雑文

囚人のジレンマ−−信頼への裏切りがもっとも利益になるという皮肉な判断

ゲーム理論で有名なものの一つに「囚人のジレンマ」と呼ばれるものがある。これは詳しくは「囚人のジレンマ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」で紹介されているが、簡単に要約すると次のようになるだろうか。共犯だと思われる二人の被…

支配という現象の論理的考察

今週配信されているマル激のゲストは岡田斗司夫さんで、ダイエット問題から入ったその話はたいへん面白いものだった。岡田さんは、100キロ以上あった体重を50キロも減らしたダイエットで有名になったが、その方法論がたいへん論理的で説得力のあるもの…

集団自決という現象のディテール(細部あるいは末梢的なこと)

夜間中学には日本語学級という、日本語を勉強するクラスがある。今でこそ、そこは外国から日本へ来た人々(結婚で来たり、再婚の母親に呼び寄せられたり、仕事で来日した父親の家族として来たり、その理由はさまざまである)が、日本語の授業を受けるために必…

貧困で幸せはあり得ないか?

今週配信されているマル激では貧困の問題が議論されている。現代日本の深刻な問題は、「格差」ではなくて「貧困」だという指摘がそこではされている。この指摘は非常に説得力のあるもので、問題が「格差」ではなくて「貧困」だと設定しなおされれば、それは僕にとっ…

南郷継正さんの「しごき論」

武道家の南郷継正さんの『武道の理論』(三一新書)を読んだのはかなり以前のことなのだが、そこにたいへん面白い「しごき論」がある。「しごき」は、武道の上達のためには絶対的に必要であり、しかも有効に働くということを前提にしながらも、それは行き過ぎ…

『論理哲学論考』における「法則」という言葉

野矢茂樹さんが翻訳したウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(岩波文庫)には、用語の索引がついている。その中から「法則」という言葉に関する命題を拾ってみて、ウィトゲンシュタインが「法則」という言葉をどのように使っているかを考えてみようと思…

用語の使い方とその意味

関さんから「数学的法則性とその現実への適用」のコメント欄に「法則」という言葉の使い方に対する違和感を語るコメントをもらった。これは、その違和感というのは十分理解できる。僕も、「科学的な」という修飾語を付した「法則」に関しては、仮説実験の論理によ…

抽象概念の直感的理解

今年度の数学の授業では関数を扱っている。関数というのは、数学の中でもなかなかの難物で、これを単にxとyとの数式だと捉えて計算をするだけだと解釈すると、関数本来の持っている深い意味を理解するのは難しい。計算が出来るようになれば、関数を道具と…

科学と信仰

日曜日に、宗教的なパンフレットを持って訪問してきた人がいた。キリスト教の勧誘のための訪問だったのだが、僕は無神論者であることを理由に断った。そのとき、改めて自分の無神論というのはどういうものだったかというのに気づいた。僕の無神論は、神を必…

治安問題に対する関心

都知事選での石原慎太郎氏の圧勝を考えたとき、あるブログで見た「治安問題」への取り組みが大きな要素だったということに頷いたものだった。他の候補に比べて、石原氏が主張する治安対策のほうが、多くの人の信頼を勝ち得たという指摘は正しいものだと感じた。…

極めて論理的・合理的に考察する人間が最終的にはなぜ感情に任せた行動をするのか

僕は、マル激で紹介された『論座』の「赤木論文」なるものを読んでいないのだが、この赤木氏がネット上で公開している他の文章を見つけて読んでみた。「なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと、馬鹿面下げて思っているのか」と題された文章だった。こ…

合理的判断を拒否するメンタリティ

郵政民営化問題をマル激で議論していたとき、小泉自民党が提出していた「郵政法案」が論理的にいかに間違っているかということを荒井広幸さんや山崎養世さんの話を聞いているとよく分かった。郵政省に限らず、役所の改革が必要だということは分かるのだが、…

日本は近代社会か

表題にあるような質問に答えようとするとき、普通は、肯定的に答えるか・否定的に答えるかという対立した答を思い描く人が多いのではないだろうか。近代社会というものに対してある種のイメージを持っていて、そのイメージに合致するなら肯定的な答が結論と…

偉大なる素人としての山本七平氏

僕は、山本七平氏に対してはあまりよいイメージを持っていなかった。最初に山本氏を知ったのは、イザヤ・ベンダサンというユダヤ人が書いたと言われている『日本人とユダヤ人』を批判したものを見たときだっただろうか。今では、このイザヤ・ベンダサンとい…

事実に対する希望的判断と客観的判断

仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんは、『子どもの学力 教師の学力』(仮説社)の中で次のようなことを書いている。 「私はもともと自然科学のほうを中心にやっておりますが、先ほど言いましたように、自然科学では「どうしても子どもたちが知らなければい…

『在日・強制連行の神話』(鄭大均・著、文春新書)

表題の本の著者である鄭大均氏は、「在日コリアンには、強制連行による被害者やその子孫であるというイメージや印象がある」と、この本の冒頭で語っている。しかし僕は、どちらかというと「強制連行」という強いイメージはあまり持っていなかった。それこそ…

「従軍慰安婦問題」と米下院の「対日非難決議案」

少々古くなってきた話題だが、ようやく考えがまとまってきたのでそれを記しておこうと思う。この話題が出始めたころ、マル激の中で宮台真司氏が、この非難決議案のひどさというのを語っていた。それは全く歴史的事実に基づいたものではなく、ある意味ではで…

石原慎太郎氏の父性・指導者性

東京都知事戦で石原慎太郎氏が圧勝してから、その結果を整合的に理解したいと思っているのだが、なかなかすっきりするような解釈が見つからない。浅野史郎氏に魅力が足りなかったといえばそれまでなのだが、僕にはそれ以上に石原氏に魅力がないように感じら…

父性の欠如とモラルの喪失

小室直樹氏の指摘で気になることの一つに、父性の欠如とそれに原因するモラルの喪失との関係というものがある。小室氏は、『悪の民主主義』の中で「父性が良心を作る」と語っている。そしてこの良心が「人の規範(倫理、道徳)をつくる」と主張している。小…

埋葬記録への疑問

『「南京事件」の探求』という本の中で著者の北村稔さんは次のように書いている。 「中国語の同時代資料も、「30万人の大虐殺」を彷彿させるものではなかった。かえって、「想像以上に落ち着いていた南京」を垣間見せるものであった。それにもかかわらず、戦…

3000人という数字の重み

「資料:「犠牲者数」をめぐる諸論」というページに、「雑誌「偕行」の「証言による南京戦史」最終回に掲載された、加登川氏の見解」というものが紹介されている。ここでは、実際に南京の戦闘に参加した日本軍兵士の体験をもとに、南京で何があったのかを証言…

数字を語ることに意味がないと思いながらも、あえてこだわって語る

「南京大虐殺」と呼ばれる出来事について、そこで虐殺された人々の数が30万人だったという言説は、すでに完全に否定されているものだと僕は思っていた。少なくとも、この数字に蓋然性がないということは、立場を越えて明らかにされていると思っていた。だか…

数値データを語ることについて

以前のエントリーで、僕は本多勝一さんの次のような文章を引用した。 「末子の弟は、まだ満なら一歳あまりの赤ん坊だった。空腹のあまり、母乳を求めて大声で泣いた。ろくな食物がないから、母乳は出ない。運悪く10人ほどの日本兵の隊列が土手の道を通りか…

「南京大虐殺」30万人説について

南京事件に関連して、虐殺された人の数が30万人だというのは、その数字の出し方も曖昧にされているし荒唐無稽な「白髪三千条」という比喩的な意味しか持たない、ということで「蓋然性」が低いという議論をしてきたのだが、どうも議論がかみ合わないのを感じて…

だますこと・だまされること

板倉聖宣さんが、『物の見方考え方第2集』(季節社)の中で手品とトリックの違いについて書いていた。どちらも「だますこと」に関連して結果的に人を欺くことになるのだが、手品の場合は始めからそれが嘘であることを宣言して人を欺くトリックになっている。…

「差別」はすべていけないことか

僕は、「差別糾弾主義者」に対して、その「差別」の糾弾の仕方に不当性を感じていた。彼らの主張の一部に正しいものが含まれていたとしても、その糾弾の仕方では、糾弾される当の対立者にはもちろんのこと、それを眺めている第三者からも反感をもたれて支持はさ…

「南京大虐殺」はあったのか?

宮台真司氏が「南京大虐殺」というものに疑問を呈して、それが「なかった」と受け取れるような発言をしたときに僕は大きな違和感を感じていた。しかし、その「なかった」という意味は、「南京大虐殺」そのものを否定するいわゆる「否定派」と呼ばれる人々の…

「言語」の本質とは何か

三浦つとむさんは、『日本語はどういう言語か』という本で、言語の本質を語る際に、絵画や映画との比較から始めている。これは、表現一般というものをまず考えて、言語もそのような表現の一種としての性格を持っていることを前提として、それではそのような…

「本質」とは何か

「社会科学の科学性について」というエントリーにコメントをもらった佐佐木晃彦さんの「② <本質=関係>把握としての弁証法」というページを訪ねてみた。三浦つとむさんから学んだというその内容はたいへん興味深かった。ここで語られている内容そのものも…

「疎外」が生む問題に対するマルクスの解決

「疎外」という現象は、人間が作り出したものであるにもかかわらず、人間のコントロールの範囲を越えてしまって、それが独自に活動してしまうことによってさまざまな問題を生じるようになる。これをどう解決するかということを考えるのに、とても分かりやす…