言語

言語の「価値」という概念は、思考の展開にどのような新しさをもたらすか

内田さんが語るソシュールには言語の「価値」という概念が登場する。この「価値」は辞書的な・日常的な意味とは違うものを含んでいる。そこには新しい概念が表現されている。この「価値」という言葉によって新たに発見された概念は、思考の展開においてどのような利…

もし、言語化する以前の概念(あらかじめ与えられた概念)が存在するとして、果たしてそれの差異を認識できるか?

言語化する以前の概念というのは想像することがたいへん難しい。どのような概念を思い浮かべても、その概念を示す言葉が頭に浮かんできてしまうからだ。何か分からないがぼんやりと頭に浮かぶようなもの、というものが想像できない。言語のあふれる世界の中…

示差的であることは言語の本質か

みつひろさんという方から「ソシュールの命題(主張)の論理的理解」というエントリーのコメント欄に、「示差的」ということに関するコメントをもらった。このコメントは、「示差的」という言葉の意味を理解するにはたいへん分かりやすい指摘になっている。「示差的…

日本語を学ぶことは日本的なもの(考え方・感覚)に同化することを伴う

僕は夜間中学に勤務をして今年で18年になるが、その間大部分を日本語を教えるということをしてきた。夜間中学には外国籍の人が多く、まずは普通の会話が出来るようにして、日常生活が送れるようにしなければならないという要求がある。そのために、本来は…

ソシュールの命題(主張)の論理的理解

内田さんの『寝ながら学べる構造主義』には次のようなソシュールの言葉が引用されている。 「もし語というものがあらかじめ与えられた概念を表象するものであるならば、ある国語に存在する単語は、別の国語のうちに、それとまったく意味を同じくする対応物を…

素人がソシュールを学ぶ意義

僕は、日本語教育に携わり、専門としていた数学も数理論理学という、どちらかといえば言語学に近いものだった。その意味ではソシュールを「言語学」の象徴と考えれば、僕はまったくの素人とは言えないかもしれない。だがソシュールを専門に勉強してきたわけで…

思考と言語の関係

ウィトゲンシュタインは、思考の限界を確定するために、言語の有意味性の限界を確定しようとした。言語表現において、それに有意味性を与えるという行為が、人間が思考をしているということを示していると捉えていたのではないかと思う。このあたりは、言語表現の…

南京における虐殺という現象を「言語ゲーム」的に考えてみる

本多勝一さんの『中国の旅』から南京事件に関する記述を拾って、そこでの「虐殺」の現象がどのように考えられるかを、「言語ゲーム」的な発想で考えてみようかと思う。「言語ゲーム」の概念については、まだ充分わかったわけではないが、真理の決定における言語…

ことばは「ものの名前」ではない

「ことばは「ものの名前」ではない」というのは、内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』という本の中の一章だ。そこでは構造主義の先駆者としてのソシュールの業績を紹介している。ソシュールについては僕はよく知らなかった。三浦つとむさんが批判している文…

問題意識のずれを考える

シカゴ・ブルースさんの「ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」」というエントリーを読むと、そこにかなりの問題意識の違いを感じる。これは、違いを感じるからと言って、シカゴ・ブルースさんが書いていることに批判的であると言うことではない。シカ…

言語における使用価値と交換価値のアナロジー

シカゴ・ブルースさんの「貨幣の使用価値」というエントリーを読んで、自分の論理というか、言葉の使い方である語彙に混乱があるのに気がついた。交換価値と言うべきところで使用価値という言葉を使ったりしているような気がした。これは、頭の中では思考が…

「語義」と「価値」−−語の意味

内田樹さんが『子どもは判ってくれない』の中で「語の「意味」には「語義」と「価値」の二つの種類がある」と書いている。これは、ソシュールが『一般言語学講義』で説いたもので、ソシュール的な視点からの「意味」の考察になっているそうだ。三浦つとむさ…

言語の意味について

三浦つとむさんは、『日本語はどういう言語か』のなかで、言語の意味を関係として捉えて説明していた。言語にかかわらず表現というものは、形式と内容のずれ(矛盾)が存在する。同じ形式(外見=音声・文字の形など)であるにもかかわらず、それによって伝…

科学における定義について

三浦つとむさんは、ソシュールの「言語」の定義が、実際に表現された具体的な言葉としてのものではなく、頭の中の認識である規範になっているという批判を行っていた。これは、「言語」の定義としてはふさわしくないと言う批判だ。これは、具体的なコミュニ…

「思考言語」という言い方について

「思考言語」という言葉を初めて聞いたのは、養護学校で障害児教育に携わっていたときだった。障害児の中には、言語を話す機能に障害があるため、表出される言語はないものの、こちらが話す言語はよく理解し、文字盤などを使って何らかの表現を引き出すこと…

言葉が現実を切り取って意味づけていくと言うことについて

亀田選手の世界戦については、その判定結果が問題になり、多くの人がそれに対して意見を語っていた。亀田選手を擁護する人は少なく、批判する人が多いというのが図式だったようだ。僕は、亀田選手の試合そのものよりも、その後の日本中の反応の方が面白かっ…

ソシュールの言葉に対する解釈

シカゴ・ブルースさんから「幼児の頭の中は星雲のようなものか(修正版)」というトラックバックをもらった。ここでシカゴブルースさんは、ソシュールの次の言葉 「それだけを取ってみると、思考内容というのは、星雲のようなものだ。そこには何一つ輪郭の確…

「ソシュール的な発想」ということで何を言いたかったのか

シカゴ・ブルースさんから「「言語なしの思考」」というトラックバックをもらった。それを読むと、なるほどと思えるところがたくさんあり、自分が考えていたことの曖昧さがよく分かると同時に、本当は何が言いたかったかということも少しずつ見えてきたよう…