「親友」「友達」の概念

以前に宮台真司氏が、最近の若者たちの間では「親友」という言葉の概念が違ってきていると言うことを話していた。宮台氏は僕より3つくらい年下で、だいたい同世代だから、宮台氏が語る「親友」という言葉のニュアンスはだいたい分かる。
僕は中学生の時に武者小路実篤の「友情」という本を読んだ。これは明治に生きていたインテリの日本人の「親友」概念だろうと思うが、中学生だった僕はこれに感動した。だから同じ感覚で「親友」というものを考えていたのだろうと思う。
「友情」では、親友と恋人をどちらを選ぶかという葛藤が描かれていたが、親友というのはもっとも愛する異性と同等だと言うくらいの存在価値を持った相手なのである。もしかしたら、日本人にとっては愛する異性よりも親友の方を優先するという思いが強かったかも知れない。
親友というのはそれくらい強い信頼感で結ばれた友人のことなのだが、いまの若い世代にとっては、僕らの世代が、親友以外の「友達」というレベルで捉えていた相手が「親友」になってしまうと言うことを宮台氏は語っていた。僕らの世代の「友達」レベルは、一緒にいたら楽しい時間を過ごせるかも知れないけれど、どうしても一緒にいたくなるほどの強い思いは抱かないから、都合が悪くて一緒に行動出来ないときは、誘いを断ることにそれほどためらいはいらない。
しかし、若い世代は、そのような「友達」レベルの相手でも誘いを断ることが非常に難しくなっているという。だから、出会い系などで何となく知り合った相手の誘いもなかなか断ることが難しいようだ。
「親友」というのは、互いに尊敬出来る得難い友人だからこそ「親友」なのだと思う。だからそういう相手は非常に少ない。もしかしたら、今の時代ではすでに皆無になってしまったのだろうか。それで仕方なく、かつての「友達」レベルでも親友として遇するようになってしまったのだろうか。