科学

社会「科学」の可能性

自然科学の分野が「科学」であるという共通理解は、自然科学系(日本では理科系、宮台氏の言葉でいえば数学系)の人間にはだいたい共有されている認識だと思う。それは、板倉さんが語る意味での「科学」という概念で考えても、確かに「科学」だと納得できるものだ。自然…

心理学や言語学は「科学」になりうるか

ソシュールは言語学を科学として確立したといわれている。それまでの事実の寄せ集めを解釈していただけの言語理論を、科学という理論体系として打ち立てたと評価されているのだろう。この解釈学から科学への飛躍は、その研究対象として「ラング」というものを提…

慣性の「原理」

板倉聖宣さんは、『科学と科学教育の源流』(仮説社)という本の中で、慣性の法則>ではなくという言葉を使っている。「慣性」と呼ばれるものが現実世界の法則性を認識したものであれば当然「法則」と呼ばれてしかるべきなのだが、なぜこれを「原理」と呼んでいるの…

弁証法は科学ではない

三浦つとむさんは『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)という本を書いている。僕も若いころに何度もこの本を読んだ。そのときには「科学」という言葉にさほど注意をすることはなかった。だが、板倉さんを通じて仮説実験授業を知り、板倉さんが語る仮…

人間の主観を客観的に理解できるか

主観と客観は対立するものとして現前する。主観は、ある個人の頭の中に存在するもので、その個人を離れて外に飛び出すものではない。それに対して、客観と呼ばれるものは、個人との結びつきを断ち切って、個人とは独立に存在するものとして対象化される。だ…

仮説実験の論理

仮説実験の論理とは、仮説が科学になるという飛躍をもたらす論理のことである。僕はこの論理を板倉聖宣さんを通じて知った。科学というのは、一般的・抽象的な意味での真理のことを指すのだが、これは全称命題の形を取る。したがって厳密に考えれば、それが…

カラスが黒いことを科学的に証明できるか

schneewittchen さんという方から、「立場によって「真理」は違うか」というエントリーのコメントをもらった。そこに紹介されていたページの掲示板に、表題にあるように、カラスが黒いことを科学的に証明するということをテーマにしたものがあった。ここで展…

武谷三段階論における「本質」

武谷三男さんの三段階論を辞書で引くと「科学的認識は「現象論・実体論・本質論」の三段階を経ながら発展するとしたもの」という説明があった。ここに書かれている「本質論」の「本質」とはいったいどのようなものを指すのだろうか。それは、「現象」や「実…

社会科学の科学性について

大塚久雄さんの『社会科学の方法』(岩波新書)というとても面白い本を見つけた。大塚久雄という名前は、学問の世界ではビッグネームだったようだが、今では一般にはあまり知られていない人なのではないだろうか。僕も初めて手にしてみたのだが、内容の面白…

社会にも法則はあるか

仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんと、社会科の仮説実験授業の研究をしていた長岡清さんの共著の『社会にも法則はあるか』という面白い本を手に入れた。新書程度の軽い本なのだが、ここに含まれている社会科学というものを捉える視点というのは、数学系と…

発想法と科学

三浦つとむさんに『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)という本がある。三浦さんは弁証法を「科学」と捉えていたのだが、これを板倉さんは批判していた。板倉さんの定義では弁証法は「科学」ではないからだ。板倉さんは、最初はこの表題を比喩的な…

科学とは何か−−仮説実験の論理

「反証可能性」という言葉は、そもそも科学と疑似科学とを区別するための判断基準として提出されたように感じる。「反証可能性」を持っていれば、それは科学としての可能性(将来科学として相対的真理であることが確認されるかも知れない)を主張できる。し…

科学とは何か−−反証可能性の意味

科学というものを考える際に、多くの人が頼りにする考えにカール・ポパーの「反証可能性」というものがあるのを知ったとき、僕はこれに大きな違和感を感じた。ポパーが主張することが間違っていると言うことではない。自然科学系(=数学系)から言えば、ポ…

「反証可能性」という言葉について

「反証可能性」という言葉を使って科学を語る言説をよく見かけるのだが、たいていはそれが的はずれのように感じている。科学に対するこのような的はずれの言説が蔓延しているのは、「反証可能性」という言葉自体に原因があるのか、それともこの言葉の理解に…

科学的真理はどのようにして証明されるか 3

板倉さんの『科学はどのようにしてつくられてきたか』は、次の話題として植物を取り上げる。「大地・球形説」や「地動説」のような天文学に関するものは、いかにも科学というイメージが出来るのだが、植物に関するもので科学的真理というとどのようなものが…

科学的真理はどのようにして証明されるか 2

「反証可能性」という言葉で、何か科学の成立について語った気分になっている人間がいるが、科学が成立するのは、「仮説実験の論理」を経てそれが証明されたときのみである。いくら「反証可能性」があろうとも、それだけで考察している事柄が「科学」になる…

科学的真理はどのようにして証明されるか 1

科学がすべて仮説だと思っている人間は、仮説が実験という検証を経て真理を獲得する過程を理解することが出来ない。仮説と科学の区別がつかない人は、真理と真理でないもの(真理でないものは必ずしも誤謬だとは限らない。真理だと確定していないものは、「…

真理の相対性について再考

数学は抽象的対象を定義して、その定義に含まれている複雑な内容を、形式論理で解きほぐしていって単純化する学問だ。いくつかの単純な公理という出発点から、形式論理だけで複雑な内容が導き出せるというのが、数学の驚くべき特性だろう。数学には仮説実験…

仮説が科学になるとき

科学はすべて仮説に過ぎないという言説はいつでも再生産されるもののように感じるが、これは、科学における真理と形式論理における真理を混同しているために起こる誤解ではないかと僕は感じていた。つまり、科学の何たるかを知らない哲学者が、真理といえば…

進化論に対する疑問

進化論に対する疑問というのは、進化という考え方自体が間違っていると考えているのではない。進化という発想は、生物が同一のものとしてあり続けるのではなく、何らかの変化(どれを「進化」と呼ぶのかにはさまざまな異論があるが)をしてきたと考えるもの…

俗流進化論は科学ではない

僕は、以前から進化論の科学性を疑っていたのだが、このところの科学としての「相対的真理」の考察から、「俗流」進化論は科学ではないという確信を持つようになった。「俗流」進化論とは、「進化論 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」…