クラインの四元群というのは、元を4つしか持たない集合が満足する群構造を指す。群構造というのは、代数的な計算の構造を言い、任意の2つの要素を1つの要素に結びつける計算の構造を持つ集合を群と呼んでいる。具体的には、かけ算や足し算が持つような構造を…
レヴィ・ストロースが、オーストラリアの未開族であるカリエラ族における親族関係の中に群構造を見出したのはよく知られている。婚姻の規則の中に、クラインの四元群と同じ構造があることを見出した。このことについて、今までの僕の感覚では、それまで誰も…
楽天のブログに書いたものをここにも転載しておく。 構造の把握の仕方 「数学屋のメガネ(ライブドアブログ)」、「数学屋のメガネ(はてなダイアリー)」、「数学屋のメガネ(エキサイトブログ)」という3つのブログで、同じ表題の「構造の把握の仕方」と…
構造というのは、対象の全体性を把握しなければそれが見えてこない。対象の一部をどれほど細かく観察しても、そこから全体を引き出すことが出来ない。そこで考えられている全体は、まだ観察していない部分を想像している、仮説的な思考になってしまうだろう…
28日に行われた党首討論について、マル激の中で宮台真司氏が「小沢さんの完全な一人勝ち」というような評価をしていた。各新聞の社説を見ると、麻生さんの逃げを批判しているものがほとんどではあったが、小沢さんの完全な勝ちだと評価したものは少なかった…
内田樹さんが『こんな日本で良かったね』で語る次のテーマは「言葉の力」というものだ。ここにはどのような構造が語られているのか。それはこのエントリーの表題にした「檻」で比喩されるような構造だ。「言葉の力」のイメージが、どのようにして「檻」とい…
若いときに初めて接した「構造主義」は、そこに何が書いてあるのかがよく分からないものだった。日本語としての意味は読み取れるものの、その文章が全体として何を言いたいのかが読み取れないという、何かもやもやとした気分が晴れなかった。このような思い…
内田樹さんの『こんな日本で良かったね』で語られる最初の文章は「「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める」と題されている。これは、まえがきにあったように「人間が語るときにその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしているときその行…
命題論理LPの公理系は次の3つが立てられていた。公理 1 A→(B→A) 2 (A→(B→C))→((A→B)→(A→C)) 3 (〜B→〜A)→(A→B) これに次の推論規則 mp AとA→Bが成立しているとき、Bの成立をいうことが出来る。 を使って命題を生…
『現代論理学』(安井邦夫・著、世界思想社)という本に、LPと名付けられた命題論理の公理系が紹介されている。この公理系は、3つの公理と1つの推論規則から構成されている。とてもシンプルなものである。論理記号としては「否定」と仮言命題を示す「なら…
このところ「構造」という概念についてあれこれ考えている。これは、その把握が難しいと感じていることがあるのだが、「構造」の把握が物事の理解を深めるのに非常に重要ではないかとも感じるからだ。社会的な出来事の意味を理解したり、現状がどのような状…
麻生内閣が発足した頃にマル激では、その経済政策に対して「世紀の愚策」というような表現を使っていた。これは神保哲生氏が紹介していたもので、霞ヶ関の埋蔵金を探し当てたといわれている高橋洋一さんがそう呼んでいたということだ。高橋さんによれば、経…
久しぶりに論理的な観点から見て面白そうなニュースを目にした。「修正協議、自・民の溝埋まらず=農林中金の扱い焦点−金融強化法案」というものだ。このニュースは、それ自体は何でもない平凡なもののように見える。自民党と民主党が国会の議論において対立…
「形式システムの文字列を自然数によって表現すること 2」においてMIUシステムと呼ばれる形式システムの文字列に数字を対応させて、システムの文字列の記述を算術的な計算に翻訳することを考えた。文字列の書き換えという思考の展開を数字の書き換えに置…
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』という本では、図と地に関する一章が設けられている。図というのは、絵画的表現で言えば、表現したい中心になるようなもので「積極的な部分」と書かれている。その表現を見たときに、目立つものとしてすぐ目に入ってくる部…
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』で解説されているMIUシステムについて、これを文字列ではなく数字で表現することの意味を考えてみたいと思う。これは、ゲーデルの証明におけるゲーデル数の表現の解説として受け取ることが出来る。形式システムとして文…
『数学から超数学へ』(E.ナーゲル、J.R.ニューマン・著、白揚社)の第6章「写像とその応用」には、写像という考え方がゲーデルの定理の証明においてどのように役立っているか、それがいかに本質的な重要性を持っているかということが解説されている…
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』という本には、MIUシステムと呼ばれる形式システムが紹介されている。これは3個の記号「M,I,U」と、文字列を並べる4つの規則が提示されているものだ。出発点となる公理は一つだけで、その文字列から書き換え規則…
気になっていながらも、判断するための材料が集まらずに、何となく変だなと思っている事柄がいくつかある。忘れないうちにこれらを記録しておこうと思う。材料が集まって、何らかの判断を引き出すことが出来そうになったら、エントリーとして展開してみよう…
「ブログ・エントリーのための覚え書き」で、民主党の政策に対する評価について、それが正当なのか間違っているのかという評価がしにくいということを記録しておいた。特に財源の問題について、反対する立場の自民党からは批判的な主張がでているものの、そ…
野矢茂樹さんは、『論理学』(東京大学出版会)という本の中で、ゲーデルの証明の核心となるアイデアを次のように書いている。 「私は証明不可能だ」を表現する式を自然数論の中で表現する。 「私は証明不可能だ」、すなわち「私は証明可能ではない」という…
『不完全性定理』(林晋・八杉満利子:著、岩波文庫)の「まえがき」の冒頭に「ほとんど予備知識のない人が、入門書だけを読んで不完全性定理の数学的内容を理解することは不可能である」との宣言のような断定がある。そして「この定理を数学的にも理解したい…
二十歳前後の頃、数理論理学を勉強したことでようやく数学についての理解が出来るようになってきた。そのときに、論理学の一分野として弁証法というものにも関心を抱き、いくつかの入門書を読んでみたのだがさっぱり判らなかった。しかし三浦つとむさんの『…
「田中康夫さんの代表質問」から、日本社会の構造を語っている部分を読み取り、その構造の下での問題の解決の主張という解釈で、その語っていることの理解を図ってみよう。なるほどと思えるような全体性の把握が出来、それならこのような対処が正しいだろう…
国会では麻生首相の所信表明演説を受けて今論戦が行われている。対立する側が、その不備を指摘してマイナスの評価をするのが当然なら、それを支援する与党の方は、優れている点を指摘してプラスの評価をすることになるだろう。これはどちらにも一理ある議論…
個室ビデオ店放火事件に関しては多くの新聞がそれを社説として論じている。それは、この事件を単なるニュースとして扱っているのではなく、ここに現代日本が抱える問題点が象徴的に現れていると判断しているのだろう。だが、各社が語るその問題提起は、どう…
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(ダグラス・R・ホフスタッター著、白揚社)という本の第2章「数学における意味と形」に「pqシステム」と呼ばれる形式システムが紹介されている。この本は、ゲーデルの不完全性定理の「うまい説明」を語るものだが、そ…
仮説実験授業研究会の牧衷さんという人が『運動論いろは』(季節社)という本を書いている。牧さんは、いわゆる市民運動の専門家で、そこには長年の経験から得られた豊富な知識と教訓が語られている。運動という予測のつかない、ある意味では混沌とした対象…
麻生さんの所信表明演説があった。その内容については、専門家が詳しい解説をしてくれるだろうと思う。そこで、内容そのものには立ち入らずに、その主張の論理的側面に注目して、ある種の前提から論理的に導かれた帰結ではないかと思われる部分を探してみた…
いくつか気になっていることがあって、いろいろと資料を調べているのだが、なかなか考えがまとまらず資料も集まらないので書けないでいることがある。それを忘れないうちにちょっと記録しておこうと思う。 1 民主党の政策が財源の裏付けがないということに…