義というものの理解が必要な気がする。それから、森さんがこの本の中で語っている「歴史」というものに対する見方も共感を呼ぶものだ。それは次のように語られている。

「客観的な歴史などあり得ない。この書籍に綴られた物語は歴史的事実ではなく、歴史に対する(僕の)史観なのだ。もしもあなたが日本に殺されたというベトナムの王族のことを調べたとしたら、全く異なる世界観が現れているのかもしれない。それが歴史なのだ。」


この言葉に共感するとともに、歴史が客観的でなければ、それは科学にならないのではないかという疑問も抱きつつ、このことをもっと深く考えてみたいと思う。

『14歳からの社会学』 卓越主義的リベラリズムとエリート


仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、民主主義を「最後の奴隷制」と語っていた。奴隷というのは意志のある主体的な存在とは認められず、その持ち主の意志に従ってどうにでもなる存在だ。民主主義における人間も、自らの意志に反して他者の意志を強制されるという一面を持っている。多数が賛成した事柄は、たとえ少数の反対者がいようとも、多数の賛成によって決定したというプロセスを元に、反対者といえどもその意志が強制される。この面を捉えて、板倉さんは民主主義を「最後の奴隷制」と呼んだのだろうと思う。

民主主義は非常に価値の高いものとして多くの人に捉えられてきたし、僕もそう思っていた。科学的な真理というのは、科学としての手順を踏んで証明されたものは、賛成者が多いか少ないかにかかわらず真理であることが確信できる。しかし、科学として真理が確かめられない事柄は、最も真理に近い判断を求めるために民主的な手続きを踏むことがいいという発想は正しいように感じる。議論を尽くして求められた結論は、多くの人が賛成したものの方がより真理に近いように思えるし、それが間違えていたときも、賛成した多数者が責任をとるという形にしておけば、間違ったときの反省も出来て、以後はより真理に近い判断が出来るようになるだろうと期待できる。

民主主義がすばらしいものであるというイメージがあったときに、それを「奴隷制」と呼ぶようなマイナスのイメージを提示されることは衝撃的だった。民主主義には必ずしもいい面ばかりではなく、欠点もあることを具体的に指摘され、しかもそれが納得できるようなものだった。板倉さんの指摘は、科学における真理にも、多数決的な民主主義的な判断がされた歴史があり、それが間違えていたということから導かれたもののように感じる。みんなが判断するということにふさわしくないことまでも民主的な手続きで決定することに間違いがあるという指摘だ。

同じような指摘が宮台氏の『14歳からの社会学』の中にもある。宮台氏は次のように書いている。

「「どんな行為が幸せにつながるか」と違い、「どんなルールがみんなを幸せにするか」を知るには、ものごとを広く長く見通す必要がある。そんなことが出来るのは特別に優れた人だけだ。あれがいいかこれがいいかと毎日一喜一憂するパンピーには無理だ−−。」


「どんな行為が幸せにつながるか」は自分の感覚で判断できる。結果的に自分が幸せを感じることが出来れば、それは「幸せにつながって」いるのだ。これなら誰にでも出来る。パンピーと呼ばれる一般大衆(ピープル)にも可能だ。しかし、感覚で判断するのではなく、社会全体にどのような影響があるかを考察するような「ルール」を考えるときは、自分の感覚を離れて社会全体を「広く長く見通す」必要がある。これはそのような能力がある人間にしか判断できない。

誰もが同じように判断できる事柄は民主的な決定にふさわしいだろう。それが最初から多くの異論に分かれて多様であることがはっきりしているときは、一つに決定するのではなく多様性を実現できるような決定こそが民主的だと言えるだろう。誰もが同じように判断できないときは、優れた人間の判断こそが真理に近いと言えるとき、その優れた人間を「エリート」として見る観点が重要になってくる。それを宮台氏は「卓越主義的リベラリズム」と呼んでいる。宮台氏はこの立場だ。

宮台氏は最初からこの立場にいたのではなく、最初はやはり民主主義を基礎とするリベラルの立場にいたようだ。それは教育改革の運動の過程でだんだんと「卓越主義的リベラリズム」の方へ傾いていったようだ。

教育の改革において、いい教育を考えるとそれには二つの考え方があると宮台氏は指摘する。一つは「自分の子供が幸せになるにはどんな教育が必要か」と考える「行為功利主義」的なもので、もう一つは、「いい社会になるためにはどんな教育が必要か」という「規則功利主義」的なものだ。「行為功利主義」的な考え方は、自分の感じ方で判断できる。だからこれは誰にでも判断できるものだろう。しかし「規則功利主義」的なものは、社会をどう捉えるかで判断が違ってくる。社会のとらえ方が深い人間の方がより正しい判断が出来る。そして、この両方の考えはしばしば対立する判断を導くことがある。

宮台氏が以前語っていたことで、親が教育に期待することとして、自分の子供が自分の希望通りの進路を進めるような教育を望むということがあった。しかし、人間には適性というものがある。どれほど希望が強くとも、「下手の横好き」のようなものを希望していれば、それはなかなか実現できない。永遠の自分探しというジレンマに陥る可能性もある。若いうちはいろいろな可能性を試すことは大事だが、ある程度の年になったら、自分の適性を正しく判断して社会の中での自分の存在を、卑下することなく十分使命を果たしているのだという満足感を感じながら生活することが必要だろう。ある意味では夢をあきらめるということも必要だ。実現可能な違う夢を見る必要があると言い換えた方がいいだろうか。科学の問題でいえば、板倉さんが語っていたように、夢物語のような妄想的な夢を抱くのではなく、自分に解決可能な問題を発見することが科学においては重要だという指摘に近いものだろうか。

社会学者としての宮台氏は、教育に関してその機能性の方にこそ注目する。自分の子供がどうだとかという感性的な面はある意味では無視する。機能性の最も重要な部分は、子供の適性に従って、社会での適正な配置をするというものだ。自分の適性に気づかせて、それを意志に反して押しつけられたと感じさせるのではなく、自らの判断で選択したという理解の下に納得して選択させるような教育を構想していた。いい社会を作るためにはこのような教育がふさわしいだろう。

ゆとり教育」を推進したのは、宮台氏が高く評価していた寺脇研さんという文部官僚だった。このそもそもの発想は、子供自身の適性に関係なく、学習における競争に打ち勝って有名校に進学することが多くの子供と親の願いになっている現状を変えて、本当の適性を考えて正しい判断で選択するための余裕としての「ゆとり」を教育にもたらせようとするものだった。だから暗記教育に偏ったそれまでの学習の内容を変えて、総合的な判断が出来るようなものを学ぶ方向にシフトしようとしたように見える。

だが結果はどうなったかといえば、余裕として与えられた時間を、さらに学習の競争に勝ち抜くために使うようなことになり、塾通いをしたりして、その時間を有効に使えるリソースを持った豊かな家庭が有利になるということになった。逆に言えばそのようなことが出来ない子供たちの学力の低下ばかりが目立つようなものになった。大学で「ゆとり世代」といえば、学力が低いことを揶揄するような言い方になっているそうだ。

宮台氏のそれまでの発想は、「国がしばるのをやめてみんなに任せよう」と思ってきたらしい。しかしそれでは「うまくいかなかった」と感じたようだ。みんなが賛成した方向が必ずしも正しいとは言えなくなったという判断がここには見られる。さらに、インターネットの状況からもそのような判断が導かれたようだ。宮台氏は次のように書いている。

「僕が考えを変えたのは21世紀に入った頃だ。インターネットの発達で、みんなが多様な情報を得るようになった頃だ。
 テレビや新聞で社会の動きを知ったのが、ネットやケータイを利用する時間に食われるようになる。テレビや新聞は一部の企業が運営しているから、流れてくる情報がかたよるから、インターネットはいろんな人が情報を発信するから、偏りが消えるだろう−−。
 僕はそんなふうに予想していた。確かにいろんな人が情報を発信するようになった。そうした人たちの発信を受け取って自分からも発信するようになった。今や自分でホームページやブログを運営している人は数え切れないほどだ。でも予想通りにならなかった。」


民主的に、みんなが賛成したことを正しいと判断していると、実はその判断に参加するみんなが広く薄くなったときにどうも正しい判断とかけ離れていくようだということが見えてきたのではないかと思う。どうもすべての人に、客観的で正しい判断力を要求することが無理ではないかという現象が見られてきたようだ。人気のある言説というのは、それが論理的に正しいというよりも、感情に働きかけて、強い感情を生み出すような表現を持ったものになるようだ。宮台氏の言い方だと「感情のフックに引っかける」というようなものになるだろうか。

みんなの判断が正しい方向に行かないどころか、論理的に考えればあり得ない判断にいってしまうようなところが、情報があふれた現代社会では見られるようになった。これは民主政治が「衆愚政治」になってしまったのではないかと宮台氏は指摘する。ブッシュ大統領が主導したイラク戦争に驚喜したアメリカの姿は「衆愚政治」と呼ぶのにふさわしい姿だったように感じる。

みんなの判断は必ずしも信用できない。そのようなときは、誰の判断が信頼するに値するものか、という信頼できる人間の見極めが重要になるだろう。一般大衆が、本当に信頼できる人間を正しく「エリート」として判断できるようになれば、民主政治の欠点を克服できるだろう。判断そのものは、複雑で難しい問題においては一般大衆には正しく考えることは出来ない。だが、誰の判断が本当に正しいものと信頼できるかということは、判断そのものを考えるよりはやさしい。それなら多くの一般大衆にも正しく判断できそうな気もする。

民主政治の欠点を克服するには、「エリート」に対する正しい判断と尊敬が必要だ。宮台氏が語るように。板倉さんは、科学の教育が、真に優れた科学者が誰かというセンスを育てると語っていた。同じようなことが「エリート」に対するセンスとして育てられないものかと思う。

宮台真司氏は、紛れなく「エリート」の一人であろうと思う。その「エリート」の一人である宮台氏が「エリート」の重要性を語るところに、何となく違和感を感じる人もいるかもしれないが、そのような重要性に気づくところも「エリート」たるゆえんではないかとも思う。

宮台氏が「エリート」であろうという判断は、彼が東大を出た学者であるという表面的な事実だけによっているのではない。東大出身の学者などたくさんいるだろうが、宮台氏のような「エリート」性を感じる人は少ない。宮台氏の現在の行動がその「エリート」性を証明しているように僕は感じる。

宮台氏が優れた判断力を持っていることはその著書を見れば分かる。そして、宮台氏はその判断力を社会に生かすだけの影響力を持ち、実際に影響力を行使している。そして、その影響は、決してエゴから出発したものではなく、学問的な真理の実現を図っているものに僕には見える。利他的な行為として映るのだ。このような資質を持ったものこそが「エリート」と呼ばれるにふさわしいだろう。誰が「エリート」であるか、それは多くの分野でそのような人がいるだろうと思われる。そのような人を正しく判断できる資質を持ちたいものだと思う。そして「エリート」の判断を信頼して、その判断に賛成するという形で民主主義の限界を乗り越えたいものだと思う。

この章では最後に「意思」の訪れについて語っている。これも面白い問題として考察してみたいものだと思う。

『14歳からの社会学』 社会におけるルールの正当性


宮台真司氏は『14歳からの社会学』の第2章で社会のルールについて語っている。社会にある種のルールが存在するのはある意味では当たり前で、そのルールにほとんどの人が従っているときは、それがルールであることさえも意識せずにいるだろう。しかし、そのルールを破る人が出てくると、それがルールとして正しいのか・有効なのかということが気になってくる。その判断はどうして考えたらいいのだろうか。

ルールを疑わない人は、そんなものは常識ではないかといって済ませるかもしれない。しかしその常識が通用しないときは、いくら常識であることを主張してもルールを維持することには役立たない。また、そのルールが今の状況には合わないのではないかと思っても、ルールがある以上仕方がないというあきらめの気持ちも生まれてくる。そのような場合はなし崩し的にルールが守られなくなっていく無秩序の状況を、何か変だと思いながらも受け入れていくようになってしまうような気がする。

社会のルールは、自分の感性(好き嫌いや気持ちがいいかなどという感情の働き)で判断して正当性を確立することが出来ない。これだけ感性が多様になってきた現代社会では、感性に頼った判断は合意が出来ないからだ。多くの人が合意できるような判断を求めるには、やはり論理に従った判断を求めるしかない。それが社会を理論的に捉えようとする社会学の必要性を要求する。現代社会のルールを理解するには社会学的な素養が必要になる。現在の成熟社会を生きる人間だからこそ「14歳から」社会学の素養が必要になる。

宮台氏はこの章を次のようなエピソードから始めている。

「今年(2008年)の2月、広島県JR芸備線の線路上に自分で踏切を作った73歳の男性が、威力業務妨害の疑いで逮捕された。畑に農作業に行くために線路を渡る必要があって、近くに踏切をつくって欲しいと10年近くもJRに要求し続けていたという。
 JRは「60メートル先の踏切を使いなさい」といって受け入れてくれない。年をとった男性は、野菜を乗せた手押し車で遠回りをするのはしんどい。そこで自分で踏切を作った。近所の人たちも喜んで利用していた。けれど、ある日、とつぜん逮捕されてしまった。」


このエピソードは、自分の都合で勝手に踏切を作るという「ルール違反」をした人に対して、どのような判断をするかということを考えさせてくれる。「ルール違反」をしたのだから、それに対して罰を受けるのは当然だと考えるのか。JRに対する要求の方が当然なので、その要求を満たしてくれなかったJRが悪いのであって、この「ルール違反」は仕方がないと見るのか。様々な意見の違いがあるのではないかと思う。

この踏切は「近所の人たちも喜んで利用していた」というのだから、おじいさんの全くのエゴによって作られたものではないという解釈も出来る。そうであれば、いきなり逮捕されるということはひどいようにも思える。その前に何らかの話し合いがあってもいいだろう。だが、このおじいさんの場合だけを特例として認めてしまえば、全国あちこちに特例が出てきて、その判断をするのがまた難しくなる。特例を認めない方が管理はしやすい。

この「ルール違反」は、個別的・具体的に考察すれば容認できそうな要素を持っているにもかかわらず、それを社会全体に押し広げて考えるとなかなか容認が難しいという対立した側面を持っている。弁証法性を持っていると言えるだろうか。このようなことを考えるときに、経験主義を超える理論的考察が必要になる。

宮台氏が紹介するもう一つのエピソードを見てみよう。

「今年の3月30日に開通する横浜市営地下鉄の「グリーンライン」(日吉−中山間)で「スマイルマナー向上員」が乗車することになった。お年寄りに席を譲る呼びかけなどをするのが目的で、普段地下鉄を利用している市民の中から募集するのだという。
 横浜市交通局の調査によれば、「社内でマナー違反を見かけたらどうしますか?」という質問に、「いけないことだから、注意する」と答えた人は全体の16%にとどまった。なのに「いけないことだから、やめるべきだ」と答えた人は全体の9割以上もいたのだという。
 つまり、車内のマナー違反はみんながいけないと思っているのに、中が出来ない。ならば、その気持ちをサポートしよう。マナー違反があったとき、「マナー向上員」が助けてくれると思ったら注意しやすくなるし、彼らがいればトラブルになることも減る−−。」


この場合は、9割以上の人が合意していることが社会のみんなの行為として成立していないことが見られる。踏切のおじいさんの場合は、近所の人たちはその踏切に喜んでおじいさんの行為を容認するという合意が出来ているのに、社会全体に広げた場合には合意が出来なくなるというケースだった。この地下鉄のマナーはそれとちょうど逆に、社会全体ではマナー違反を注意すべきということに合意はしているものの、その合意したことの行為は見られないものになっている。

おじいさんの場合は、法律に対する「ルール違反」だったので、それに同情して共感しようとも「ルール違反」に対する罰が与えられた。しかし地下鉄のマナーは、あくまでもマナーというものであって罰を与えるほどのものではない。むしろマナー違反を自覚して、自分でそれを正していかなければならないものだろう。受け入れに対して個人の自由な判断がかかわってくる。そのようなマナーを持っていない人間に無理矢理マナーを守らせるということが難しい内容になる。

そうすると社会の秩序を考えてマナー違反を注意したとしても、それが素直に受け入れられない場合が多くなってくる。隣の人とくっつくように座るのではなく、少し余裕を持って座りたいと思っている人が多いときに、ちょっと詰めて席を空けるように注意しても、それがマナーをよくすることだと受け取ってもらえないことがあるだろう。自分が座りたいからそう言っているのではないかというエゴだと受け取られたり、注意するのが趣味ではないかと思われたりする。体格のいい人が注意をすれば、自分の強さを見せびらかしたいのではないかと思われたりすると宮台氏も書いている。

このようなマナー違反は、個人が個人の責任で注意するのは難しい。極端な場合は法律化して強制的に執行できるようにしてしまうのが手っ取り早い。喫煙のマナーなどは、それが守られることが少なく、しかも注意することが難しかったので法律となったのではないかと感じる。これなどは、直接的に健康被害も起こるので法律化がしやすかったとも言えるが。地下鉄のマナー程度のものは、法律化して強制するほどのものではないので、そのマナーを指摘する立場の人を作ることで、注意しやすくしたのではないかと思う。こういう措置をしなければ、合意したことの確認が難しくなっているのも、また現代社会の特徴だろう。

誰もがお互いのことを仲間と感じていた時代は、個別的な特殊な事情も理解しやすかっただろうし、ちょっとした注意も、「文句を言われている」と受け取るのではなく、ありがたい助言として素直に受け入れただろう。社会の複雑化は、みんなの範囲を狭くし、お互いを仲間と感じさせなくなったので、そのような社会のルールの理解も難しくさせてしまった。このような現代社会でルールのことを考えるにはどうしたらいいのだろうか。個別的な仲間内での判断なら、臨機応変にみんな(仲間)がどう考えるかで対応してもいいだろう。だが、すべてが仲間というわけではなくなった社会全体のルールについては、ある原則を元にして理論的(論理的)にそれを考えていかなければ正しい方向が見えてこないだろう。

宮台氏は、理論的な考察の方向として「行為功利主義」と「規則功利主義」という二つの考えを紹介している。これは次のように説明される。

「行為功利主義
 どんな「行為」をすれば、人が幸せになるか、と考える。

「規則功利主義
 どんな「規則」が、人を幸せにするか、と考える。


「行為功利主義」に基づいて考えるなら、踏切を作ったおじいさんは、踏切を作ることで「幸せになる」のだから、その行為は正しいと言える。しかし、各人がエゴで踏切を作れば、そのことによって困る・つまり幸せでなくなる人が出てくるから、そのような個人の都合で踏切を作るという「規則」は良くないと考えるのが「規則功利主義」による考えと言えるだろうか。

「行為功利主義」の場合は、個人の自由が重んじられるように感じる。個人が自分の考えで、自分の幸せを考えて行為することが正しいと判断されるように思えるからだ。第1章で宮台氏は、社会の中で幸せになるには「自由」と「尊厳」が大事だと語っていた。その意味では「自由」を実現させてくれる「行為功利主義」は社会の中での幸せに通じるものだ。だが、この「自由」は、他者の「自由」とぶつかるときに、社会の中でどう調整していくかという問題が生じてくる。その調整は、賢い判断が出来なければうまくいかない。つまり、「行為功利主義」は、社会の成員がそれなりに優れた判断が出来るという前提が必要になる。

この判断は、社会が単純だった時代には社会の成員がみんな身につけることが期待できただろう。しかし、社会が複雑化してくると、誰もが適切な判断をするということが期待できなくなる。現在は民主主義社会だから、社会の成員の多数が判断したことが社会のルールとなることも多い。だが、その判断が間違えていることも可能性が高くなった。みんなが賛成したからといって、それは必ずしも正しいこととは限らない社会になった。

このような社会においては、優れた判断が出来る人間に社会のルールの判断をゆだねて、適切な規則を作ることでみんなが幸せになる方向をとった方がいいというのが宮台氏の主張だ。これを「卓越主義的リベラリズム」と言っている。これはある意味では民主主義に反する。みんなが賛成できなくても、判断力の優れた人が主張することを実現すべきだという主張だ。

僕はこの考えは、複雑化した社会においては正しいと思う。だが問題は、誰をその優れた判断をする人間だと認めるかということだ。宮台氏の言葉で言えば、そのような人間は「エリート」と呼ばれる。大衆が、誰をエリートだと判断するか。その判断が正しいものであるようにするにはどうしたらいいのか。これが「卓越主義的リベラリズム」の最重要問題だろう。

仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣さんは、科学のすばらしさを体験することで、どの科学者が優れているかということのセンスも磨かれると語っていた。我々は優れた科学者と同じような業績を上げることは出来ない。それはごくわずかの本当に優れた人々のみが科学史において栄冠を得るような業績をあげるだけだ。しかし同じことが出来ないにしても、誰の業績が本当に優れているかということは、科学を学んだ人間には分かる。科学の本質を学んだ人間は、誰が科学史において「エリート」だったかが分かる。

「エリート」と同じことは出来なくても、誰が真の「エリート」であるかが分かるような教育が成功すれば、宮台氏が言う「卓越主義的リベラリズム」の実現が出来るだろう。オバマ新大統領は、宮台氏が言うところの「エリート」であるような気がする。オバマ氏はエゴで動いているのではなく、利他的に社会全体のことを考えて、今までも行為してきたし、これからもそうであろうと思えるからだ。では日本の麻生総理はどうだろうか。どうもエゴによってその行為がされているように見える。とても「エリート」には見えない。最高権力者の地位に本当の「エリート」が座るときに、日本でも「卓越主義的リベラリズム」の実現がされたと言える日が来るのではないだろうか。

『14歳からの社会学』 本当にみんな仲良しなのか?


宮台真司氏が『14歳からの社会学』という本を書いた。この本は、14歳でも読めるように、知識と経験に乏しい人でもその内容が分かるように配慮されて書いてある。一つの社会学入門書と言っていいだろう。子供のための入門書は、例えば「14歳のための○○」というような表題になっているものもある。しかし、宮台氏の本では「ための」ではなく「からの」という表現になっている。これには深い意味があるのではないかと感じる。

社会学というのは、今の大人たちも学校で習ったことがない。しかし、これまでの大人は、社会に出て働いたりすれば、それなりに社会というものがどういうものであるかを経験で知ることが出来た。学校で習わなくとも、学校を卒業した後に、社会のことは社会で経験することによって学ぶことが出来た。それが今ではたいへん難しい時代になっているのではないかと思う。

今日は成人式であり、日本では二十歳を過ぎれば一応大人として認めてもらえる。それは、大人としての義務を果たさなければならないというものがいくつか発生することでもあり、大人として行使できる権利を手にすることが出来ることでもある。かつての大人たちは、この儀式を通過することで大人としての自覚を持つことも出来たが、今はそれは難しい。子供たちはどうやって大人になればいいかが分からなくなっている。社会が安定していた時代は、ある種の通過儀礼を経ることによって誰もが大人になった。しかし、複雑化し流動化した現在は、どうなれば大人になれるのかが分からなくなっている。

大人になるということは、おそらく社会というものが理解できたときにそのような自覚が生まれてくるのではないかと思う。宮台氏が「14歳からの」という限定付きの社会学を語っているのは、これからの時代は、社会を理論的に捉えなければ理解が難しくなったのだということを語っているのではないかと思う。14歳からそれを意識することで、やがて二十歳になり大人になるときに、自信を持って大人だと言えるような何かがつかめるのではないかと思う。

この「14歳からの」社会学は、大人にとっても役に立つものだと思う。大人は、かつての社会が安定して持続していれば、その中で大人になったものとして、社会の中枢を担うことが出来ただろう。しかし、今はその社会の安定性が失われてしまったように感じる。このような社会では、自分の経験だけでは社会のごく狭い範囲の性質しか捉え切れていない。大人が、社会のことに対して必ずしも正しい判断と指針を出せなくなってきている。経験だけでは社会のことが分からない時代になった。それを補って乗り越えるには、宮台氏が語るように、社会を理論的に捉える視点を知らなければならないのではないかと思う。

社会を理論的に捉えるというのは、社会の全体像を捉える、つまり抽象的な対象である社会を捉えるということを意味する。自分の経験や感覚から得られる「社会像」に対して、それが一般的なもの、多くの人が抱いているイメージになっているかどうかを考えて、それを正しく捉えることを意味する。自分の経験や思いは特殊なもので、自分のような人間であればそう感じたり考えたりするかもしれないけれど、世の中の多くの人はそう考えてはいないかもしれない。そのような判断を教えてくれるのが社会を理論的に捉えるということになるだろう。

第1章のテーマは、「自分と他人」というものになっている。副題として「「みんな仲よし」じゃ生きられない」という言葉がつけられている。かつての安定した社会を生きてきた大人たち、特に昭和30年から40年代くらいの日本を知っている大人たちは、その時代が人情に篤い時代であり、ご近所さんは「みんな仲よし」であり、ある場合には全く見知らぬ他人でさえもすぐに「仲よし」になってしまう時代であったことを知っているだろう。

僕は昭和31年の生まれだが、子供の時に迷子になったことをよく覚えている。泣きながら歩いていたら、ガソリンスタンドのそばを通り過ぎたときに声をかけられた。若いトラックの運転手が、かわいそうに思ってくれたのだろう。どこに住んでいるかを聞いてくれて、僕の家のそばの学校までトラックで送ってくれた。僕は子供の頃は東京の渋谷区の恵比寿に住んでいたけれど、そのような地域でさえもこのような人情をかけてもらえる経験があった。

このような時代は、「みんな仲よし」にしましょうと指導されなくても、子供たちはみんな仲良しだったし、大人たちも人情に篤かった。だが今はそんな時代ではないだろう。いつから変わってしまったのかは、経験だけでは分からない。宮台氏が教えてくれる「近代成熟期」という指標を理解して初めて、それがいつから変わってきたのかということが分かる。複雑化した現代社会は、理論的考察なしに経験や直感で捉えることは出来ない。

「みんな仲よし」というのは、かつてはそれで幸せだったし、いがみ合ったり無関心であったりするよりも、仲良しで温かい思いやりのある社会の方がいいと思えるので、この目標が間違っていると考える人は少ないのではないだろうか。しかし、宮台氏は「みんな仲よし」では今の社会は生きていけないのだと指摘する。それは間違いなのだと言う。それはどうしてだろうか。それは、社会を理論的に捉えなければ、その正しさを理解することが難しいのではないだろうか。

「みんな仲よし」は、ちょっと考えるといいことのように思えるけれど、もう少し深くこのことを見てみると「みんな」という概念が気になってくる。この「みんな」は、かつては社会で生きている人の大半を含むものとして日本人は意識できていた。だから、ある意味では他人であっても、何となく仲間として「みんな」の中に入れてくれていたので、それで親切にしてくれたりして「仲よし」になっていた。それが今の時代は、この「みんな」という範囲が共通の理解が無くなってしまったという。宮台氏は次のように語っている。

「今の社会では「みんな」という言葉が、誰から誰までを指すのかイメージしにくくなっている。「みんな」の顔が見えにくくなっているのに、昔と同じように「みんな仲よし」と言われたって、実態とかけ離れているから、タテマエに聞こえてしまうんだ。」


今の社会では価値観が多様化し、かつては「みんな」の中に入っていた人たちも、今ではもしかしたら価値観の違うものとして対立する相手になりかねない。そんな相手とも「仲よし」にしようということになったら、利害関係の面で損をすることが多くなるだろう。それでも、自分が損をしてでも相手への信頼を持つ立派な人だということで評価してもらえればいいのだが、今の時代では、損をすることは立派なことではなく馬鹿だと思われてしまうのではないだろうか。仲よくできない相手はたくさんいるのに、「みんな仲よし」にしたら自分はいつまでも損をする人間になってしまう。そのような時代は、「みんな仲よし」がタテマエのように聞こえても仕方がないだろう。

「みんな」というのは、いったいどの範囲の人間を指すのか、という問いは社会に対する理論的な反省を抜きにしては出てこないのではないだろうか。経験と感覚で社会を判断していれば、「みんな」の範囲は自明のものであり、「仲間」と感じられる人が「みんな」になるだろう。そうだ、かつての日本でも「仲間」を外れてしまえば「みんな」でなくなっていたのだが、「仲間」の範囲がとても広かったために、普通の日本人はそのことに気づかないでいられたのだろう。それに気づくには、理論的な考察が必要だったのだ。

宮台氏は、現代の若者たちの心情を「仲間以外は皆風景」という言葉で表現したが、自分たちの狭い範囲の仲間以外は、全く人間として感じられないとすれば、これはきわめて狭い「みんな」の範囲ということになるだろう。逆に、「みんな」は日本人だけでなく、世界に住んでいる人間が全部「みんな」だということになれば、これは非常に広い範囲の「みんな」になる。グローバル化ということの理解には、そのような理解での「みんな」という概念があるとも宮台氏は指摘する。

「みんな」の範囲は日々変化している。宮台氏は、「どんなくくりを考えても、そこから出たり入ったりする人間が増えた。そこに所属するからといって、その人たちがそのまま「みんな」だとは言えない」と指摘している。「みんな仲よし」という目標は、このような時代背景の時には困難であり、間違いであると言えるだろう。

「みんな仲よし」が信じられていた時代は、社会は安定していて単純だったので、社会の中で「仲よし」で生きていられれればそれなりに幸せになれた。しかしそうでない時代には、社会の中で経験に頼って生きているだけではなかなか幸せになれない。社会を理論的に考察する社会学では、幸せに生きるということも理論的に捉えることが出来る。宮台氏は、幸せに生きるための条件として「自由」と「尊厳(自尊心・自己価値)」という二つをあげている。

「自由」はそれを論じようと思えば、これだけでたいへんな問題だが、宮台氏は<選択肢があること>と<選択肢を適切に選ぶ能力があること>の二つを「自由」であることの判断基準としている。そう捉えるのも理論的なとらえ方だろう。

「尊厳」の方は、自分を現在のままの自分として肯定的に受け止めることが出来る何ものかとして考えられている。自分は、もちろん理想とはほど遠い存在として自分には捉えられているだろう。かなりうぬぼれの強い人間でも、自分がすばらしい人間であると手放しで認めている人はいないだろう。たいていは何かが足りない、未熟な人間として自分を捉えているのではないかと思う。しかし、未熟で能力が不足している自分であっても、自分が人間として生きているというのは、他の人間と変わりないものであり、軽蔑されるようなところがない限りは、自分は今のままでもいいのだと肯定的に認めてやれるような基礎が自分の中にあるとき、それを宮台氏は「尊厳」と呼んでいるようだ。

「尊厳」というのは、社会の中で他者から承認されることによって自分の中に育てられていくという。だから「仲よくできない他者たちとどうつきあうかについて、考えていかなくちゃいけない」という指摘を宮台氏はしている。これも経験から学ぶには難しい事柄だ。だが、理論的に考えればこれは次のように簡単に解答される。宮台氏は、

「自分に必要な人間とだけ仲良くすればいい。自分に必要でない人間とは、「適当につきあえば」いいだけの話だよ。」


と語る。これなどは、経験からこのような教訓を得ている人は多いと思われるが、このようにあっさりと言えるのは、理論的なとらえ方をしている宮台氏ならではの一般化ではないかと思う。社会を特に意識しなくても幸せに生きられた時代には、社会での幸せを体現するロールモデルがいた。それが誰にも目標となった。しかしそれが失われた今は、宮台氏が次に語るような問題を考えることで幸せを理論的に考察する道が開けるのではないかと思う。

「競争を勝ち抜いて「一流」大学や「一流」企業に入っても、会社を興して成功して金持ちになっても、自分の人生が「承認」から見放されているのであれば、いずれ君は自分が寂しく死んでいく人間であることに気づかされるだろう。それが果たして幸せな人生だろうか。」

東條英機のイメージ


昨日たまたまテレビを見ていたら、開戦当時の日本を描いたドラマをやっていた。ビートたけしが主人公の東條英機を演じたドラマで、主人公にするくらいであるから、A級戦犯としての東條のイメージとはかけ離れた、その人間的な魅力を描いたドラマとなっていた。

僕はその当時の日本の歴史的事実や東條英機の伝記に詳しいわけではないので、そこで描かれていた事実がどの程度「本当」であるかという判断は出来ない。だが、フィクションとはいえそこに嘘が描かれているという可能性は少ないだろう。ほとんどは、事実として確認出来る「真実」を元にして描かれていると思われる。だが、そこで語られていることがたとえ「事実」であったとしても、それを抽象化して「判断」を求めると、必ずしも「事実」と直結した「判断」が導かれるとは限らない。

ナチス・ドイツの高官たちは、ほとんどが家庭では良き夫であり・良き父親であったと言われている。その面だけを取り上げれば、彼らは魅力的で誠実な人間だったと「判断」されるだろう。しかし、ユダヤ人を迫害した面を考慮に入れるなら、この良き家庭人としての面は総合的な「判断」の中では末梢的な部分を占める「事実」になるのではないかと思われる。テレビドラマに描かれた東條の一面の「事実」も、東條を総合的に評価するには、それが本質を表しているかどうかを考えなければならないだろう。だが、そこまでの詳しい知識がない今の僕の段階では、そのような考察をすることは難しい。そこで、テレビドラマに描かれたことを「事実」だと前提にして、その「事実」を受け取った限りでの東條の印象を考察してみようかと思う。テレビドラマに描かれた東條を見れば、その姿から東條という人間がどのような人間であると受け取れるのか。それを考えてみたい。

東條は、「東條英機 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば、「父英教は陸大を首席で卒業した俊才であった」が東條英機自身は「陸軍士官学校をクラス50人中42位で卒業」と書かれている。このあたりのことは、ドラマでは東條は秀才のエリートではなかったが努力によって最高の地位にまで上り詰めた人間というふうに描かれていた。

実際には、陸軍幼年学校に入り、陸軍士官学校を卒業したのだから、その経歴を見ればエリートの一人であることは間違いないと思う。ただ、そのエリートの中では落ちこぼれていた人間だったのかもしれない。このことはドラマでは好意的に描かれていた。何でもトップに立っていた優等生ではなく、落ちこぼれることによって人の痛みや欠点を知ることの出来た、人間味のある人物として描かれていた。これはドラマの描かれ方と実際の姿とは近かったのではないかと思う。

ウィキペディアの記述には「非常な部下思いであり、師団長時代は兵士の健康や家族の経済状態に渡るまで細かい気配りをした。また、メモに記録し、兵士の名前を覚えた」というものがある。これはドラマで描かれていた東條の姿にかなり近いのではないかと思った。ウィキペディアには東條の悪評も数多く紹介されており、視野の狭さや器の小ささなどを指摘するものも多い。これは、ドラマの最後に「(総理の?)器にあらず」というような表現があったので、このような評価も一般的にはあったのだろうと思う。

だが全体的には東條は善人として描かれていた。単純素朴で考えはあまり深くはないが、愛国心に厚く天皇を敬愛することは誰にも負けないという人物として描かれていた。単純素朴であったが故に、先の見通しを正しく予想することが出来ず、日本を誤った道に導いた指導者として、その失敗があったというような描かれ方をしていたように感じた。

東條が首相になった経緯は、次のように書かれているウィキペディアの記述の通りにドラマでも描かれていた。

木戸幸一内府らは、日米衝突を回避しようとする昭和天皇の意向を踏まえ、天皇を敬愛していた東條英機をあえて首相にすえることによって、陸軍の権益を代表する立場を離れさせ、天皇の下命により対米交渉を続けざるを得ないようにしようと考えた。

天皇は木戸の上奏に対し、「虎穴にいらずんば虎児を得ず、だね」と答えたという。木戸は「あの期に陸軍を押えられるとすれば、東條しかいない。宇垣一成の声もあったが、宇垣は私欲が多いうえ陸軍をまとめることなどできない。なにしろ現役でもない。東條は、お上への忠節ではいかなる軍人よりもぬきんでているし、聖意を実行する逸材であることにかわりはなかった。…優諚を実行する内閣であらねばならなかった」と述べている」


この状況を考えると、東條は平和主義者である天皇の意向を、血気にはやる軍隊に伝え、どのように押さえるかということを期待されて首相に任命されたことが分かる。東條がいかに難しい仕事を任されたかということが分かる。このような努力をしたにもかかわらず、結果的には東条内閣の時に日米開戦が決定し、その責任をとるような形で東條はA級戦犯として処刑されてしまう。この状況を考えると、東條の立場にとって、その責任があまりにも重すぎるものではないかとも僕は感じる。むしろ、東條は他に責任あるものの責任を一人で全部背負って、他を免罪するためにA級戦犯の汚名を甘んじて受けた英雄のようにも思えてくる。このドラマの描き方をそのまま受け取ればということを前提にしてだが。

東條を始めとするA級戦犯が処刑されることによって、昭和天皇と日本の一般国民はその罪を免れたという形になったように感じる。A級戦犯は、日本の開戦の罪を背負うには、その立場がかわいそうで不運だというのを感じる。あの当時の日本で、日本人のメンタリティを持っていたら、おそらく誰も彼らと違う決定を提出することなど出来なかっただろう。正に、日米開戦へと追い込まれていってしまったに違いない。

敗戦した以上は、開戦の責任を問われるのは仕方がないが、指導者であるA級戦犯とともに、戦争を望んだ一般国民と、それを煽ったマスメディアの新聞とが、やはり責任を負わなければならない部分があったのではないかと思う。その批判は未だに弱いだろう。その意味ではドラマはそこに踏み込んでいた分だけ、今までとは違うメッセージがあったように思う。A級戦犯を免罪するわけではないが、A級戦犯だけに罪を押しつけているという今の状況を反省する必要はあるのではないかと思う。宮台氏が語るとおりだろう。

また、このドラマの描き方で、昭和天皇を平和主義者だと捉える見方の一端が分かったような気がした。それは、今までは戦争責任を逃れるための言い訳のようなものと僕には映っていたけれども、宮台氏は何度か昭和天皇が平和主義者であり、宮台氏自身は尊敬を抱いていると語っていた。その意味が少し分かったような気がした。

昭和天皇が東條を首相に任命したのは、アメリカとの開戦を避けるためであったという。これは本当のことだろうと思う。また、この時期の内閣は、戦争に対して「不拡大」の方針を持っていた。軍部と国民が戦争を煽る中、内閣だけが主体的に「不拡大」というアンポピュラー(不人気)な方針をとり続けられるというのはかなり無理がある。その不人気に耐えられずに近衛内閣は崩壊してしまったともいわれているからだ。これは、やはり天皇の意志が戦争の「不拡大」であったから、内閣はそのような方針で政治を進めようと思ったのだろう。

昭和天皇は、最後まで平和の道を模索し戦争を避けようとしたのではないかと思える。昭和天皇が平和主義者であるということの意味はそういうことなのではないかと思った。ただ、残念なことに昭和天皇は、自らの意志として平和を求めよという宣言をすることがなかった。それは天皇の地位というものがそのような、直接政治的な発言をすることを許さないものだったから、というのが宮台氏の解釈だったように思う。もし昭和天皇が直接その意志を表明していたら、軍は勝手に戦線を拡大することは出来なかっただろう。だが、それが出来なかったのがあの時代の限界だったのかもしれない。

このドラマは新しい視点を提出していたということでは面白いものだった。その物語(=歴史)が本質を語っているかどうかはまだ分からない。だが、歴史解釈としてはこのようなものもあるだろうとは思った。

日本人的なメンタリティとしては、開戦を論じた軍人や政治家たちの選択は、あれしかなかったという共感を感じるものがある。アメリカとの開戦をしなければ、日本はたち行かないのだという切羽詰まった思いはよく伝わってくる。だが、それを日本人的なメンタリティを離れて冷静に考えると、アメリカのうまい外交政策にしてやられたという、賢さの面での敗北を反省しなければならないのではないかとも感じる。

アメリカが突きつけた要求は、当時の日本にはとても飲めないような厳しいものではあったけれど、だからといって破滅に至る開戦へ突き進むしか道がなかったのかということを反省しなければならないだろう。アメリカは日本が戦争を仕掛ることを望んでいた。それにまんまと乗せられてしまうしか選択肢がないというのは、やはり賢さの点でまずいのではないか。

アメリカは、日本が仕掛けることを望んで、あえて飲めないような要求を提出して挑発したはずだ。日本がそれを飲めないことは百も承知で要求を突きつけている。その挑発に対して、相手の望むとおりに乗ってしまった時点で日本はすでに負けていたのではないか。

今の北朝鮮アメリカを相手にしている外交を見てみると、北朝鮮がひどい国だということはさておいて、その外交に対しては、アメリカの挑発に乗らずに逆にアメリカを挑発して自らの利益を引き出している結果に対して学ぶ点を探した方がいいのではないかとも感じる。アメリカと北朝鮮を比べれば、当時のアメリカと日本以上に大きな国力の差がある。それにもかかわらず、どうして互角以上の外交交渉が出来るのか。日本の失敗と比べて、北朝鮮の成功を学ぶことは意義の大きいことではないかと思う。

昨日のドラマは、日本の戦争指導者の責任の面と、昭和天皇の平和主義の面と、一般国民と新聞の責任という面で新しい視点を僕は学んだ思いがする。ドラマを芸術として見た場合の評価には様々なものがあり、何か物足りないと感じた人もいたと思うが、新しい視点を提出したという点で、僕はそれをドラマとして受け取るよりも物語としての歴史を提出していると受け取って高く評価したいと思う。それは僕が見ていなかったものを見せてくれたという意味で、僕にとって良い評価だということかもしれない。こんなことは前から知っていたと思う人は、もしかしたらそれほどの評価はしないかもしれないが、それを知らなかった人には良い学びとなっただろうと思う。