2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「自由」について考える

今週配信されたマル激には衆院議員の保坂展人さんが出ているのだが、保坂さんの話の中で非常に興味深いものがあった。それは、内申書裁判で有名な保坂さんが、教師との会話の中で聞いたというものだった。保坂さんは、非常に主体的な人間だったので、かなり…

国家権力の暴走に対する「恐れ」の感覚

昨日は「人権感覚」というものを身につけることの難しさを考えたが、日本においては国家権力に対する感覚を磨くこともたいへん難しいものになっているように思われる。自由や民主主義を、国家権力との戦いによって勝ち取ってきた西欧なら、国家権力はよく監…

「人権」について考える(続き)

さて、「人権」についてもう一つ大事なことが中山さんの本には書かれているので、それを考えてみたいと思う。それは「人権感覚」と呼ばれるものだ。「人権」というものを、その歴史的な成立過程を理解することで、人間であれば誰でも持っている当然の権利だ…

「人権」について考える

死刑廃止の問題を考えるとき、「人権」というものが大きく関わってくる。死刑に反対することは、加害者の人権を守ることにはなるが、被害者の人権を無視しているのではないかという疑問が提出されることがあるからだ。このことに関しては、宮台真司氏なども…

凶悪犯罪の加害者に対して死刑を望まない被害者遺族がいた

「ふらっと 人権情報ネットワーク」というページに「加害者は許せない だけど死刑には反対です」という、犯罪被害者の遺族である原田正治さんのメッセージがあった。これは、犯罪被害者の遺族の直接の声として、死刑廃止を考える人にとっては貴重な情報にな…

死刑廃止に対する感情的反発にどう答えるか 2

感情の問題というのは、感情で判断することがふさわしいというものがあるだろうと思う。形容詞で表現されるような問題は、だいたい感情で判断してもそれほど間違いはないのではないかと思う。例えば好き・嫌いというものに関しては、何が好きでも、何が嫌い…

死刑廃止に対する感情的反発にどう答えるか 1

中山千夏さんは、第二章で「ヒットラーでも死刑にしないの?」ということを論じている。これは、本の題名にもなっていることなので、おそらく非常に重要なものと考えているのだと思う。死刑廃止論を、理屈では認めながらも、感情がそれを認めないという、感…

死刑は殺人か 2

中山千夏さんの死刑廃止論は、犯罪による殺人も死刑による殺人も同じものだと言うことを論拠に、犯罪による殺人が許されないものであるなら、同じように死刑による殺人も許されないことだという展開をする。これは、前提となる、「殺人」という点では両者は…

死刑は殺人か 1

中山千夏さんの死刑廃止論である『ヒットラーでも死刑にしないの?』(築地書館)という本を読んでいる。僕は、総論としての抽象論である死刑廃止には賛成だ。抽象的な論理としての結論では、死刑は廃止する方向で考えることが、民衆としての立場としては正…

「普遍性」の認識

内田樹さんが「2006年05月02日 村上文学の世界性について」というエントリーを書いている。僕も村上春樹の小説が好きで、有名なものは一通り読んでいる。しかし、ファンを自認するほど読み込んではいない。もっとも好みに合うのは『ノルウェイの森』で、これ…

連帯

昨日はメーデーに行って来た。主催者発表では約4万人ほどの人が集まっていたらしい。20年ほど前に初めて参加したときには、まだ組合の分裂前だったので10万人はいたのではないかと記憶している。僕は、その人の多さとエネルギーの大きさに感動したもの…