誤謬論
『不完全性定理』(林晋・八杉満利子:著、岩波文庫)の「まえがき」の冒頭に「ほとんど予備知識のない人が、入門書だけを読んで不完全性定理の数学的内容を理解することは不可能である」との宣言のような断定がある。そして「この定理を数学的にも理解したい…
二十歳前後の頃、数理論理学を勉強したことでようやく数学についての理解が出来るようになってきた。そのときに、論理学の一分野として弁証法というものにも関心を抱き、いくつかの入門書を読んでみたのだがさっぱり判らなかった。しかし三浦つとむさんの『…
社会主義国家に誤りがあったというのは、それが崩壊したという結果からほぼ明らかだろうと思う。前回の指摘が正しいかどうかは異論があるかもしれないが、社会主義という考え方に間違いがあったのは誰もが認めるだろう。もし、そこに間違いがなかったのなら…
社会主義国家が崩壊したとき、その現象をどう解釈するかというのはマルクス主義の陣営にとっては深刻な問題だっただろうと思う。これが、マルクス主義の理論的な誤りを証明する実験と捉えるのか、理論には誤りがなかったが、その現実の適用において失敗した…
板倉聖宣さんの『虹は七色か六色か』(仮説社)と言う小さな本を買った。文庫サイズで60ページもない本なので30分もあれば読めてしまうのだが、この本のそこに書かれている内容は、とても大きな意味を持つ重要なものだと思った。板倉さんも次のように「は…
宮台真司氏が『権力の予期理論』(勁草書房)の序章「社会理論が権力概念を要求する理由」の終わり近くに次のようなことを語っている。ちょっと引用しよう。 「第1に、権力と自由とは対立するどころか、権力は自由を要請している。自由を賞揚するためには権力を…
不可知論とは、辞書的には次のように説明される。 「哲学で、経験や現象とその背後にある超経験的なものや本体的なものとを区別し、後者の存在は認めるが認識は不可能とする説。また、後者の存在そのものも不確実とする説。」 これは僕は間違った考えだと思…
『バックラッシュ』(双風舎)という本の中の齋藤環さんの「バックラッシュの精神分析」という文章に書かれた内田樹批判を考えてみようと思う。これは「誤読」というキーワードで解釈することが妥当なように僕には感じる。斉藤さんは、内田さんが「フェミニ…
エンゲルスは『反デューリング論』の中で次のような記述をしている。 「真理と誤謬とは、両極的対立において運動するところ、全ての思考規定と同様、ごく限られた領域に対してだけしか、絶対的な妥当性を持たない。これはたった今我々が見た通りである。また…
witigさんに「排便シグナルが読めて対処方法があればおむつは要らないか」というトラックバックを「必要条件と十分条件」というライブドアのエントリーにもらったのだが、これを読んでも、やはり内田さんの文章の文脈を誤読しているのではないかという印象は…
内田樹さんの「2006年07月23日 Take good care of my baby」というエントリーに関する文章をいくつか書いたのだが、そのうちのはてなダイアリーに書いたものにwitigさんという方からトラックバックをもらった。はてなダイアリーのトラックバックは、アダルト…
三浦つとむさんは『言語学と記号学』(勁草書房)の中で「「差別語」の理論的解明へ」という論文で、文脈を理解することの重要性を語っている。これは、三浦さんの言語学からすれば当然の主張ではないかとも感じる。「差別語」であるかどうかを判断するのは…